2022年07月22日

屋上から見た荒浜地区

荒浜小学校では、もともと屋上に出られるように
フェンスが巡らされていたようだ。


震災遺構として整備後も、
屋上に出ることができる。



元々は高置水槽室か何かであった、塔屋から
屋上に出る。


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震災後に設けられたと思われる、各種設備が付加されている。


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引込開閉器盤が、ここにあった。

消火栓のテスト弁はもう使われていないはずだ。



津波情報伝達システムは
震災後のものであろう。


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太平洋を、臨む。


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松が数本残っているが
海岸までにあった殆どのものが失われたために
ずいぶん海が近く感じられる。



山側(西側)を臨む。


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説明パネルが何枚か設けられている。



フェンスは、元々からあったはずだが
多少は手直ししているだろうか。


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小さいハト小屋と、電線管。


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浸水はしていないけれど、錆びている。

海風は、じゅうぶんにやってくるから。

ファンでも置いてあったであろうか。


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フェンス基礎の水抜き穴。


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たくさん、たくさんある。



フェンスがところどころ切ってあるのは
撮影用だろうか。


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たしかに、カメラを構えるには便利であった。



津波襲来時に、仙台東部道路の土盛が大きな現在機能を果たしたことから
かさ上げ道路の重要性が再認識されている。


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ワタクシも震災約半年後に現地を訪れた際に、
道路の東西で被災状況が大きく異なるのを目の当たりにした。



現在は、農業ビニルハウスや事業所の建物が建てられていたりするが
住宅は無い。


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かつては、この方向にも多くの住宅が立ち並んでいたのであるが
現在はその面影はない。


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繰り返すが、ここは住宅地だったのだ。

すべて、すべて流されてしまった跡なのだ。


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校舎の南側。

荒浜地区の街が、完全に消失しているのだ。

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長い時間を掛けて、津波による瓦礫を少しずつ除去し、
道路を再整備し、
インフラを再興し、
現在は公園造成中ということである。


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仙台市が指定する災害危険区域 の、

第5号区域:津波による危険の特に著しい区域で市長が指定するもの

に該当するということなのであろうか。

区域図 には詳細の住所が書かれていないけれども
荒浜地区は丸々該当しそうだ。


第5区域では「住居の用に供する建築物を建築してはならない」となっている。


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校舎西側のかさ上げ道路より西の部分は
上記第5区域からはずれ、住宅も建築可能のようだ。


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土地代は安くなったのかもしれないが、
敢えてここに住宅を建てるのは
勇気があるのか、無謀なのか、先祖代々の土地から離れがたいのか、
それぞれ個別の事情があることだろう。



東北各地には、かつての大津波到達地点を鑑み

「此処より下に家を建てるな」という石碑 が建てられたりしていたという。



現代は条例なども「石碑」の役割を果たすのであろう。

そして、各地の 伝承施設



喉元すぎれば……


そういうことにならぬようでありたい。
(「屋上から見た荒浜地区」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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