2022年07月23日

嘗て此処は住宅地であった

荒浜小学校から、さらに東。

海岸よりの場所は、ほとんどが空き地である。


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道路が整備され、下水道も通っているようだが
他はわからない。


災害危険区域に指定されているから、
住宅は建てることができない。


事業所関係も、敢えてここに建てる事情があるところは
それほど多くあるまい。


それゆえか、「公共利用ゾーン」として整備されている途中であった。


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嘗ての住宅地は、
瓦礫が片付けられ、整地され、
今は広い広い空地となっている。


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震災遺構仙台市立荒浜小学校から
東に向かって歩いて行く。


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嘗ての街並みを紹介する石碑が設けられていた。


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津波に耐えた橋桁を渡って、更に海側へ。

すると、住宅跡が震災遺構として保存されている場所に行き着く。


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津波のエネルギーによって、
上屋はすべて流され破壊されてしまったが
基礎は結構残されていた。


瓦礫撤去と整地に伴い、基礎類も除去されていったが
一部このように遺されているのだ。


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荒浜地区の街並みの、ほんのごく一部であるが
このように保存されている。


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ここに住んでおられた方は
無事に避難されたのであろうか。


そうであったとしても、
そうでなかったとしても、
該当者には辛い場所であることだろう。


しかし、遺すことを選択していただいた。


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尊いことであると思う。


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関係者であれば、
布基礎の形状からかつての間取りをありありと思い起こし
平穏無事であった頃の記憶が去来することであろう。


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向こうに見える4階建てが、
荒浜小学校である。
決して、それほど遠くない。

が、途中に視界を遮る建物が無い分、
余計に近く見える。



小学校脇にあるバス停は終点で
折り返し荒井駅行きのバスとして出発時間まで待機しているのであるが
既に停まっているのが見える。


うかうかしていると、乗り遅れてしまう。
となると、更に1時間、ここに滞在しなくてはならない。

が、それは困る。次の予定は、あるのだ。



近そうに見えて、意外と距離のある道のりを
息を切らせて戻ることになった。


バスの時刻は、ちゃんと確認していた。


ただ、意外と距離があった。

自分の体力の無さについて認識不足だった。


それだけなのだけれど、
なんとか間に合った。

結構ギリギリ。
(「嘗て此処は住宅地であった」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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