2021年05月30日

浦河の赤心社記念館

北海道浦河町に、ちょっと洋風の建物が、あった。



赤心社記念館 という。


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中も見てみたかったのだけれど、
常勤職員のいる施設ではないため
役場に連絡してわざわざ開けてもらわなくてはならない。


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なので、今回は内部見学は諦めて。

ここが主要目的だったら、何としても見るのだけれど
飽くまで「ついで」だったから。



明治21年に建てられ、いろいろな用途に使われ、移築され、
現在は資料館的な役割を担っているようである。


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明治初期に、北海道開拓を目的として日本各地から入植してきて
農業、牧畜、林業、商業、教育など、開拓に大いに貢献した、とある。



現代とて、たとえば愛媛から浦河までやってくるとして、
松山空港まで出てから新千歳空港まで飛び、
そこから陸路で2時間走らなければならない。


明治初期とあらば、そう簡単に辿り着くことは出来ず
陸路と海路を乗り継いで、何日かかったことやら。


故郷の地を離れ、(各々の出身地とくらべれば)極寒の蝦夷地に骨を埋める覚悟で出るとは
なんとも思い切ったことである。


北海道各地に「郷土資料館」的な施設が存在しているが、
それらに共通して見られるのは、開拓期の困難さ、苛烈さ。


現代社会に生きる人間が、とうてい耐え得るとは思われない
数々の試練を乗り越えて今の「北海道」を形作ってきたことがわかる。



もちろんそこには、先住民であるアイヌ民族はじめとする諸民族に対する理不尽な行為や
日本各地で食い詰めた者たちがやむにやまれず開拓民として投入された悲惨や
囚人を動員した強制労働による土木工事など
負の側面も多く内包している。



いろいろな過去の経緯があって、現在がある。



それは、一人の人生然り、国の歴史然り。
決して綺麗事だけではないし、といって全てが悪事であるわけもない。

この類の施設は、そんな事どもに思いを馳せる材料の一つである。



さて、側面を見ても、「せつび」的なものは一切見られない。


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ちょろっと寄っただけで、あんまりじっくり見渡さなかったのは
今思えばうっかりであった。


裏側も、見ておくべきであった。


当時のことだ。
石炭か薪のストーブくらいしか、無かったに違いないのだが。

現在であれば、灯油ストーブくらいは
置かれているのかもしれない。



戦時中には、援農活動として学徒動員されていたとか。


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現代は、ほんとうに恵まれた時代である。


今後はどうなるのか、わからないけれども。
(「浦河の赤心社記念館」おわり)
posted by けろ at 13:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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