2022年07月21日

津波の記憶と伝承

荒浜続きで申し訳ないけれど
せっかくなのでもう少しご紹介する。

心に響く事が多かったものだから。

そういう事って、あるでしょ?


津波の浸入を受けなかった3階と4階では、
避難スペースとして、児童・職員・地域住民が過ごした。

一度屋上に避難して、どうやら3階以上なら大丈夫だという目算がついたから。


3月である。屋上で過ごすのは、寒くてかなり厳しかったことであろう。



現在は、3階は保存スペースということで見学に供されていない。
4階は、交流活動室として一般市民に貸し出されている部分と
伝承のための展示室になっている部分とがあった。


22072101.JPG


『津波しぶき』も無く、普通に利用できる空間となっている。


22072102.JPG


3階は階段室部分で仕切られて、
説明板が貼ってあるのみであった。


22072103.JPG


津波1週間後の手記が、当時の情景を語る。



4階教室の黒板には、多くの寄せ書きがある。

22072104.JPG

色あせた写真も多数貼ってあって、
持ち主・関係者は持っていってください。そう書いてあった。



当時の在校生、卒業生のメッセージ、
連絡事項、その他が残っている。


22072105.JPG



震災前の空撮写真には、
多くの住宅が並ぶ荒浜地区が写っている。


22072106.JPG


黄色の文字下が、住宅地の端に建てられた荒浜小学校である。

校舎以外のすべてが喪われたが
かつての街並みを模型で復元しようというプロジェクトが
2014年に実施されたという。


22072107.JPG


神戸大学の協力という。


22072108.JPG



いま、校舎の周囲には何もない。


22072109.JPG


1棟の住宅も残されていない。



避難時の状況も、展示されている。


22072110.JPG



現在の利用に適うように
エアコンが増設されていた。


ま、夏は暑いわけだし、冬も寒いのだから当然だろう。

22072111.JPG

元々の灯油ストーブ用の設備は
すべてダメになってしまったのだから。


地震発生からの様子が、時系列に沿って説明されている。


22072112.JPG


当時の映像を収集整理し、
学校関係者や町内会の人たちのヒアリングをまとめ、
画像と文章とドキュメンタリー映像で
今に伝えている。


22072113.JPG



高さ関係は、このようであったという。


22072114.JPG


校舎がもっと海岸に近かったなら、
4階床でも浸水していたかもしれない。


22072115.JPG


「また来る」


そう。今までも何度も何度も何度も
巨大津波は襲来しているのである。

だから、また必ず、来る。



だから、記録し、記憶し、伝承する。


22072116.JPG


当時の校長の、町内会役員の証言を含めた短編映像は
必見であると思う。


22072117.JPG


もちろん、遺構として整備するにあたり新設した設備である。


22072118.JPG


大きな災害が起こるたびに
オペレーションは改善されていく。


22072119.JPG


「避難勧告」という名称が曖昧だったから
「お勧め」じゃなくて「指示」だということを
明確にしたということだ。



こういう震災遺構は
東北地方各所に設けられている。


22072120.JPG



1ヶ所や2ヶ所ではない。
東北地方全域にわたって、
数多く設けられている。


22072121.JPG


東北地整で 震災伝承施設MAP を公開しているから
可能な限り訪れてみてはいかがであろうか。


「東北」とひとくくりにはできない、
その土地ごとの伝承があるはずである。



東日本大震災に限らない。

自然災害の多い日本では、
各地で 地震、台風、水害、噴火、その他
後世に伝承するための措置 が設けられている。



先人に学び、将来に活かす。

それによって、文字通り「生きる」ことが出来るはずだ。
「生きる」ことが突然断ち切られた、多くの方々の犠牲を教訓に学んでこそ
伝承施設の価値が確立するのである。
(「津波の記憶と伝承」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック