建築業界の片隅である「設備業界」のさらに片隅に棲息する けろ は、
無い脳みそを酷使しつつ「ケンチク」における「せつび」について、
愚考を巡らしております。
本項では、現段階における愚考を記事にしてみました。
【序】
始めにお断りしておきます。
本項(に限らず、ブログ記事の全体)は管理人 けろ の妄想中の個人的愚考であります。
反論、批判、警告、誹謗中傷、脅迫、嘲笑、侮蔑、……その他諸々は、すべて管理人個人に対しておこなって下さい。
「だから、せつび屋は───」という論理で、一般の善良無垢な「せつび」従事者をいぢめるようなことの無きよう、くれぐれも……。
なお、「建築士制度」にかかわる諸原稿につきましては、本ブログ内のカテゴリにて検索いただければ該当項目が出てきます。
奇特な方は、どうぞ。
【1.根本的な勘違い】
現在進行中の建築士制度改正。既に何件か法改正が進み、施行済みの件もあります。
このような中で進行中の議論には『根本的な勘違い』があります。それは、
『設備技術は、建築の一部である』
「建築」という領域の中に、空調や衛生や電気というものが含まれていると捉えているのです。建築基準法が、まさにそう語っています。
これが『根本的な勘違い』なのです。
主に意匠設計や行政に関わっておられる方たちの勘違いは、コレ。
「建築設備」という呼ばれ方が、この勘違いを象徴しています。
「建築付帯設備」と呼ばれたりもしますね。
建築にくっつく「オマケ」だよ、ということです。飽くまでも本質は「建築」であって、
それ以外は「付帯」「付録」「付け足し」「一部」……そういう捉え方です。
でも、これは勘違いなのです。誤解なのです。認識の誤りなのです。
……ワタクシは、そう思います。
【2.設備は発達する】
設備技術は、「建築の一部」などではありません。
機械工学、冷凍工学、衛生工学、流体力学、電磁気学、電子工学……など、さまざまな技術領域の、ごくごく一部を、建築に応用しているに過ぎません。
それらの諸技術が建築に応用されるとき、総称して「建築設備」と呼んでいるだけなのです。
技術は日進月歩、進歩し変化し改良され続けています。
新しい技術が実用化されれば、それらは自動車に、家電製品に、はたまた今まで無かったような新しい製品に、応用されていきます。
そして当然のごとく、建築にも応用・活用され、新しい建築設備となっていきます。
元々「建築設備」なんて、電気(裸電球、しかも碍子引き配線)と水道(蛇口1個だけ)と排水(道路側溝まで流していくだけ)、LPガス、汲取便所、そんな程度でした。
工業技術の発展に伴って、瞬間湯沸器やら換気扇やら蛍光灯やら煙突ストーブやら徐々に設備の内容が充実してきました。
換気機器、エアコン、セントラル給湯機、ユニットバス、洗濯機パン、温風暖房機、ヒートポンプ熱源機、真空式温水機、マルチパッケージエアコン、吸収式冷温水機、空気清浄機、ロードヒーティング、地中熱ヒートポンプ、キャンドラインポンプ、デマンドコントロール、インターネット、LAN、ソーラーパネル、CATV、…………まあ、挙げればキリがありませんが(脈絡無くてすみません)。
「設備」と呼ばれるものはどんどん増えていっています。
建物の規模が大きくなり用途が高度化するほど、必要な設備も増え、
設備への技術応用が充実するほど更に大規模・高度な建物が実現していく。
充実した設備群がシステムとして適切に運転管理されるよう、自動制御、中央監視、遠隔監視なども発達してきました。
ただ門番が立っていた状態から無人のセキュリティシステムへと移行し、
用務員が一生懸命水撒きをしていた状態から自動散水設備へと移行し、
専属のボイラーマンを雇用して蒸気暖房を行っていた状態から無人の機器運転管理へと移行し、
気づいた人がこまめにスイッチを点滅していた状態から自動調光照明へと移行し、
窓の開閉やブラインドの角度調節も自動制御されるようになり………。
様々な技術が建築に投入されていますから、
様々な領域の専門技術者たちが関わっています。
新しい技術が導入されれば、今まで建築に関わっていなかった技術者たちもスタッフに加わります。
「設備とは、どこまであるのか?」
と問えば、「どこまででもある」のです。
世の技術の発展がある限り、建築設備も発展していくのです。
なぜなら、設備技術が建築の一部なのではなく、諸技術が建築に応用されたものすべてが建築設備だからです。
科学技術のすべての領域は、建築に応用された途端「建築設備」となるのです。
(意匠や構造面で応用されるものも、もちろんありますが。そんな揚げ足を取る方はいらっしゃらないでしょう)
【3.誰が責任を持つのか】
発展とともに次々に建築に導入される各種科学技術。
これらについて、建築士に全てを任せようというのは、構造的に無理なのです。
もちろん、「建築設備士」なるものに任せるのも同様に無理です。
(そういう意味で「建築設備士」なる資格も、建築士同様問題の多い資格です)
未来永劫、新規導入される全ての技術に専門性を発揮するのは不可能なのです。
ある技術については素人である者が、ちょこちょこっと勉強したぐらいで、その道の専門家である技術者と同等の知識・経験を得ることなどできません。
わからないものには、責任を持つことができません。
では、誰が責任を持つのか?
