2021年11月22日

こういうスペースが必要だった時代

このデッドスペースは、何?

そう思われたことはないだろうか。


21112201.JPG


それほど新しくないいろんな施設のロビーなんかに
時々見かけるコーナーである。


現在は、このコロナ禍の中にあって
除菌BOX置き場として辛うじて利用されているようである。



でも昔は、必ず設けられたこのコーナー。



ある程度の幅のあるカウンターがあって、
その下に結構な重量を支えられるだけのボックス
(もしくは棚)があって、
下方にコンセントやノズルプレートが並んでいる。

上部にもダウンライトなんかが仕込んである。

そんなスペース。



これが何だかわかる方は、
ちょっと古びた方(相当に失礼な言い回しだが)である。



携帯電話の普及に伴って、
徐々に姿を消してゆき、
現代の新築建築物には全く設けられなくなった。



公衆電話コーナー



昔々は、ここに公衆電話が並んでいたはずである。
下のボックスには、電話帳が何冊か
納められていた筈である。



現在も辛うじて生き残っている黄緑色の電話機が
至る所に設置されていた時代には、
これが無ければ始まらなかった。



待ち合わせも、家族への連絡も、タクシーの呼び出しも
別れ話も、緊急のお願いも、壁に向かって頭を下げながらのお詫びも
恐らく3台ほど並んでいたであろう公衆電話からしか
実行できなかったのである。


そして後方には、空き待ちの列があったり。


ポケットベルなる今思えば不思議な通信機器で
他愛もないメッセージを送り合うために
小銭を握りしめたJKたちが大挙して並んでいた
そんな時代が、確かにあった。



栄枯盛衰は世の常であって
そういう名残が時代とともに少しずつ姿を消していく。


入れ替わるように、次々と新しいものが姿を表して
あるものはたいそう流行り、
あるものはたいして認知されることなく人知れず消えていく。



歴史学とか考古学とか
そういう長さの時間ではないけれど、
「せつび」の観察によっても
時間の経過、時代の変遷を
わずかばかり辿ることが出来るのである。


機械であったり、出版物であったり、
生活用品であったり、衣装であったり、
「時間」「時代」を辿ることができるモノは多い。

それら一つ一つに目を留め、意識を向け、
愛情を注ぎ、哀愁を感じる。



人間って、文化って、そういうもんだよね。


目の前の利益にあくせくしているだけが
人生ではないのである。

たぶんね。
(「こういうスペースが必要だった時代」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | 電気設備 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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