散策路は今回が最終回である。
散策路の南端に、幼稚園跡がある。
旧洞爺湖幼稚園である。
この幼稚園も、関わる人たち全員が避難していたため
負傷者などは1人も生じることなく難を逃れている。
しかし、建物と敷地とは、
旺盛な火山活動の直撃を受けて大きなダメージを負った。
そしてその様子を、そのまま保存して
散策路に組み込んであるのだ。
灯油タンクやガスボンベに火山弾が直撃して炎上でもしていたら
このような遺構は残らかなったであろう。
ちょうど噴石の飛来方向の陰であったのも
幸いしたであろうか。
少量危険物の責任者名は「とうやこようちえん」で
よろしかったのかどうか。
一般的には責任者名を記入すべきところと思われるのであるが。
ガラスが割れているのは、経年劣化、というわけではないように思わえる。
電力量計が剥がれ落ちかけているのは、どうだろう。
どちらとも考えられそう。
外装も、被害による損傷と
経年劣化によるものとが同居していそう。
短管パイプで柵はこしらえてあるが
比較的近くで観察することができるのだ。
ありがたいことなのだ。
散策路沿いの各所に、このような説明板が設けられていて
すこぶるありがたいし、わかりやすい。
「無差別爆撃の戦場のような光景でした」
この看板が設けられた当時は、
飽くまで比喩としての表現だったのだけれども
現在のウクライナ戦争の状況を見ると
もはや現実である。
ただ、襲ったのが人類によるミサイルではなくて
噴石・火山弾による質量攻撃であったこと。
爆発物ではなかったことが
実際の戦場とは趣を異にしている部分ではある。
火口を向く側には、大きな孔が開いている。
噴石による孔が、経年により広がったものか。
当たった部分は損傷しているが
当たっていない部分は健在。
スピーカーも、照明も、直撃されていなければ無事である。
被災後十年余を経て、植物も育っている。
「そのまま保存」という方針により、
手を加えられることなく、
育つがまま放置されている。
自然の生命力というものは
人類が考える以上に強いものなのである。
内部を見てみる。
と言っても、近寄れる部分の窓際から
ちょっとズームで撮っているだけだが。
屋根もあちこちぶち抜かれている。
もちろん外壁もガラスも
そこかしこがぶち抜かれている。
外壁にめり込んだままの石も、
そのまま残っている。
直撃を免れたFFのトップは
誰が見ることがなくとも
その陰を外壁に伸ばす。
当時通っていた園児と保護者にとって
思い出の幼稚園の無惨な姿は
心を痛める対象かもしれない。
しかしそれとともに、
誰一人被災することなく無事であったことの
記憶ともなろう。
園庭に置かれていたバスの車体も
そのままである。
バスとして稼働していたものか、
その役目を終えて遊具、あるいは物置として
置かれていたものなのか。
これとは別に、
送迎に使用されていたと思しきバスも
遺されていた。
車輪が半分ほど埋まっているのは
沈下したものか、火山灰等により埋まったものか。
鋼製の遊具を
火山弾が直撃した様子がわかる。
じつは、敷地一面に
数多くの火山弾が散らばっている。
文字通りの「無差別爆撃」状態であった。
まあ、爆発はしないので
「無差別落石」ではあるのだが
昔の大砲による質量攻撃と何ら変わることはない。
園庭に、大小さまざまな火山弾が
今もそのままめり込んでいる。
園庭中央のひょうたん池の水面が
土地の傾きを示している。
「建築設備」にもいろんなスケールのものがあって
巨大な冷却塔や熱源機器に圧倒されることがあるけれど
地球規模の活動とは比ぶべくもない。
「ジオパーク」
なんてものにも、たまに目を向けてみたい。
(「西山山麓火口散策路(5)」おわり)