それぞれの技術領域の専門家が、責任を持つ。
それが、確実で安全な方法です。
それが「プロフェッション」というものです。
建築士は、専門技術者と協力して建築への応用を図る。
統括責任者としての立場であって、すべての技術領域に精通すべき立場ではない筈なのです。
そして、実態としてはそのように動いていました。
ですが、法律は、建前上の制度は、実態とは全く違う方向に動いてしまっています。
【4.勘違いのままでよいか】
すべては、『勘違い』なのです。
このまま『勘違い』で設備を語り、制度を運用していけば、困るのは誰でしょうか。
その技術の専門家ではないのに、専門家扱いされた上、図面に印鑑を押して責任を持たなければならない建築士(設備設計一級建築士だって同様です)。
専門家だと定義された建築士(本当は専門家ではない)により、不確かな技術を提供される建築主。
その技術の専門家なのに、建築士ではないために、その技術に関する設計をする権限が無いとされる技術者(こっそり日陰の存在として格安or無償で手伝わされる)。
何かクレームがつくたびに、建築士の資質不足を指摘されたりして管理不行き届きを糾弾される行政。
試験や審査を厳しくすれば資格者が不足し、
資格者数を確保しようとすれば試験や審査を厳しく出来ず。
(スーパーマンを多数養成するのは構造的に無理なのです)
建築生産活動に滞りが生じ、仕事とお金が回らなくなる施工業者。
結局、みんなが困るのです。
2007年6月20日、前回の建築基準法改正施工で、随分と混乱が生じました。
構造設計の世界のことは詳しくはわかりませんが、この時にもいろいろな『勘違い』が潜んでいたように思います。
『勘違い』のまま、しかもじっくり立ち止まって検討・検証することなく、
見切り発車してしまったがために生じた混乱なのでした。
設備設計一級建築士。 『勘違い』を絵に描いたような制度。
なのに、『勘違い』と認識せず「すばらしい制度である」と自画自賛している、導入を決めた国交省や学識経験者(残念ながら実務経験者ではなかった)。
いや、彼らがそんなに愚かであるはずはありません。
世間が『勘違い』しているのを利用して、それぞれの属する業界の
利益の最大化を狙っただけなのかも知れません。
ねえ、ご自分や業界の利権に固執するんじゃなくって、
建て主にも設計者にも、各領域の技術者にも、行政にも、もちろん施工業者にも、
全体としての利益を生み出すように、
まじめに誠実に自らの責任領域で仕事に取り組めば正当な報酬を得、
不真面目に不誠実に行えば相応の罰を得るように、
知恵を絞ってもらえませんか!?
