2024年12月01日

せつびのブログ2

せつびのブログ は せつびのブログ2 http://setsubinoblog2.seesaa.net/ に
移転しております。

移転先へお越しくださいませ。
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2023年12月31日

容量オーバーにつき移転します

せつびのブログにお越しいただき
ありがとうございます。

いつの間にやら、画像容量がいっぱいになっておりました。
よって、移転する必要が出てしまいました。

新年より こちら http://setsubinoblog2.seesaa.net/ に移転します。

今後とも、よろしくお願いいたします。
(「容量オーバーにつき移転します」おわり)
posted by けろ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月28日

ひと味違うフィールド

ボールパーク なんだけれども
雰囲気が違う。


公式戦の緊張感が、無い。

イニングなどの区切りも、無い。

もちろん応援も、無い。



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練習しているのを、
ただ眺めるだけ。



なんだけど、
見物人が結構いる。



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スタンドまでかっ飛ばしたり、
華麗な捕球をしたりすると
歓声が上がる。


ずっこけたりすると、失笑が広がる。


取り損ねると「あぁ〜」と漏れた声が
掛ける数千の音量になる。



限られたシートしか開放されていないが、
むしろ普段高額になる席にタダで座れるので
好感度は高そう。


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すべてではないけれども飲食店舗も開いていて
気楽にのんびりと眺め続けられる、
そんなのも良いのかもしれない。



見ているほうに、緊迫感は全くないけれどね。



練習してる選手たちは
多くの目で見られているし
大型ビジョンで抜かれたりするから
緊張感が高まっているだろうけど。
(「ひと味違うフィールド」おわり)
posted by けろ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月25日

WBCの残り香

「WBC」

野球のほうだ。ボクシングじゃない。


優勝記念として、プロ野球各球団の公式戦開催球場で
巡回展示が行われているようだ。


その1つ。



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伊藤大海投手と栗山英樹監督のグッズが並べられていた。



みんなのサイン入りユニフォームと、優勝メダル。


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正直、背番号以外の文字は判別できないけれども
ファンにとって、そして何より本人にとって
貴重な記念に違いない。


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アクリルケース内だと
うまく写らないけれども
優勝メダルも素晴らしい記念だろう。


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そこに至るまでの軌跡、
代表選出から、チーム作り、実戦における修羅場など
すべてが凝縮された形が、
この中に宿っているのである。



そして、監督。


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それほど大活躍することができなかった現役時代、
引退後は野球解説者、スポーツニュースのキャスターとして活躍し
コーチなど未経験でプロ野球球団の監督に就任。


そして、球団監督退任後に代表監督として再抜擢。


さまざまなストーリーが、後日談が、裏話が報道されているけれども
それはまあ、大変だったに違いないのだ。


それらすべての思いが詰まった、記念品。


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ある分野で結果を残した人たちには
そういう記念の品があるはずなのである。

モノとしての価値にとどまらず、
そこに至るまでのすべての想い。記憶。
それらが結実したという形。

本人にとって、かけがえのないものであろう。



ただ残念なことに、
そういう「想い」を、単なる「金づる」としてしか捉えられず
その所有者の自宅や実家などから盗み出す輩も存在する。


世の中、自分の都合だけで捉えてしまっていて
他の人々の思い出や悲しみ苦しみや時として健康や命など
知ったこっちゃない、という輩。


とっても残念なことではあるけれど
やはり一定割合は、そういう人物も存在するのは事実である。



たぶん、最近は報道が行き届くから知られるようになっているだけで
今までも数多くそういう事案はあったのだろう。



ただね、たぶん「ヒト」って、そういうものなのだ。



たとい他人のモノを盗むことは決してしない、
人の思いや心を大切に出来る人であったとしても
他の面では、あまり好ましくない面も持ち合わせているはずである。

「すべての面で素晴らしい」だけという人間は
おそらく居るまい。
むしろ、そういう存在は人間では無いような気がする。

まして、自分自身を正直に見ちゃうとね、
あんまり誇らしげにできるようなことは無いよね。

WBC戦士たちのように、
何か一分野で卓越した結果を残した人たちならいざしらず、
ワタクシのようになぁんにも残していない、達成していない、
建築分野の片隅の設備の、重層下請構造の最下層で蠢いている
そんな存在じゃあね。


ま、それでもね、
自分に出来ることを、なるべくやるだけなのだ。

たといたいした役に立たなくっても
何がしかの収入を得、
何がしかの消費をして、
わずかな税金でも納めていれば
一応社会を回す構成員としては
無意味ではないよね。


病気や怪我で支援を必要としている人たちに
社会保障を提供するための雀の涙の財源には
なっているよね。


そのくらいに考えておくことにするのだ。



「オマエ、生きてる意味ねーよ」

たとえ、そういう意見を眼前に突きつけられたとしても
それはその人の個人的意見として承るのみである。
それはそれとして、今できることをやるのみなのだ。

できないことは、できないのだから。


できることが増えるように、頑張れる部分があれば頑張るし
頑張れないところは仕方がない。



単純に、年俸ウン十億円ってスゴいなぁっては思うけどね。
(「WBCの残り香」おわり)
posted by けろ at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月08日

かつて……

もう12年超となる。


かつて、この場所が孤立した。


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辺り一面が津波に洗われて
建物も、自動車も、駐機していた機体も
そして多くの人々も、
すべて流された。


が、ターミナル内で、ある程度の高さに居た人たちは
生き残ることができた場所である。


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そう。


震災半年後に付近を通った際には
すべて、文字通り、すべてが流されてしまった世界であった。



時とともに復旧・復興が進み
建物や道路も造り直され
人類の営みが再形成されてきている。



自然を、地球を、天災を前にして
あまりにも小さい「人間」であるけれども
しかし種としての人類は圧倒的な力を前にしても
やがて立ち上がることができる強さも内包している。


力強さと、優しさと、愛とが、
確かにそこにある。


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片や、他人を騙し、傷つけ、殺し、
蹂躙し、侵略し、己の力と富とをひたすら追い求める。

そういう側面をも併せ持つ。

愚かで、情けない人類でもある。



災害で死ぬか、
事故で死ぬか、
事件で殺されるか、
戦争に巻き込まれるか、
病気で死ぬか、
ショック死するか、
いずれにせよ、人間は必ず死ぬ。


その、厳然たる事実を前にして
しかし普段はそれに目を向けようともせず
眼前の利益や快楽や権力や満足感を
ひたすら追い求めてしまう。



石に刻まれ記録された太古の歴史から
本質的には何も変わっていない、人類。


困ったものだね。

でも、そういうものなのだよね。
(「かつて……」おわり)
posted by けろ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月29日

足付きゴミステーション

「ゴミ捨て場」じゃないよ。

「ゴミステーション」だよ。



捨てる場所じゃなくって、
一時的に留め置くだけの場所、
なんだからねっ。



だから、テキトーに「捨て」ちゃダメなんだ。
次なる運搬に適したように、
決められたとおりに、整然と、
ルールに則って、利用すべきものなのだ。



さて、ごっついと言えば、ごっつい、
ゴミステーション。


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網で覆われている上に、
鍵付きである。



そして更に、
その筐体を足で地面から持ち上げて
支えてある、
そんな「ゴミステーション」。



誰でも好き勝手に捨てていかないように
町内会で鍵を管理しているのかしらん。


動物が食い荒らすことを避けられるよう
がっちりと囲って。



足があるのは……。



雪が積もった時にも埋もれずに済むように
そんな対策ではなかろうか。



この地の積雪深はこんなものでは済まないだろうけど
バス路線であるからして、ある程度除雪は行き届く場所。


それに、あんまり高い位置にしてしまうと、
利用者が使いづらくなってしまうし。


そんなこんなで決まった、
足の長さじゃあるまいか。



ゴミ集積場も、
その土地土地の特色があり、事情があるのだ。
(「足付きゴミステーション」おわり)
posted by けろ at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月29日

侍ジャパン

たまたま、展示をみかけて。



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『侍』という言葉を使う機会は
もはやスポーツにしかないのかもしれない。


実際、居ないし、ね。



過去の記念品が展示されていた。



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置かれていたのは、2006年と2009年のWBCのもの。


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もう、ずいぶん前のことである。
16年前と、13年前。



2006年の優勝トロフィーとチャンピオンリングは、これ。


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普段、どこに置いてあるのかねぇ。

保管も、輸送も、大変そう。



そして、サインボール。


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現役も、だいぶ減った。

一番右下の「Ichiro Suzuki」は
色あせて消えかかっているのか、
もともと薄かったのか。



そして、2009年の記念写真。


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当たり前だが、みんな若い!



そして、すでに指導者になったり市井の人になったり
境遇もさまざまである。



サインってものは、
別に読めなくても良いのだ。

何となく雰囲気があれば、良いのだ。


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たぶん。
(「侍ジャパン」おわり)
posted by けろ at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月09日

リンゴの木を植え続けるだけ

安倍晋三元首相が暗殺された。


明るい所で、衆人環視の中であっても
「暗」殺と呼ばれるのはなぜだろう。


それはともかくとして、
今は一体、いつの時代だ? と思うような事態が
このところ立て続けに起こっている。



天然痘を撲滅し、SARSなどにも善戦し、
医学、薬学、生化学、物理学その他の目覚ましい発展による
高度な医療、高い薬効の薬の開発、
ガン治療が発達し寛解者が増え、
各種感染症や遺伝病も克服されるものが増え。

そんな中での、Covid-19 パンデミック。

医療、経済、政治、観光、産業、
あらゆる分野に波及した影響。



東西冷戦が集結し、ベルリンの壁が崩れ、
地球を消滅させるような世界大戦の危惧が遠のいたと
感じられつつあった中で始まった
露宇戦争(断じて「特別軍事作戦」などではあるまい)。

そして、世界の分断。

国内外の関係性、経済その他に、
Covid-19以上に大きく波及し続け、拡大が続く現在。



全世界の中でも高水準な治安の良さを称えられていたはずの
日本国における、銃撃による元宰相の暗殺。



「もう、何があってもおかしくない」



そもそも近年、規模の大きな地震が頻発し、
噴火も度々起き、
円安、物価高、少子・超高齢化、格差拡大、
先行きの不透明感、政治の混乱、
国際関係の複雑化、その他もろもろ、
「安定」していた時代の感覚は失われて久しい。



そんな今日(こんにち)



