フェンスが巡らされていたようだ。
震災遺構として整備後も、
屋上に出ることができる。
元々は高置水槽室か何かであった、塔屋から
屋上に出る。
震災後に設けられたと思われる、各種設備が付加されている。
引込開閉器盤が、ここにあった。
消火栓のテスト弁はもう使われていないはずだ。
津波情報伝達システムは
震災後のものであろう。
太平洋を、臨む。
松が数本残っているが
海岸までにあった殆どのものが失われたために
ずいぶん海が近く感じられる。
山側(西側)を臨む。
説明パネルが何枚か設けられている。
フェンスは、元々からあったはずだが
多少は手直ししているだろうか。
小さいハト小屋と、電線管。
浸水はしていないけれど、錆びている。
海風は、じゅうぶんにやってくるから。
ファンでも置いてあったであろうか。
フェンス基礎の水抜き穴。
たくさん、たくさんある。
フェンスがところどころ切ってあるのは
撮影用だろうか。
たしかに、カメラを構えるには便利であった。
津波襲来時に、仙台東部道路の土盛が大きな現在機能を果たしたことから
かさ上げ道路の重要性が再認識されている。
ワタクシも震災約半年後に現地を訪れた際に、
道路の東西で被災状況が大きく異なるのを目の当たりにした。
現在は、農業ビニルハウスや事業所の建物が建てられていたりするが
住宅は無い。
かつては、この方向にも多くの住宅が立ち並んでいたのであるが
現在はその面影はない。
繰り返すが、ここは住宅地だったのだ。
すべて、すべて流されてしまった跡なのだ。
校舎の南側。
荒浜地区の街が、完全に消失しているのだ。
長い時間を掛けて、津波による瓦礫を少しずつ除去し、
道路を再整備し、
インフラを再興し、
現在は公園造成中ということである。
仙台市が指定する災害危険区域 の、
第5号区域:津波による危険の特に著しい区域で市長が指定するもの
に該当するということなのであろうか。
区域図 には詳細の住所が書かれていないけれども
荒浜地区は丸々該当しそうだ。
第5区域では「住居の用に供する建築物を建築してはならない」となっている。
校舎西側のかさ上げ道路より西の部分は
上記第5区域からはずれ、住宅も建築可能のようだ。
土地代は安くなったのかもしれないが、
敢えてここに住宅を建てるのは
勇気があるのか、無謀なのか、先祖代々の土地から離れがたいのか、
それぞれ個別の事情があることだろう。
東北各地には、かつての大津波到達地点を鑑み
「此処より下に家を建てるな」という石碑 が建てられたりしていたという。
現代は条例なども「石碑」の役割を果たすのであろう。
そして、各地の 伝承施設。
喉元すぎれば……
そういうことにならぬようでありたい。
(「屋上から見た荒浜地区」おわり)