それぞれの業界内だけが損しないように最大限の努力を行った結果、
合成の誤謬として生み出された。
そんなものなのかも知れません。
(「勘違いで設備を語るか?」おわり)
【追記】
「オマエが勘違いしてんだろう」
そういうご批判もあろうかと思います。
基本的に「バカ蛙」(某フォーラムで偉い先生に命名していただきました)ですので、
その可能性は大です。
でも、頭の良い方ほど、バカ者の言うことに耳を傾けるべきではないでしょうか。
バカ者には、賢者の論を正しく理解し納得する能力がありませんし、
自分の意見を論理的に正しく伝える力もありません。
でも賢者は、バカ者が何を言いたいのか汲み取り、理解しやすいように噛み砕いて説明する能力、
いや、賢者ゆえの義務がある筈だと思います。
まさに、そのために天より賢さを賜っているのではないですか。
その義務を負えない者は、本当の賢者ではなくて、偉ぶりたいだけの偽装賢者だと思うのです。
バカ者を「バカ」と貶めることで、自分が相対的に高みに浮上したと錯覚するわけですね。
某所でも、議論になりましたが、建築基準法及び関連規定に適合しているだけの設計なら一級建築士で十分です。
同様に建築基準法及び関連規定に適合する事を確認するなら、建築設備士もいらないでしょう。
そういう意味では、建築設備設計を行わない設備設計一級建築士は不要だと思います。
一級建築士で、建築基準法に適合する建築設備設計は十分可能なので、図面作成を外部に頼む必要は一切無いのではないでしょうか?
某所でも、設備設計の品質保証は一級建築士が負う必要は無く、設備のプロが負うべきという発言もありましたね。
そういう意味では、設備設計事務所も存在しなくていいのかもしれません。
でも設備設計事務所を一番活用しているのが、国土交通省及び官庁・公共関連企業なのが不思議ですね。
自分の首を絞めているのは誰でしょう?
> 弱電(電話・通信設備)に関しては、建築基準法上は、
> 対象外という事になっているようです。
そのようですね。
ワタクシにはとても不思議な事に思えます。
> 一級建築士で、建築基準法に適合する
> 建築設備設計は十分可能なので
法的には仰るとおりです。
実用的には、機能を果たす建築設備の「設計」ができる一級建築士は少なくともワタクシの周囲には殆どいません(特に電気設備)。
(ここで言う「設計」は、士法で言う意味ではなくて一般的な意味。)
しかも、「すべての建築設備に関して」となると……。
ワタクシが一級を取得したとしても、それは無理です。
> 設備設計事務所を一番活用しているのが、
> 国土交通省及び官庁・公共関連企業なのが
> 不思議ですね。
元請の意匠設計事務所に発注しても
設備に関しては満足な業務管理がなされていないので
直接出したほうが何かと都合が良い、
という側面もあろうかと思います。
特に発注に携わる部署としては。
現在のワタクシは、
・アーキテクト(建築家)
・エンジニア(技術者)
・法律家
3つの立場の明確な分離が望ましいと考えています。
本来は、建築士自体が技術者資格な訳ですが、試験内容から、計画・法規・構造・工事監理に関する知識しか試験されていませんでした。 設備に関しては、計画の一部として基礎知識を試験しているだけで、もともと建築士に設備技術者としての能力は求めていなかった訳です。(建築士法でも試験内容は建築設備に関しては基礎知識しか求めていません) いろいろな経過から、建築設備士は設備技術者の資格として制定されましたが、設計資格は一級建築士のみに残されました。 当時は設計責任は単独設計者である建築士との意見が優先されたからです。 審議会でも設計責任は建築士しか負えないとの意見から、設備設計一級建築士が誕生する経緯となりました。 しかし、講習に対する付与から、設備設計能力がどこまで審査されるかは未知数なのは確かです。(建築基準法関連法規適合性に関する知識はそれなりに審査されると思います)
実際、一級建築士として、建築設備設計経験5年以上であっても、建築設備士の意見を聴いて設計していたなら、設備設計能力が本当にあるのかは不明です。
