郊外の住宅地ならいざしらず、
都市部の中心部に近い場所であれば
建蔽率いっぱいに建てられたものも多くて
建物間の隙間は最小限になっていたりする。
型枠がギリギリ組める、外せる、そんな程度で。
狭いのに、じつに様々な「せつび」たちが
そこに犇めいている。
すみっコぐらし、じゃないのに。
ハムスターじゃないのに。
ダンゴムシでもないのに。
狭い所、日陰、すみっコが好きなわけじゃない。
「おまえ、あっち行けっ」
醜いから、目障りだから、邪魔だから。
「オマエなんかが居るなんて聞いてねぇよ」
そもそも、存在を認識されていなかったから
いざ取り付く段になって行き場所が無いから。
やむを得ず、こういう場所に押し込められていると言ったら
過言だろうか?
見えない所にあるから、
存在を認知されない。
認知されないものは「無いもの」として扱われる。
デザイナー、建築家、といった
重層下請構造のピラミッドの頂点に君臨する方々にとって
正常に機能して当たり前のもの。
でもその存在は見えてはならないもの。
そんな存在なのかもしれない。
そう。
多くの勲章を胸に勇ましく指揮を執る立派な将軍の足元、
船倉で足枷に繋がれた奴隷たちがひたすら漕ぎ進めるガレー船のように。
多機能、高機能、省エネ、地球環境配慮、カーボンニュートラル。
お題目のように並べられた、耳触りの良い単語の数々。
それらが、あたかもカタログショッピングのように気の向くままに選べるかのように
ふわっと捉えている方々。
相反するいろいろな条件をクリアしつつ
全体としてのバランスを確保しなければ
文字通り「お題目」にしか過ぎず、
ただ単にしわ寄せをどこかに飲み込ませているだけの「見せかけ」にしかならないことを
聞かなかったことにしたい方々。
まあ、そういう人たちがとても多いから
だからこそ「せつび」の仕事が必要であって
常に「人手不足」の業界であったりもするのだけれど。
でもぉ。……報酬が伴わないのは、なぜ?
ワタクシだってさ、
狭いところ、すみっコ、激安案件、ゴリ押し甘受、
そういうのが好きなわけじゃ、ないんだけれど。
ないんだけど、ね。現実ってものが、あるんだよねぇ。
(「狭い所が好きなわけじゃ」おわり)