完全に水没した部屋は、この通りである。
それでも、流し台など原型を保っているのは
ある意味すごいのかもしれない。
天井ボードも剥がれてきている。
これらも、年月の経過とともに劣化がより進んでいくのであろう。
廊下部分は、いろいろとモノが落ちてこないようにか
鋼製枠と金網とで天井を形成してあった。
火報の感知器なども改めて設けたに違いない。
不特定多数の見学者が訪れる施設であるから。
天井ボードを留めている釘がことごとく錆びている。
この状態が、この先どのくらい保たれているものかどうか。
海水に浸かった電気系統は
もちろん全滅であろう。
流し台は、残った。
鏡は、何かがぶつかって割れたのかどうか。
トイレには入れないよう施錠されていた。
機能を失ったトイレを使われたら困るからね。
でも、設備屋としては、見てみたかった。ちょっと残念。
ちょいと、下も見てみる。
ま、錆びてるね。
被災後の写真を大きくプリントしたものが
各所に掛けられていた。
火災の危険性もあるから除去されてしまっているが
流されてきて教室内に押し込められた自動車が
何台もあったという。
天井の吊り物も、この通り。
とにかく、天井の上まで
完全に水没したのだ。
2階へ上がる階段も
片付け前は瓦礫で埋まっていたという。
海側のコンクリート腰壁が
倒されていた。
エネルギーの大きさを視認できる。
海岸線までは、少し距離があるのだが
多くあった建物は皆、失われた。
ビニルハウスとか事業所とか、
若干の建物が再建されていた。
が、住宅は皆無だ。
2階も床上まで浸水したが
水没したわけではないために
1階ほどの被害は無い。
全くないわけではないが。
元々設置されていた屋内消火栓設備は
ポンプごとダメになったのであるから
現在はパッケージ形消火設備が据えられている。
「津波しぶき跡」なのだそうだ。
2階の職員室も、床上まで浸水している。
壁面やFF暖房機表面に
薄っすらと水位が残されているのがわかるだろうか。
掃除用流しは、割れてしまったんだろうなぁ。
跡だけ残されている。
なにせ、1時間に1本だけのバスである。
その時間をにらみながらの見学であるから
気の赴くまま、じっくりと見尽くすことはできなかった。
ので、結構見逃しもあるのだが
まあ、仕方あるまい。
たいてい、そんなものだ。
(「荒浜小学校内部」おわり)