本稿では、設備屋に対する別の「勘違い」について、少し触れてみようと思います。
過去に掲載を続けておりますように、
先般からの建築士法・建築基準法改正に関して、
ワタクシはたくさんの疑問・文句・不満を感じております。
しかし、ワタクシがこのように発信をしている中で、
『設備屋』以外からの反応に、典型的な2パターンがあるように感じています。
一つは、
「テメェは、勉強したくないから、文句言ってんだろう。
文句あるなら、まず一級取ってから言えや。
それが筋ってもんだろうが」
的なご意見。
もう一つは、
「もう決まってしまったことにブツクサ文句を言い続けても仕方ないだろう。
とにかく、前向きに頑張れ」
これら2つの反応は、まあ、おっしゃる趣旨は重々承知しておるつもりではありますが、やはり「勘違い」ではないかと思うのですよ。
というわけで、「勘違い」たる所以を書き綴ってみたいと思います。
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まず1つ目の「勘違い」に対して。
ワタクシは別に「勉強したくない」わけではないのですよ。
この業界に入ってから、当然のことながら勉強の連続なわけです。
それはどのようなお仕事であっても、特に技術系のお仕事であれば、共通して言えることでしょう。
一級建築士を取った方たちが、並々ならぬ努力を傾注し犠牲を払って
少なからず費用もかけて、取得されたことは賞賛に値する事項でありますし、
敬意を表させていただくことにやぶさかではありません。
それはそれで素晴らしいのですけれども、どうもそれが鼻にかかってしまい、
他の立場の人間を見下げるような事例が時々あるようなのですね。
「一級を取ってから文句を言え」
正論に思えるかもしれませんが、ワタクシにはそう思えないのですよ。
既に取った人たちの多くは、文句なんか言いません。
もう、困らないのだから(「当面は」という注釈付ではありますけれど)。
ワタクシは、設備技術者に一級取得を義務付けることに合理性を感じられないだけなのです。
合理的であれば、難易だろうが何だろうが文句を言う筋合いではありません。
でも思えないから、いろいろ発信している次第なのです。
ワタクシからは、意匠屋さんに対して、むしろこう申し上げたい。
「なぜ、『新一級建築士案』を潰したのか?」
構造偽装を端緒に始まった一連の法改正はまさに「一級建築士の能力不足」
をテーマとしていたものだったはずなのです。
A氏は一級建築士でしたが、彼の能力不足で偽装が起こったのではなく、
彼に外注していた元請の建築士の能力不足(構造がさっぱりわからない)が問題だったわけです。
議論の過程で、「一級建築士の持つべき能力とは」などのテーマが次々と出てきたわけです。
意匠だけではなくて、法律的なことも詳しくなければならないし、
構造計算書も偽装を見抜けるくらいでなくてはなるまい。
そういう話になった。しかるに、現在の建築士にはそのような能力が無いし、
じゃあどうする、『新一級建築士』を設定して、既存の資格者にも
受けさせよう、などという方向に話が進みました。
ところがところが。
なんと、建築士の業界団体はこぞって大反対し、この提案を無きものにしてしまったではありませんか。
そうなんです。「勉強したくない」と叫んだのは、意匠屋さんだったのです。
決して設備屋さんではないのです。
確かに、設備屋さんにも、「そんな、建築士なんて、取るつもりも無い」という人が大勢いました。
建築士法上、設備設計は建築士の独占業務という建前になっていましたが、
実質は設備技術者はそれなりに存在を認められていて、公共設計の
発注も分離で行われていたのですから。
現状で特に支障が無いのに、改めて建築士を取ろうなんていう人は
少なかったのですね。
そもそも、学歴上受験資格なんてありません(でした)から、
建築士を取ろうと志した人たちは、まず二級から、そして一級と、
十数年計画で取り組んでいたわけです。
(そういう人たちにとっては、今般の措置は晴天の霹靂です)
(ワタクシも、その一人でもあります)
「新建築士案」撃退後の意匠屋さんは、『ひらりマント』を駆使して
『構造設計一級建築士』、『設備設計一級建築士』というふうに、
構造・設備分野に圧力を開放することに成功しました。
意匠設計を続ける上では何の支障も無いように、
構造・設備だけに負荷を持っていきました。
合理性なんか、無いのです。
業界内の力関係が、単純に反映されただけ。
だから、文句を言っているのです。
「勘違い」なのですよ。
ワタクシだって、遅々として進まないながらも、設備分野のみならず
計画や法規(放棄はしていません)、構造、施工について、
学習は続けていますよ。
まあ、効果がどの程度現れ、定着しているかは別にして。
たといその学習がどれだけ実務に役立つか疑問があろうが。
