少しご紹介しておきたい。
エントランスからエレベーターで10階に上がったところから
順路はスタートする。
上層から、古代フロア、中世近世フロア、近代現代フロア、と
階下に行くにつれて時代も下る構成になっている。
古代フロアには、難波宮の大極殿が原寸大で復元されている。
建物(博物館)の中に、建物(大極殿)が建てられているのだ。
当時の建築様式に則った造りが忠実に再現され、
組物などの形状がよく見て取れる。
照明器具がさり気なく配置され
朱色の構造と白壁との中にあって黒塗りであり
目立たなくさせている。
当時の装束を纏った人物像が置かれ、
雰囲気がよく分かる。
重機も工作機械も電力も枠組足場も無い時代に
この大きさのものが造られたのである。
いやはや。
壁面には、これまたさり気なく
ガラリが配置されていた。
現代の建築環境は確実に実現しなくてはならないし
各種法規にも準拠しなければならないのは当然なのだ。
遷都を繰り返した理由として、
竹村公太郎氏は エネルギーと水環境と水運を挙げておられる。
なるほど、そういう視点は
義務教育では耳にしたことがなかったと思う。
建設省〜国交省の官僚技術者ならではの視点。
考古学は、
人文科学的アプローチだけではなくて
工学的なそれも必要なのだろうと思わされた。
現在は、難波宮跡地は平地に見えるが、
かつては海近くにあったものだという。
戦国時代から江戸時代を経て、
明治以降も中央(東京)とは違った発展を遂げ
大正以降現代に至る、大大阪の歴史が凝縮された施設である。
詳しくは、ぜひ現地を訪れてみていただければ。
とは言うものの、
例によって仕事のついでを捉えての見学で
あまりじっくり見られなかったのが口惜しいが
行かなかったよりは余程楽しかったのだから
良しとしよう。
比較的新しい部分で言えば、
やはり半世紀前の大阪万博に関するものであろうか。
いろんなグッズが並べられていた。
そして、タイムカプセルも保存されている。
大阪万博の開催後30年の西暦2000年に一度開封され、
その後再埋設。
以後、100年ごとに開封するらしい。
5000年後の西暦6970年って……。
日本は、人類は、地球は、
存在しているのかどうか!?
現代は、あらゆるコンテンツが電子化されてきていて
何でもサーバーにデータで保存されていてばいいや的な状況下にあるが
それでこそこのような「モノ」の価値は、
より高まっているのではなかろうか。
手紙は、数千年経ってもそこに記された文字を読み、
筆跡から感じ取り、時代に思いを寄せることができるけれども
一瞬にしてデータの海に沈んでいくメールやSNSでは
そうはいくまい。
長い長い時間の狭間の
ほんの一瞬を生きている今を思わされる
そんな、歴史博物館。
上の写真の中にもちょこちょこ写っているけれど
敢えて「せつび」も撮ってみよう。
ガラス面用の、ファンコイル(たぶん)の吸込口と吹出口。
上方には、小さめのノズル。
壁面には、縦長のガラリ。
スプリンクラヘッドや、照明器具。
結構バラバラなので、いろいろ入れようとすると厳しかった。
補助散水栓、火災報知器、消火器のほかに、
収蔵品用とおぼしき、ハロン消火設備。
近ごろ、二酸化炭素消火設備による死亡事故があった。
火災は消えるけれども、
人間は何とか呼吸できて、害もない、
放出ガスの地球温暖化効果もない、
そんな 窒素ガス消火設備 が
そのうち標準になるのかどうか。
(「大阪歴史博物館内」おわり)