かつては産炭地として栄えた街である。
殖産興業の要として、
小樽港から鉄道まで敷いたくらいだ。
その産業遺産たる、炭鉱の様子が紹介されている。
真っ暗な坑道内を照らす、坑夫用ランプの充電器があった。
火花が散ろうものなら爆発の危険性があるからして
防爆タイプであったのだろう。
地中深く、これだけが頼りなのは
さぞ心細かったことと思われる。
爆発、火災、落盤その他の事故により、
犠牲者はたびたび生じていたという。
明治初めに炭層が発見されてから、
90年後の昭和34年にピークを迎えた人口は
6万人を超えたという。
が、石油へのエネルギー転換により炭鉱の閉山を迎え
人口の流出が進み、
2023年5月1日現在の市内人口は7,614人となっている。
ピーク時の12%である。
全国の産炭地が同様で、
人口が激減した自治体では、
各種行政サービスを縮小し、
人口規模・予算規模に合わせた市政へと転換を迫られる。
人間社会において、
経済は重要な要素である。
食い扶持があれば、人が集まるし
食いっぱぐれるようになれば、人は離れていく。
少なくとも、最低限の生活が成り立つだけの収入基盤がなければ
そこに住み続けることはできない。
地方の少子高齢化が、過疎化が、限界集落化が問題とされるけれど
経済、すなわち生活が成り立たないのだから、当然のことなのだ。
国全体としても、そうなのだ。
こんど発行される新一万円札 の肖像が渋沢栄一である。
明治期の日本を「食える国」にした功績は
やはり相当に大きなものなのであろう。
時代とともに、社会は変わり、産業構造は変遷し、
経済の牽引力も変化していく。
だから、人もそれに合わせて変わらなければならない面は
必ずある。
「昔は○○だったから」
とか、
「自分は△△のままで良いのだ」
とか、
頑として変化を拒絶するのは
どんなもんだろう。
主義主張とか、アイデンティティとか、
たとい死んでも変えたくないというものは
あって当然だろうけれども、
冷静に客観的に見ると、
じつは大した事のない事柄について
無駄に頑固であるだけだったりすることも
多いんじゃないだろうか。
そゆわけで、
「ケンチク」の人たちも、「せつび」を吸収しようよ。
いつまでの「建築付帯設備」として脇に追いやるのはやめようよ。
一体として機能しなくちゃ、成り立たないモノなんだからさ。
「せつび」の人たちも、それを包含する「ケンチク」全般について
目を向けようよ。
確かに、建築物の内臓であり頭脳であり神経であり、
重要な要素だという自負はその通りだと思うんだけど、
そこ「だけ」に固執し続けるのは、どうなのよ。
いつだって、どんな分野だって、
スペシャリティとゼネラリティとは
両方必要なんだから。
かつての花形産業の衰退を思い、
つれづれ。
(「炭鉱街の衰退」おわり)