破壊された住宅 Destroyed Homes も遺されている。
看板の絵だとすぐ隣であるが、
少々下る。
House ではなくて Homes って訳すんだね。
家庭が破壊されちゃってる感がするんだけどね。
まっすぐであった国道は見るも無惨。
もはや道路の体を成していない。
よく見れば、アスファルトだよね。
そんな程度。
それでも、道路を構成していた(曲がりなりにも国道だ)
さまざまな構造物が、そこかしこに顔を出している。
長い年月と莫大な予算を投じて建設・維持されていた国道も
地球の威力の前には赤子も同然なのである。
そこから更に下ると、
住宅跡。
「下る」と書いたが、
現在は確かに下ることになる。
が、平地だったのだ。元々は。
住宅も、被災車両もそのまま。
所有者が、このように保存することに同意したのだ。
痛ましい被災の記憶であるのに
後世のために決断されたのだ。
とは言え、他に利用のしようもないのだから
仕方がない面もある。
それに、この噴火では犠牲者は一人も居ない。
噴火予知が的確に行われたため
(予知しやすい、素直な火山であることが幸いしている)
地域一帯の人々は全員が避難を完了していて、
人的被害なくこの噴火活動を乗り切ったのである。
(ただし避難生活の中、慣れない環境や不安などにより
体調を崩されて後に命を落とされた方は皆無ではない)
住宅や車に思い入れがあったにせよ、
人の死の記憶が結びつかないが故に
保存に賛成しやすかった面もあろう。
東北の震災においては、夥しい犠牲者が出たこともあって
震災遺構の保存に反対する方も多かったという。
記憶を伝えるために遺すということは、
腸が千切れるような苦悩を常に思い起こさざるを得ない対象物を
眼前に残し続けることでもあるのだから。
とは言え、被災した本人にとっては、
たとい人的被害がなかったとしても大きな傷であることは確かであって
東北と比べてどうの、という比較は乱暴すぎるものでもある。
第三者ゆえ、当事者ではないゆえに
当事者の痛みが理解できないのだろうという批判は
当然のことである。
ただ、目を、視線を後世に向ける時に、
少なくとも後世の人たちにとっては
実際の被害を伝える遺構が
必ず役立つはずであるという期待のもとに
「保存する」という行為を選択することが
第三者の立場としてやはり有効であると
ワタクシは思うのだ。
他の遺構と同様に
時とともに朽ちていく。
更に時間が経過して、樹木も生長していくと
やがて森に埋もれることになるのだろうか。
現在は「平地」とは呼び難いけれども
かつては、そうだった。
国道を構成していた、さまざまな構造物も
遺構である。
部分的には、もう、森に還っていると言えよう。
「ここね、昔ね、道路だったんよ」
「えー、わからん」
ミニチュア地溝帯
そんな命名が、なされていた。
プレハブ物置は無事だったの?
そう思ったけれども
あれは後から置かれたもののようだ。
散策路から分岐して踏み固めた道があったから
何らかの用があってのことなのだろう。
松の木も、すっかり立派に育ったものだ。
ケンチクも、せつびも、楽しいものであるけれど
「ジオ」もまた、楽しい。
それに、スケールがでっかい。
人類の力を超越した存在であるからこそ
そこに惹かれたりするのである。
(「西山山麓火口散策路(4)」おわり)