じつのところ、利用者はあまり意識していない。
いや、意識させないところにこそ、
その設備の存在意義があったりする。
それが無い状態になって初めて
その存在価値が意識される。
それで、良いのである。
たとえばこの空間に
照明器具が無かったらどうであろう。
そりゃ、暗いさ。見えないさ。
それだけではなくて、
ブラケット照明、ダウンライト、間接照明を組み合わせた
この光加減(暗めなので、低性能コンデジではこの程度にしか写せない)は
それぞれ特徴を持った照明器具(と内装)によって
醸し出されるものである。
ただ、利用者はそれをいちいち言語化して意識したりしない。
「いい雰囲気だね」とか「何か感じ悪い?」とか
無意識下に感じ取るものなのである。
天井面のブリーズラインも、しかり。
暑いとか寒いとか感じられてしまうようでは
その本領を発揮しているとは言いかねる。
「特に気にならない」状態を維持してこそなのである。
スピーカーも、
「音質がイイねぇ」とか「配置が良いから聞きやすいね」とか
「ちょうど良い音量だね」とか意識されることはない。
「そうではない」状態の時にしか、
人々の意識にはとどまらない。
いわんや、スプリンクラをや。
火事にでもならない限り
決して働くことはない。
働くような事態は、無いほうが望ましい。
そんな場面は、本来は有ってはならない。
そんな存在。
誘導灯だって、そうだ。
「なんか、視界の邪魔」くらいには意識されそうだけれど
煙に巻かれた際の唯一の避難への希望であることは
その場に遭遇した人にしかわからないのである。
(最近は、防災体験できる公共施設 もあったりする)
設備じゃないけれども、
天井点検口なんかもそうだね。
建物の利用者には全く関係ないものだけれど
建物の状態を維持したり改修したり調節・点検したりする際に
必要となるものだ。
これなんかは、人々の意識に登りようもない。
天井裏に隠れて住み着いてしまおうなんていう輩か、
設備屋くらいなものだ。
一所懸命に探そうとするのは。
室内の温湿度環境を
人知れず検出して調節してくれるものも
比較的こっそりとついている。
今は無き、山武ハネウエル製である。
だいぶ古い建物になると、
かなり大きな検出器(あるいは調節器)がついていたりするけれど
現在はこのくらいの大きさだ。
将来的には、もっと小さくなるのかな。
こうやって露出でつけたくなければ、
リターンダクトにでもダクト挿入形の製品をつけることになろう。
とにかく、
建物内にはいろいろ付いているんだ。
設備系の、もろもろが。
いや、憑いてるんじゃないからね。
(「ついているもの」おわり)