でも、大きくは報道されないけれども
日常的に発生し続けている、

感染症、ガン、原因不明の病気、
交通事故、工場の事故、火災、
殺人、窃盗、詐欺、放火などの犯罪、
家庭不和、いじめ、差別、敵視、
パワハラ、セクハラ、カスハラなど各種ハラスメント、
などなど。



全地球規模を考慮するならば、
深刻な感染症や疾病は常にどこかで蔓延し
手当の甲斐なく、あるいは満足な手当すら無く
亡くなる方は少なくない。

かなりあちこちで戦争、戦闘、内戦、テロ、弾圧、圧政は続き
銃弾、爆破テロ、虐殺、拷問、飢餓により失われる命は非常に多い。



ウクライナが、たまたま多くの先進国の耳目を捉え
盛んに報道・周知されているから目立っているだけだと
言えなくもないのだ。

報道されない、先進各国から見ぬふりをされている
無辜の民は多いのだ。

ごく一部の悪辣な人間による、
稀で特殊な出来事だとは言い難い面があるのだ。



『人間』とは、じつはそういう存在なのである。



「いや、自分は決してそういう人間ではない」


胸を張って否定できる人物が
どのくらい存在するのだろうか。



「あんなやつ、死んでしまえ」



そう言ったことも思ったことも無い者は
どのくらい居るのか。



今回、選挙期間中であって、
応援演説中に元首相が襲撃されたのであるから
言論の自由に対する挑戦だとか
断じて許されざる蛮行であるとか
当然ながら誰しもそう非難するわけなのだが、

そしてその通り非難されるべき事件に違いないのであるが。



「じゃあ、アナタは?」

そう落ち着いて問われたときに、
どうだろう。

「私は決してそのような蛮行には与しない」

キッパリと言い切れるだろうか。



いやたぶんキッパリと言い切るだろうが、
自ら鑑みて心の底から、一点の曇りもなく、
言い切っているだろうか。



結局のところ、「悪」が悪を行うのではない。

「正義」が悪を行うのだ。



「悪」も悪を行うが、ある意味わかりやすい。
でも「正義」を標榜して行われる「悪」は
視点によってはわかりづらい。



その「正義」が、各人各様、地域によって国によって文化によって異なるゆえに
ある者にとっての「正義」が、
他の者にとっては「極悪」と捉えられるのだ。



隣国を侵略しているロシアにはロシアの「正義」があって
西側諸国にとってそれは「極悪非道の行為」なのであるし

中国には中国の、北朝鮮には北朝鮮の「正義」があって
それが欧米諸国には人権侵害であったり脅威であったりするのだし

日本には日本の、インドにはインドの、
あなたにはあなたの、わたしにはわたしの、
それぞれの勝手な「正義」が存在していて

単なる「意見の対立」と捉えられているうちは何とか関係を保てるけれども
得てして感情的対立、お互いの存在の否定、そして実力行使、と
エスカレートしがちなのだ。



だから、多寡はともかくとして、日常的に殺人事件は絶えない。

戦争も絶えない。

人類の(さが)として、受け入れざるを得ない。
多少の改善を夢見て、何らかの行動は起こすにしても、
根絶には至るまい。そういう存在なのだから。



ひょっとすると、この先WWVに発展してしまい
大規模核戦争によって地球が滅びてしまうのかもしれない。



Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces,
I would still plant my apple tree.



ワタクシにとっては、
apple tree が
設備の計画・設計・作図・積算・監理である。

それだけなのだ。


そしてまあ、欠かさずに選挙権を行使することくらいかな。
(「リンゴの木を植え続けるだけ」おわり)
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2022年06月11日

ウサギはなぜここに

駐車場脇の棚に、4羽のウサギ。

1羽は、耳が取れてしまっている。

その耳は、キノコと化したのかどうか。


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キミたちは、なぜココに?

置かれた場所に、何の脈絡も無いのだけれど。



「せつび」には、存在理由がある。

何らかの用をなす為だけに、存在している。



けれど、じつは世の中の多くのモノには
必ずしも存在理由や目的があるとは限らないものだ。


いや、きっと、
誰か一人のためにならば理由が存在していて
だからこそ、このように置かれているに違いない。



この木製の台だって
ウサギたちのためだけに作られたものでは
あるまいか。



こんな、どーでも良い日常に
くらだない感想を抱けるということは
平和であって、ありがたいことなのだ。



人類の歴史において、
常にどこかで血が流されていて
真に「平和」などというものは存在したためしが無いのではないか。


たとい大きな戦争が無かったとしても、
イジメや暴力は絶えることがなく
殺人事件も当たり前のように起こり続けている。


交通事故で命を落とす人たちも
あまり意識していないだけで
相当数にのぼるのである。
令和3年度の死者数は 5年連続で最少 を更新していて、
それでも 2,636人 になるという。
単純計算で、1日あたり7人ちょっとだ。


いやいや、そもそも日本の2021年の死者数は
1,439,809人と公表 されている。
毎日3,944人が亡くなっている計算になる。
世界中で勘定すれば、ものすごい人数になる。



そんな中で、今日生きていることは
たいそうありがたいことなのである。
(「ウサギはなぜここに」おわり)
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2022年06月04日

