赤い鉄橋がかかっている。
「山線鉄橋」と書かれていて
支笏湖から千歳市内を流れ下る千歳川の始点部分を
横断しているものである。
支笏湖は、秋田県仙北市にある田沢湖に続いて、
日本で2番目に深い湖であるという。
最大水深 360m、平均水深 265m と記されていたり
最大水深 363m と書かれていたり して
どちらが正確かよくわらかないけれども
深いことに違いない。
支笏カルデラに水が溜まったものであって
かつて北海道中央部を壊滅的に襲った 大噴火 の産物であるという。
現在は観光地として、その美しい姿を世界中からの来訪者に披露している。
鉄骨トラス・リベット接合の赤く塗られた鉄橋は
それ単体でも画になるものであって
それを撮る人たちもまた多い。
この鉄橋は、離れた地から移設されたものである。
碌な重機の無かった時代に
遠く空知川から、山奥の湖にまで移設してきたとは
恐れ入る。
まだ日本国内では製作できなかったゆえ、
移設して利用するしかなかったのであろう。
そして、発電所建設資材運搬用の鉄道を敷くにあたり
用いられたとのことである。
平成19年度経済産業省近代化産業遺産に、
そして2018年土木学会選奨土木遺産に
選定されている。
製作したイギリスの銘板もきれいに残されている。
1899年に、Shaft & Axletree 社によって製作されたものだと
記されている。
イングランド・バーミンガム近くの、
ウェンズベリーに立地していたものである。
この時期に、英国技師 C.A.W Pownall 設計による錬鉄製トラス橋が
日本全国に据えられた という。
表2 の下から2行目、1919年に廃止されたものが王子製紙株式会社に払い下げられて
大正13年(1924年)にこの地に移設されたと、上の看板に説明されている。
説明看板の裏面には、
200フィート・ダブルワーレントラスの青焼図があった。
これを見て、アンモニア臭を想起する人は
それなりの年配者であろう。
当然ながら、スケールはインチ・フィート単位である。
CADの無い時代であるからして、すべて手描きである。
構造計算にも、コンピュータは使用できない時代。
昔の人たちの個人としての技術力や知識は、
凄いものがあったのだと思う。
現代は現代で、いろいろな知識の集積や電算機を利用して
更に進んだ技術を社会に提供しているのだけれども
身1つで開国したばかりの極東の国に出向いて
近代化に貢献した多くの欧米の技術者たちのようなことができる
現代人は多くはないのではなかろうか。
いや、実際には海外協力隊などとして、
現在でも多くの技術者が、各国で多大な貢献をしているのかもしれない。
建築の片隅の、建築設備の一番隅っこの欠片のホコリの一粒として
ほそぼそと糊口を凌いでいるだけのワタクシにとっては
縁遠い話ではあるのだけれども。
(「山線鉄橋」おわり)