建築設備技術者協会会長の牧村氏は、設備設計一級建築士は建築設備設計の法適合性の確認が主要な業務で、建築設備設計については建築設備士の技術的協力で補完すべきとの談話を行っていますが、国土交通省の意図もそこら辺にあるのかもしれません。 従前どおり、空調・衛生・電気・その他の設備技術者・建築設備士の協力で、建築基準法に適合した建築設備設計を設備設計一級建築士が行うか、法適合性確認する事が目標なのかもしれません。
そう考えると、審議会の議事やパブリックコメントの回答に対して深読みしすぎていたのかもしれません。
もしや、
設備技術者は「設備設計資格」が無い。
設備設計一級建築士は「設備設計能力」が無い。
などと言うことになると、笑い話ですね。
ちゃんとなると良いのですが。
> 建築設備設計の法適合性の確認が主要な業務
であれば、そういう名称にすべきでした。
なんとも紛らわしい名称に思います。
パブリックコメントでは、高度な設備設計に関する知識を持った一級建築士が、一定規模以上の建築物では設計を行うべきで、なおかつ建築全般の知識を持っていない建築設備士では不十分と回答しています。
12月19日の審議会の議事録では、建築設備士としての5年以上の業務経験(建築士に意見を聴いてもらう事)があれば、設備設計の技能については、十分で、法適合性の確認の能力のみ審査する必要があると、述べられています。
建築設計の全般的な知識=一級建築士+法適合性の確認能力+高度な設備知識<建築設備士=設備設計一級建築士という事になるかと思われます。
そういう意味では、少なくても建築設備士+一級建築士+指定講習修了>一級建築士+指定講習修了となりそうです。
したがって、設備設計能力に関しては、建築設備士≧設備設計一級建築士となる訳です。
これは、あくまで資格審査レベルでの話しで、個々のレベルがそうなるという意味ではありません。 資格としてはそういう風にしか判断できないだけです。 ウィキペディアの建築設備士の解説では、建築士は、聴きたくなければ、建築設備士の意見を聴く必要は無いと記載されていますが、もともと設備設計の知識のある人は建築設備士に意見を求めないし、逆に設備設計の知識のない建築士はどの意見を聴くか、聴かないかの判断もできないので、単なる蛇足か、何らかの意図がある書き込みなのでしょう。 単純に、設備設計の知識の無い建築士は、建築設備士の意見を聴いて設備設計を行って良いが、意見を聴いたら、その建築設備士の名前を表示しなさいよと記載すれば良いだけです。 意見を聴くか、聴かないかを恣意的に判断しろとは、建築士法にはどこにも書いていません。(むしろこういう表記をしたら、かならず建築設備士に意見を聴いてみなさいという風にも、とらえられかねません)
そういう意味では、設備設計一級建築士が設計を行う場合は、自分の専門でない分野については、それを得意とする建築設備士の意見を聴いて設計するのは禁止されていないので、牧村氏の談話もあながち変な話じゃないですね。
> 建築設備士の意見を聴いて設計
というのが、すごく引っかかっています。
例えばワタクシが一級の試験を受けて合格しても、電気設備設計に関しては何の学習にもなりません。
よって、電気設備専門の建築設備士に「意見を聴いた」くらいでは、自分で「設計」することは出来ません。
「意見を聴く」……すごく抽象的な言い回しだと思います。実質的に「設計」じゃないのか? という疑問が、いつも付き纏います。
とにかく、がむばらなくては、なりませんが。
建築設備士が、一級建築士から意見を求められた場合は、建築設備設計について、計画書・スケッチ・計算書、その他を用いて一級建築士が設計をできる資料を与えるわけです。(建築設備士は設備設計に関して、設備設計一級建築士より能力があるので、一級建築士がそのまま作図にかかれる資料を準備できるはずです)
一級建築士は適切な指示無く、設計図の作成を依頼する事はできませんが、建築設備士の意見を聴いて設計図を作成するのは、なんら問題が無いわけです。(建築設備士に意見を聴いたと、設計図書に表示するだけです)
建築設備士以外の意見を聴いた場合も、何の問題も無いのが不思議です。(何一つ表示義務も無く、自ら設計したと表示できるのです)
有資格・無能力、無資格・有能力、どちらが良いのでしょうか?
どちらも良いわけありません。
無能力者には資格を与えず、
有能力者には能力の範囲に見合った資格を与える。
当ったり前のことが、なぜか出来ない業界なんですよね。