運動不足解消マシン

あぁぁぁ〜〜。


い〜天気。


気持ちいぃぃぃ。


ボケェ〜〜〜〜。



とばかりに過ごしていると
絶対に運動不足になるのだ。



ある程度意識して体を動かさないとダメなのだ。



「そんなモチベーション、無いよぉ」


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自分でできないなら、
強制されるのだ。



こんなものが、この世に存在していたのだ。


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その名も、『ウォーキングマシン』

カゴが、一定速度で回転するのだ。
カゴの中には馬たちが入れられている。



黙々と歩いているやつ。

ブヒブヒと何か文句垂れながら、
時々周囲に当たり散らしながら
でも停まるに停まれないから仕方なく歩いてるやつ。

後ろの柵に押されてではなくて、
前の柵に近づくように
積極的に歩いているやつ。



それぞれに、性格が違うんだろうなぁ。



……なんか、身につまされちゃったり。
(「運動不足解消マシン」おわり)
posted by けろ at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月30日

離れでけろ

2年ほど前から、激変した世界。


特に日本では、もう、マスクはパンツだってくらい
付けて当たり前になった。


ま、元々冬季間はマスク率が高めであったけれども
それがほぼ100%になって久しい。


もちろん、ごくごく一部には強硬に反対し
航空機でトラブったり施設でトラブったりしている
一般人や議員などが存在するようではある。


何事も例外があるものだ。


けど、大方はマスクと共にある生活になってしまった。



ワタクシも、従来は冬も特にマスクをする派ではなかったが
新型コロナ以降は自宅滞在中と自家用車内以外は
共にある生活に変わった。



基本的人権がぁとか、同調圧力がぁとか
それなりの理論武装(というほどの武力は無いと思うが)をして
大勢に立ち向かう人たちは存在するが
確かに人それぞれ主義主張があるのだから
それはそれで尊重はしたい。

が、げっほんげっほんしながらノーマスクで徘徊するのは
人権とか圧力とか関係ないじゃんと思わなくもない。

決して良い気はしない。



ただ、頼み事は表現方法次第で
受け取られ方が違うということはあるかもしれない。


空港で見掛けた、こんな掲示は
よそ者にすると目を引く。


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「訳」が載っているので
印象にも残りやすい。


人の集まる空港はともかくとして
木彫制作物である「こけし」には関係ないじゃん、
っていうツッコミはあるかもしれないが
アピール力はあるじゃあないか。



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hanarede kero

んだ。んだ。



「けろ」は、みんながら離れなぐちゃなんねが。



でぇじょぶだ。いづだって、孤立しでるがら。
でふぉるどで、離れでっから。
(「離れでけろ」おわり)
posted by けろ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月31日

春を感じる

3月も終わり、新年度となる。


日本では、正月は正月で年の区切りとしての扱いがあるのだが
4月からの「年度」というものがかなり大きな意味を持つ。


だから、手帳やカレンダーにも「4月始まり」を謳うものがあるくらいだ。



桜前線が、絶賛北上中である。
全国各地の便りが連日伝えられる。

露宇戦争のため、政治経済各方面で多大な影響が在る故に
そちらの報道量が多くて、
平和な春の便りは埋もれがちではある。


確かに悲惨な状態であって、
何とかせにゃならん事ではあるのだが
だからといってあまりにも共感しすぎて
自分まで戦時下にあるかのような生き方をするのが
果たして正解なのかというと難しいところではある。



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これを見て「寒そう」と思われるだろうか。
それとも「おお、暖かそう」と感じられるであろうか。


積雪寒冷地におられる方であれば、
このように路面が完全に露出していて、
縁石がすべて出ているような状態で、
雪が溶けて濡れている部分があるような様子を見れば

「ああ、春だ!」

そう思うのではなかろうか。



日本は四季折々の風物詩が豊かで
季節感に溢れていて
世界でも珍しい風光明媚な地なのである、
という言説がある。


あまり他の国に行った経験が多いわけではないから
それほど比較のしようもないのだけれども
国内をある程度訪れた経験からすると
さもありなんとは思う。


その上で、
雪国における、冬から春への大転換は
殊の外劇的で感動的なものであるとも
思うのである。



秋口に+5℃まで気温が下がると
「かなり寒くなってきた」と感じる。


しかし、春先であれば、
同じ+5℃であっても
「ものすごく暖かくなってきた」
となるのである。


太陽高度や日差しの強さの違いもあるだろう。


それだけではなく、
氷が張らなくなり、
雪山が少しずつその容積を減らし、
スカスカ、ザクザクの質感になってくることによって
確かに春が進んでいることが
日毎に実感され続けるのだ。



国内情勢、世界情勢、
果たして今後どのようになっていくのか
恐らく誰にもわかるまい。


しかしながら、
現に目の前にある春は
ありがたく愛でていたいものである。



「春を愛でる」機会は、
それほど多くはないのだから。


どんなに長寿であったとしても
生まれてすぐから意識できていたとしても
せいぜい120回が限度なのだから。



もっとも、南北に長い日本列島だから
あちこち飛んで回れば
ひと春に、何度もそれを体験できたりしちゃうのだけれど。
(「春を感じる」おわり)
posted by けろ at 10:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月02日

パイプオルガンはやっぱり荘厳だ

ピアノに比べると、圧倒的に数の少ないパイプオルガン。

可搬型の小さなものもあるけれど、
音楽ホールなんかに据え付けられているものになると
かなり大きい。


もはや建築の一部と化している感もある。


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太っといパイプから奏でられる重低音と
1cmほどの細いパイプから刺さる超高音との間に
たくさんの音が一斉に放たれるのである。


とても荘厳で、壮麗で、いいわぁ。


ずうぅ〜と聴いていると
はるか夢の世界に旅立ててしまいそう。


それくらい、心地よい響きを奏でる。



同じ音程でも、いろんな音色のパイプがあって、
指10本と脚2本の計12本分の音しか鳴らないかと思いきや
オクターブ連動とかいろんな機構があって、
鳴る音の多さはオーケストラにも匹敵する、ように思える。



上の写真、照明でひときわ白くなっている部分が
鍵盤と椅子がある場所だ。



ロビーには、
鍵盤廻りのパネルと説明が置かれていた。


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たくさんのボタンが並んでいて、
昔むかしの発電所内のような、
宇宙戦艦ヤマト艦橋のような、
そんな趣がある気がする。



たまには、こういうのも聴いてみるのは
精神衛生上も良いんじゃないだろうか。



仕事に追われて切羽詰まっているだけじゃ
体も心も壊れてしまいそうだから。
(「パイプオルガンはやっぱり荘厳だ」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月30日

恐竜は寒さに弱かった?

恐竜は、数千万年前に絶滅したとされている。


大隕石の落下に伴う地球の寒冷化によって
温暖な気候のもとで繁栄した大型爬虫類たちは
もはや生存し続けることができなくなったのだという。



それは、こういうことだったのだろうか。


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前に見たとき には、こんなに寒そうじゃなかった。



そうか。


このように、絶滅していったのか。……なんて。



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恐竜はむしろ鳥類の先祖で
羽毛が生えていたとかいう話も聞く。

毛が生えていたなら、多少なりとも寒さに耐えられたのかどうか
そもそも目的が違うから役に立たなかったのか
その辺のところは今となっては正確には知りようがない。



ま、それでもそろそろ暦の上では春が立つ。


コイツの辛抱は、まだまだ続くだろうけれども。
(「恐竜は寒さに弱かった?」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月03日

定着した年中行事

日本には、数多くの年中行事がある。


地域それぞれの歴史の上で生み出されてきたものもあれば、
全国で繰り広げられる行事もある。


そして、外来の行事も多々存在している。



暦は、年中行事で回っている。



それらの中でも、特に浸透して、
完全に我が国に定着しているといえば
「クリスマス」であろうか。



12月に入ると、
いや、もう11月から、
最近であれば、ハロウィンのモノが取り去られた直後から
クリスマスっぽい装飾が、全国津々浦々、
至る所に溢れるようになる。


「おせち予約開始」「年末年始のご旅行は」なども
多少混ざってはいるけれども、
圧倒的にクリスマス商戦の勢いが強いのである。



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いつも思うのだけれど、
季節外の時期には、
これらはどこにあるのだろう。



毎年、山から切って運んでくるの?



そして年末になったら、処分しちゃうの?



ものすごくたくさんの飾り付けの類も、そうだ。


SDGsってのが
至るところで叫ばれるようになっているのだけど、
毎年毎年新しいのを飾っては捨てるっていうのは
何をどう考えてもその趣旨にはそぐわないよね。



だからといって、
「年中行事装飾具庫」を確保して
季節でローテーションする、っていうことが
できないところも多いだろうなぁ。

大規模な施設ほど。



もうちょっと抑制的な飾りでも……とも思うのだけれど、
でもそもそも商業的目論見でもって取り入れられている行事ゆえ、
客を集めてなんぼ、耳目をひきつけてなんぼ、ということだから
エスカレートこそすれ、抑制的になんてなりようがないのだろうか。



二酸化炭素削減を声高に叫ぶ中で、少々過激に流れている人々は、
こういうのを、どう取り扱っているんだろう。
(「定着した年中行事」おわり)
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2021年09月02日

ドラえもん展にて観想する

藤子・F・不二雄氏の国民的漫画、
もはや古典と称して良い部類の「ドラえもん」。


今や、美術館に展示されるような存在となった。



というわけで、美術展である「THE ドラえもん展」を見てきた。



じつは、藤子・F・不二雄氏による作品の展示ではない。

ドラえもん誕生50周年を機に、国内外のアーティストに
「あなたのドラえもんをつくってください」と委嘱して制作された
作品群の展覧会なのである。



撮影禁止のものもあるのだけれど、「SNS等で拡散してね」というものも多く
それゆえここで一部ご紹介しておきたいと思うのだ。
もちろん、撮影可のものだけである。
(なお、作者名については敬称略とさせていただく)


入り口に、特大の絵。


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画風でわかるだろうか。村上隆の作品である。


写真では大きさがわかりにくいけれども
壁一面を占めるサイズとなっている。


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ついでに天井の設備も撮ってみる。

こうして見ると、画の大きさが少しわかるだろうか。

美術館に元々設置されている照明と、
展示のために増設した照明とが混在しているように見える。


そう。美術館に於いては、
作品を照らすための照明も重要な要素の一つであって、
施設としてのものの他に、展示ごとに設営する電気工事も発生するのだ。


その際に、非常照明を阻害したり、
火報の感知器を塞いだり、
スプリンクラヘッドを埋めてしまったりしてはいけない。



立体物に光を当てて、その陰を鑑賞するタイプの作品。


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このメカメカしい? 細胞っぽい? 背中、どう?
西尾康之の作品。