設備系の問題と解答に不審を抱きつつも。
逆に、既に資格を取得済みの一級建築士の方々が、
本来知っているべき設備のイロハについて一生懸命
学んでいる姿なんて、残念ながら見たこともありません。
トピック的に出てくるテーマについて、ちょこっと
かじりついているだけに思えてなりません。
というわけで、「学ぶ気はない」とのご批判は、
まず意匠屋さんから始めていただくべきであると
思うところであります。
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二番目の「勘違い」について。
だいぶ文章が挟まったので、再掲しましょう。
「もう決まってしまったことにブツクサ文句を言い続けても仕方ないだろう。
とにかく、前向きに頑張れ」
ブツクサ文句を言っているだけで、後ろ向きに徹し、
何も頑張ろうとしない、しょーもない連中だと思われている。
やっぱりこれも「勘違い」であると主張したいのです。
ワタクシは、今般の改正が理屈に合っていないから
それを指摘し、訴えているわけです。
それを訴えずして、「まあ決まったことだから」と
何も考えずにひたすら試験勉強に励むことは、
「前向き」とは言えないと思うのです。
それはむしろ、究極の「後ろ向き」だと思うのです。
たとい「もう決まってしまったこと」であっても、
いろいろと混乱が起こる前に、問題点を指摘し、
起こり得ると考えられる事象、それに対する解決案などを
提示しておくことには意味があると考えています。
「前向き」にもいろいろな方法があるとは思いますが、
ワタクシにとってはこれが大変「前向き」な対応なのです。
問題が起きなければ、それはそれで良いでしょう。
ワタクシの取り越し苦労というだけの話です。
でも、それについて「論じること」自体を否定される
筋合いは無いのです。
確かに、ワタクシの性格上、どうも否定的、批判的な
論調で表現していることがお気に召さない方も
いらっしゃることと思います。
でも、それはそれ。
ワタクシなんぞの提示する批判を受けて立つことが
できないような制度なら、まだまだ改善の余地が多く
残されているという証でもあるのです。
「どうせ完璧はないさ」
そう諦めることも可能でしょう。
でもどうせなら、より完璧に近づけるために、
意見を戦わせることは、すごく生産的なことであると
言える(こじつけられる?)のではないかな、と。
だから、これも「勘違い」であると申し述べておきます。
「(制度上詳しくあるべきなのに)設備がよくわからない意匠屋さん」に
「(制度上建築士であるべきなのに)建築士ではない設備屋」の
批判をされるのが、気に食わない。
まあ、そんなところかも知れません。
(「『勘違い』その2」おわり)
【追記】
ま、エンドユーザーの方を向いていない、「どっちもどっち」のお話。
けど、
「設備設計できない人が設備設計の独占資格を持っている」
よりも
「設備設計できる人が設備設計に限定した資格を持っている」
ほうが、エンドユーザーにとっては良いと思うのですよ。
なにしろ、委員長自体が、「設備設計はいままでどおりで、一定規模以上に設備設計一級建築士が必要になる。 法的に設備設計関連業務委託が、いままでどおりで、何か問題があるなら教えてほしい」と発言していたくらいですから。
基本的には、建築士会は建築設計の一括受注に制限がつけられた場合は死活問題との意見が大多数だったのでしょうから、建築士事務所の業務毎の登録や、建築士資格で構造・設備の設計ができなくなるのが問題だったわけです。(ここら辺は二級建築士が大多数を占める首都圏以外の地域で一番承諾できない内容として挙げられていたようです) そこで、設計業務の制限でなく、法適合性の確認という代案で建築士会も了承したわけです。 設計業務委託の建築事務所以外への委託禁止は、運用上どうなるかわかりませんが、設計関連業務委託は従前どおりとの見解がある以上、構造・設備設計一級建築士の関与しない範囲では、ほとんど問題にならないと建築士会も判断したのでしょう。 そういう意味では、審議会及び国土交通省も、内容を時間をかけて精査してから、誰もが納得できる方向へ誘導する事も可能だったのに、構造偽装問題解決の為、性急な制度改正へ進むという勘違いをしてしまったと言えるかもしれません。
私もそのように考える建築家のひとりです。
後戻りの意見なのですが、一昨年の建築士改正法案素案に対する賛成者であります。
あの時の建築士に対する試験にはあえて受けようと亡き黒川先生が新聞にまで書かれたのですから、私もその一人でした。
今回、国の不祥事を弱い民間(建築、構造、設備)に負わせる不情理がまかり通り世の中でございます。
そもそも建築士に等級を付けること事態が品位、品格・・・モラルを下げる一途をたどっているわけである事が明確!
