立派な煙突だ。
「配管」と言えなくは無いけれど
これだけの太さのものを
「配管工」が手掛けるのは少々無理がある。
建築基準法第二条(用語の定義)第三項には
建築設備
建築物に設ける電気、ガス、給水、排水、換気、暖房、冷房、消火、排煙若しくは汚物処理の設備又は煙突、昇降機若しくは避雷針をいう。
と定義されているから、
法的には「建築設備」であることに間違いない。
けれど、じゃあ、設備工事でやるかというと、
管工事業者さんがやるかとなると、
実態は少々異なることが多い。
新築なら、「建築工事」に含まれることが多いのではないだろうか。
既存の建物で、設備改修の都合上後から鋼管煙突を建てるような場合に限って
「機械設備工事」などに含まれることとなろうか。
その場合でも、配管屋さんの手によるものではなくて
製缶屋さんとか鉄工所とか、そういう方々によって
据えられることと思うのだ。
姉歯事件を契機に建築士には定期講習が義務付けられて
一級と設備一級とで、3年に2回は受講する義務が生じているゆえに
ときどきあらたまって法規の解説を受ける機会がある。
社会情勢はどんどん変わっていくし、
それに伴って法律も徐々に変化していくわけだから
定期的にアップデートするのは必要であろう。
「義務」じゃないと、日頃のもろもろに追いやられて
どうしてもしっかりと意識を向けることが難しくなるから。
ただね、建築基準法は、昭和25年の法律なのだ。
改正に改正を重ね、第何条の何の何、などと
次から次へと条文を追加(ものによって、削除)していって、
かな〜り複雑化している。
今までの経緯があるし、
運用の難点もあるから、
なかなか「抜本的な改正」は難しいのかもしれないけれども
用語の定義もそろそろゼロベースで見直していっても
いいんじゃないかと、無責任に思ってみたりもする。
基準法→施行令→施行規則という流れもあるし
それらに基づく各地方自治体の条例もあるし、
消防法、建築士法、その他関連法規との整合性もあるし、
ゼロベースでの議論はたぶんものすごく難しいんだと思うんだけれども
もう、それこそ第二次大戦の敗戦を契機に行われた
もろもろの抜本的改正に準ずるような
思い切った措置が各方面で必要な時代になってきているのではないかと
これまたものすごく勝手に安易に思ってみたりもする。
既得権益がものすごく強くって
これまた超難題であることは自明であるし
姉歯事件以来の士法改正によって逆向きに進んでしまっているけれども
「建築設備」に関する資格体系やその他のエンジニア資格について
やっぱり抜本的に改正してほしいなと思い続けている。
技術士法第二条(定義)第一項において、
「技術士」とは、第三十二条第一項の登録を受け、技術士の名称を用いて、科学技術(人文科学のみに係るものを除く。以下同じ。)に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての計画、研究、設計、分析、試験、評価又はこれらに関する指導の業務(他の法律においてその業務を行うことが制限されている業務を除く。)を行う者をいう。
なんて規定されているのだけれども
「他の法律において」という注釈があるように、
昭和25年に制定された建築士法に定められた「建築士」に関する事項は
まるっと抜けているのだ。
昭和58年制定の技術士法は、30年以上前に制定された建築士法によって
制約されている状態なのである。
アーキテクチャーとエンジニアが一体化した不思議な資格である建築士は
諸外国に該当するものが無いという。
なので、建築技術教育普及センターの英文説明 では「1st-class Kenchikushi」
なんて書いてあったりする。
Kenchikushi is licensed to provide services such as design and construction administration of buildings, and plays the dual role of an architect and a building engineer.
と、注釈をつけておかないと engineer 要素が含まれていることが伝わらないようなのである。
まあでも、数多の国民が犠牲となり焦土と化した敗戦などのような衝撃がないと
「抜本的」とはならないんだろうなぁ。
まあ、平和なのは良いことだし、ありがたいことなんだ。
理想とする方向に進まないからといって
暴力的手段に訴えようとするのは
イカンのだ。
日頃の実務を粛々と遂行しつつ、
制度や法体系の改善に向けてできることがあれば取り組んでいく。
そういう地道な歩みこそ、
平和で民主的な国家に相応しいと言えよう。
とは言え、いつの時代も
特権階級であったり既得権益を保持する権力層はあるものだ。
長いものに巻かれるだけじゃなくって
戦って(言論や実務上の実績で、ということだ)いくことも
やっぱり必要なんだと思うのだ。
(「設備だ」おわり)