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こういう立体モノがあるかと思えば、
写真家 梅佳代による、こんな作品も掲げてあった。


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おじいちゃんが、ドラえもんを被って日常を送っている。


えてして芸術とは、凡人や素養の無い者にとっては
理解不能なものだったりする。

が、そんなワタクシであったとしても、
何かを感じ、何かを受けているに違いない。そう思うしかない。



森村泰昌、コイケジュンコによる作品。


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いろんな作品に、マンガの一場面や映画の一カットのオマージュが
散りばめられているようだ。

詳しい方なら、一つ一つにその出典を見いだせよう。



この衣装は、マンガのページで出来ている。
ドレスの下の方に、辛うじてコマ割りが見てとれる。


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なぜこれを作りたかったのか、
どうしてこう作りたかったのか、
訊くのは野暮ってもんなんだろう。


マネキンに着せて展示してあるだけじゃないんだ。

作者自ら纏って撮った写真も掲出されているのだ。

わからんけど、なんかスゴイ。
感受性が悪くて、申し訳なく思う。



おお、レンブラント!

あなたもまた、ドラえもんの幻影に呑まれたのか。


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画家 福田美蘭による。氏は、和風の画も描かれていて


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どこかで見たことがないだろうか。こういう作風。

でも、ドラえもんなのだ。そういう展示なのだ。



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坂本友由による、巨大なしずちゃん。

《僕らはいつごろ大人になるんだろう》という題がついている。

実際に床から天井まである、巨大な画である。

どの映画のどの場面か、わかる人にはわかるのだ。



動画撮影禁止だったので、静止画ではあるが
意味がわかるだろうか?


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後藤映則による立体作品。

この立体に、上部から光を当てていくと
円光源が拡がるにつれてドラえもんのキャラクターたちが動く。

そんな作品である。

なんか、文章ではうまく表現できないや。



近藤智美によるドラえもん。


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『ときどきりくつにあわないことするのが人間なのよ』



数多くの展示があって、すこぶる面白かった。

ワタクシ自身は美術的な素養は皆無であるけれど
多種多様な表現方法にもいたく感銘を受けた。


撮影不可であったが、
メディアアーティストのクワクボリョウタの作品など
とてもおもしろかった。



ドラえもん展については、過去の公式ページ などで
動画も含めて多数紹介されている。


世の中に、こんなにいろんな感性を持つ方々がいて、
こんなに様々な感じ方、表現の仕方があるんだと
リミッターが外れる感覚を得られるかもしれない。



鴻池朋子が雪山でドラえもん主題歌を絶唱する動画とか
もう、何が何だか。



だとすると、ワタクシがこうやって
わけのわからん(と一般の人々から、いや意匠屋さんからも評されるであろう)
「せつび」に関する雑多な興味をネット上で晒しているのも
一定の感性の方々には届くのかもしれない、
そういう可能性は残されているのかもしれないと
少〜し光明が見えてくる気もするのである。


ただの、気のせいかもしれないけれども。



小展示室に、記念撮影コーナー。


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ノズルとドラえもんのコラボなのだ
(「ドラえもん展にて観想する」おわり)
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2021年08月07日

つはものどもがはしらんとす

新型コロナウイルス感染症の世界的流行に伴って、
東京オリンピックは1年間延期された。


延期したものの次々に姿を変える変異株の猛威によって
有観客での実施をほぼ諦め、
中継映像による配信により競技状況を伝達するのが中心となった。



感染拡大が続く中で、
オリンピックそのものの開催可否について賛否が入り乱れる中、
数年間をかけた競技実施のための準備は
度重なる方針転換にもかかわらず、
粛々と(おそらく実際には現場の阿鼻叫喚のうちに)進められた。



毎年猛暑に見舞われる東京の地を危惧して
競歩とマラソンの競技は、北海道札幌市で行われることになった。

2019年の秋、ドーハで開催された世界陸上競技選手権大会における
棄権者続出の事態を受けての突然の変更であると言われた。



ところが、この夏の北海道は各種猛暑記録を次々に更新する事態となっていて
開催地の札幌市においても観測史上最長の真夏日連続記録を打ち立てる
こととなってしまったという。


例年より5℃以上高いような気温が連日続き、
しかも通常なら20℃を下回るような最低気温が、
この年は毎日熱帯夜に迫ろうかという高さになっていて
エアコン普及率のあまり高くない北海道民にとって
相当に厳しい夏を迎えている由である。



北海道は、「暑さは盆まで」と言われるようで、
たいてい8月中旬を過ぎると急に涼しくなるらしい。


実際に週間予報を見ると(毎日状況は変化しているが)
10日あたりから急激に気温が下がって
最高気温が20℃に届かないくらいになるというのだから
何とも間が悪いというか、運がないというか。



北海道及び札幌市によって「感染自粛」の呼びかけがあったものの
実際の中継映像を見ると競技中の沿道には少なからぬ観客が並んでいて
感染自粛要請にどのくらい効果のあったものか
疑問を抱かせるものでもあった。


もっとも、200万人弱の人口を有する札幌市において、
520万人以上いる北海道民がいる中で、
連休を利用して全国各地から訪れんとする日本人、
2週間の待機期間をものともせずやってくる外国人などがいる中で
あの程度で済んでいるのだから
「効果は絶大だった」という評価が行われても、
それはそれで間違いとは言えないかもしれない。