国の建築部会でも決め事をするにしても専門家ばかりでなく一般からも意見を貰うべきであった。それもパブコメのような一般には何が書いているのかわからないのではなく、簡単に説明し意見をもらうべき!
結論:一級・二級建築士は統合をし建築士若しくは建築家とする、木造建築士は日本の伝統である木造建築士とする。
技術系の資格として現行通り、構造、設備と単独の資格にすればよいと思っている。
私個人としては若き未来の建築家を造り上げる為にも今一度改革が必要だと思っている一人です。
> 審議会は実態を知らなかった
のでしょうねぇ。
いまだに、実態を知らぬまま「素晴らしい制度だ」的な意見を聞くたび、「だいじょうぶかなぁ」と思う次第です。
建築士会の役員をやっているような人でも、
「機械設備と電気設備とを別々の技術者が行っている」
ということを知らず、ワタクシが説明したところ
えらく驚いていたんです。
参ってしまいます。
「新試験、受けて立とう」と仰った意匠屋さんも、
少なからずいらっしゃいましたね。
実際に活躍されていて、実力を持っていらっしゃる方たちなのですから、大丈夫な筈なのです。
ただ「ペーパー建築士」で名義貸しモドキで食い扶持を稼いでいた人たちにとっては、とても困ったことだったのでしょうね。
『制度の理想と現実との乖離』こそ、
改革を要する事項なのだと、ワタクシは思います。
色々と大変なご様子ですが
がんばってくださいね
受験資格が変更になったことから、
ワタクシの周囲でも今年挑戦する人たちが多く
なりました。
けど、いずれにせよ前途多難でもあります。
> 色々と大変なご様子ですが
・・・昨年は、仕事のほうも経済的にも、
ちと、ヤバかったです。
今年も4分の1過ぎましたが、残り9ヶ月、がんばります。
ええ、試験も・・・。 それなりに。 一応。
ご無沙汰しております
学習の進捗状況は如何でしょうか〜
そろそろGWの頃で脱≠レちぼちペースかと
思いますが・・・
けろさんは他の今年からの設備士受験生よっか
一級受験経験がある分 有利だと思いますよ、
今年は製図試験へコマを進めましょう!
ではでは
学習のほうは”ぼちぼち”を脱せずにおります。
仕事の他に、設備関連の覚えること学習すべき事が多すぎて、試験勉強の方まで手が回りませんです。
申し込みやめようか、と逡巡してみたり。
どうせ製図で落っこちるから受けるだけ無駄だし、とか。
あと3ヶ月。 さて、どうなりますことか。
>どうせ製図で落っこちるから受けるだけ無駄だし、
決め付けはイケマセンよ〜
それに学科受かると人は変わります、
鼻っから自分の持ってる潜在的な可能性を否定せずに本気で力を試してみては如何でしょうか
仕事のできる有能な意匠屋で、しかし未だに一級(受験資格があるので結局2級も持ってない)取れない方が自分の周りにもとても多いです。
で、彼等が口裏あわせしたかの如く常套句(言い訳)が
「仕事の勉強が忙しくて試験勉強まで手が廻らない・・・」
ってその方達はほとんど一生無資格のまま仕事人生を終えてます・・・
このパターンは、どっかで「自分で変える努力」を本気でやらない限り一生変わらないと思いますよ。
ではでは
そうですね。
それが『意匠設計試験』かどうかはともかく。
> 仕事のできる有能な意匠屋
仕事の出来ない無能な資格者よりは、マシだと思います。
その人にとっては、名よりも実が大切なのでしょうね。
『仕事のできる有能な意匠屋』が取得できない資格って、何のためにあるのでしょう……。
またお邪魔します。
私は思うのですが、意匠設計の連中で一級を持たないと設計屋ではないと申すモラルの低さ!
最低限一級を持たないと、と申す連中!
じゃ一級持ったからどうよ?これから建築士法も本格改正され一級建築士はどの位置にあるわけでしょうか?
今回の建築士法改正は本当に改悪である!
資格を持つ持たない以前の問題である!
そこに気づかない建築士が今だ多くおられる現状!
今だ国交省に叫び続けている建築家の一人です。
「モラルの低さ」は、どこの世界にもあるもので、意匠屋さんに限らず構造屋さんや設備屋にも散見されるものです。
が、法的に高い立場にある者ほど、より高いモラルを持つことが求められますよね。
今般の改正が、その方向では無い事がとても残念です。
何やら、『設備設計一級建築士』という名称の、設備設計実務能力が無い資格者を量産する体制が出来上がりつつある模様。
今後、経過注視の必要があります。
まぁ、ただ『見守る』ことしか出来ないわけですが。