札幌市は北海道の道庁所在地であり、
各種全国企業の北海道支店、北海道事務所が多数所在していて
ビジネス上の要所の一つとなっている。


札幌駅から大通に至る地区にオフィスを構える企業も多く、
企業活動をしている以上、人流をとどめることはできない。


にもかかわらず、市中心部の目抜き通りや、
郊外の主要幹線道路を封鎖して競技を行うのであるから
市民生活、企業活動上は結構な制約を受けることになる。



競技が実施される何日も前から、
沿道における準備は進められていた。


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可能な部分には次々とフェンスやコーンが配置され、
それによって、確かに競技が行われるらしいことが
感じられるようになっていた。


IOCも、auショップの看板までは取れとは言わないのだろう。


車で走っていると、至るところに迂回要請の看板が掲げられている。


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「う回」という表現、何とかならんか?
「迂回」ではダメなんか?
単に「左折できません」でもいいんじゃない?



コース表示の緑色の破線が路面に描かれていた。


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撮れなかったが「これは道路交通法上の表示ではありません」的な
注意書き看板も、ところどころに置いてあった。



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交差点など、当日のみ閉鎖する箇所の脇には
フェンスがまとめて置いてある。


通勤・通学の人流は結構あって、
でもそれは都市の中心部なのだから、仕方がない。


本来の予定であれば、
日本全国から、世界各国からの観戦者・観光客で
数日間埋め尽くされていたに違いないのだから
それに比べればものすごく少ない人出であると言えよう。


JR高架に記された TOKYO2020 United by Emotion が
なんともうら哀しい感じがするのはワタクシだけだろうか。



交通量の多い道路だけれども、
コース表示の緑破線がずっと続いている。


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これだけの流れを全面封鎖して行うのだから、
結構な影響がある。


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とは言え、毎年北海道マラソン、札幌マラソンなどを
実施してきた経緯があるので、
ある意味慣れた面もあることだろう。


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ちょうど、競歩の競技が進んでいる最中だったようだ。


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うまく映らないけれど、上空をヘリが飛んでいる。

上方からの中継映像は、あそこから送られてくるのだ。

マラソンになると、飛行範囲も広いことだろう。



会場ほど近くの駐車場は、
競技関係車両用に確保されていた。


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選手・コーチなどの宿泊場所と競技会場とを輸送する
バスのたぐい。


せっかくの札幌の街を、
バス車内からしか見られない関係者は
少々可哀想ではある。



「なんで見に行ってんの?」

「自粛要請無視?」

「こんな写真なんか撮ってさあ」



いえ、別に競技を見に行ったんじゃないんです。

こちとら、仕事はあるんですよ。

しがない設備屋なんだもん。
日々、経済活動を続けなくっちゃ食っていけないんっすよね。

その信号待ちの間に写真を撮ったからって
責められる筋合いじゃあないよね?



そろそろさ、「炎上」なんていうバカバカしい現象を
撲滅したいものだね。

ちょこっと聞き齧っただけでわかった気になって
その無根拠に等しい「知識」を元に
ひたすら他人を罵り、貶し、攻撃し、悦に入る
そんな現象を。

なんて。

仕方ないかな。人間の性だもんね。



さて、開催賛否入り乱れたオリンピックも
そろそろ打ち上げだ。

続いて、パラリンピックが開催されるが、
感染拡大状況とも合わせて、こちらもどうなることか。


いずれにしても、
全く先を見通せない中で準備してきた現場の方々は
ほんとうに大変だったことと思う。

何の責任もなく、担当もなく、後始末の心配もなく
ただ一時の感情にまかせて「やめろ〜!」とか「絶対開催〜!」とか
無責任に叫んだりネットで喚いたりしているだけの人物には
想像もできないことだろう。



全世界の人々が感じたように、
コロナ以降、あらゆる価値観が大きく変わった。


決して元のようには決して戻らない。


そう感じさせる、オリンピックなのであった。
(「つはものどもがはしらんとす」おわり)
posted by けろ at 13:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月24日

岩石が融けていく

札幌市南部にある、真駒内(まこまない)公園。

4月になっても、そこには雪が残されてた。


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首都圏とは季節が2ヶ月ほど違う、と言われるが
そもそも東京都区内でこんなに積もることはあるまい。



公園の脇に、豊平川にかかる橋がある。


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「五輪橋」と呼ぶそうだ。



その昔、札幌オリンピックが開かれたことに由来する。

真駒内公園自体が、冬季オリンピックの会場であった。



この橋の下、河川敷には
まだたっぷり雪が残されている。


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川のこちら側にも、あちら側にも。


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五輪マークがついているのは
五輪橋だからに他ならない。



ここは冬の間、「雪堆積場」となっているそうだ。


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要は「雪捨て場」である。



市街地各所の雪は、トラックに積み込まれて
各所にある雪堆積場まで運ばれ
春まで捨て置かれる。



春になると、
重機で少しずつ崩していく。

そうしないと、なかなか融けて無くならないから。


このように崩されつつある雪山だけれど
白い面は少なくて、
「雪」っぽくは見えないかもしれない。


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土か、砂か。

そんな感じ。



氷というものは、宇宙空間の多くの場所では
天体を構成する岩石の一種である。

地球に於いては、
それが溶岩として流動している場所・期間が多い、
そういうことに過ぎない。



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この地に於いても、
冬期間はまさしく岩石として存在していて
春の訪れとともに溶融して、流れ下っていく存在なのだ。



だからこそ、
冬期間に水が凍結するような地域では
それを「岩石」として意識したほうが良い。

ちいさな結晶で降ってくるものだから
「ふわふわ」なイメージが先行してしまって
「岩石」という捉え方をされないことが多いけど。



「水」は、「岩石」。



寒冷地の建物を設計する場合には
その意識が不可欠であると言えよう。
(「岩石が融けていく」おわり)
posted by けろ at 10:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月24日

放射線は見えないけれども満ちている

放射線、と一括りに呼ぶけれど、
それにはいろんな種類がある。


α線、β線、γ線と、
ギリシャ語アルファベットの名称が付けられているけれど、
それぞれ全く別のものである。


「ベクレル」とか「シーベルト」なんていう単位があるけれど
放射能の量や生物学的影響を表すものであって
放射線そのものの性質とは別である。



「おもな放射線」の説明パネルが
日本科学未来館にあった。


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パネルの左にあるガラス球のようなものは
カミオカンデなんかにある、光電子倍増管 だ。



α線は要するにヘリウム原子核だし
β線、μ粒子はレプトンだし、
γ線は電磁波だ。

π中間子はクォーク2個から成っていて
すぐにμ粒子とミューニュートリノに崩壊してしまう。

ギリシャ語のアルファベットが充てられているが、
それぞれ全く別のものだ。

アルファや山、ベータはビー玉、ガンマは蜃気楼、
みたいな違い具合だ。

「放射線」の語が示す範囲は、とても広い。



これらが、いったいどれだけ空間に満ちているか、
霧箱なんかを眺めていると実感できる。



これだけ放射線だらけなのだから、

飛行機で対流圏上層を飛行するだけで
結構な被曝量になるのだから、

CTスキャンの被曝量たるやかなり多いのだから、

地球上でも場所によって自然放射線の量に結構な違いがあるから、

原発事故の放射能汚染なんて大したことない。気にする必要なし!



なんていう主張もあるけれど、
どのような放射線であるかにもよるから
一概に言えるものじゃないと思うのだ。




事故による問題点は、
自然にはあまり存在しない放射線源が撒き散らされたことなのであり、
その人体に対する影響が、短期的・長期的にどのようになるのか
確定的なことが今のところ定かではないというところにあるのだ。



無闇に恐れ怖がる必要も無いけれど、
あんまり呑気に楽観視できるようなものでも
無いはずなのである。



原子炉や加速器といった実験施設は
自然科学の発展のためには、やはりある程度必要だと思う。


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でも原子炉の、発電所としての「商業運転」は、また別のことだ。
安価な電力、なんていうのは、
方法や処分先の定かではない現状では、嘘としか言いようがない。
コストの出しようがないからだ。

出せないものを「安い」などと言えはしない。

嘘を根拠に進めるものに、胡散臭さを感じないわけにはいかない。



事故の際の「風評被害」も、やはり被害の一つである。
事故が起きれば、絶対に「風評」は生じるのだ。
生じることを前提に「リスク」を評価しなければ、
意味はない。



ま、原発推進にせよ、反対にせよ、
それぞれが適切な根拠を持って議論をすべきなのだ。

科学的、社会学的、心理学的、いろんな視点をもって。

反発感情や政治や利権が絡んでくることによって、
本来持つべき視点が吹っ飛ばされてしまうから
どうにもならないのである。



ともかく、
放射線は目に見えない。

いろいろな装置を通して、
観測するしかない。


それでも、存在するものは存在するのだ。

たとい、誰もそれに気づいていなかったとしても
それは確かに在るのだ。



ちょっと、「せつび」みたいじゃない?
(「放射線は見えないけれども満ちている」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月12日

不気味、かな

ヒューマノイドに発生する、
「不気味の谷」 というものがあるという。



ただの機械には感じないけれど、
それが人間に似た形態になってくると、
しかも、結構似ていて、なんとなく違和感があると、
「不気味」に感じてしまう、あれだ。



科学未来館にも、そんなやつが飾って、いや、展示してあったはず。



お……?


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以前見たやつは、もちょっと不気味だった気がするんだけど。


手はなんかデカイけど、
顔はそれほど不気味じゃなく感じる。
(個人の感想です。感じ方は人それぞれです)



そのうち、
もはや不気味どころか
親近感ないしは好意を抱くようなモノに
変わっていくんだろうなぁ。


「3次元より2次元!」

と喧伝する人たちが居るように、


「リアル3次元よりヒューマノイド!」

がメジャーになっていくのかもしれない。



ふた昔も前の人型ロボットだと、
むしろ親しみが湧く、という不思議。



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ASIMOは、中国語で書くと 阿西莫 なんだね。
科学交流員、という肩書なんだね。



このASIMO、
シンボルゾーンで演技(?)していた。


していた?

させられていた?

機械がプログラム通り動かされていただけだけど。



吹き抜け上方には、
地球を映した球形映像。


21021203.JPG



こんなのも、
時代とともに、よりリアルに変わっていくんだろうか。
(設置予算がつけば、の話だが)



ホログラムが浮かぶようになるのは
いつだろう。


案外、近いのかもしれない。
(「不気味、かな」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする