2021年03月24日

放射線は見えないけれども満ちている

放射線、と一括りに呼ぶけれど、
それにはいろんな種類がある。


α線、β線、γ線と、
ギリシャ語アルファベットの名称が付けられているけれど、
それぞれ全く別のものである。


「ベクレル」とか「シーベルト」なんていう単位があるけれど
放射能の量や生物学的影響を表すものであって
放射線そのものの性質とは別である。



「おもな放射線」の説明パネルが
日本科学未来館にあった。


21032401.JPG

パネルの左にあるガラス球のようなものは
カミオカンデなんかにある、光電子倍増管 だ。



α線は要するにヘリウム原子核だし
β線、μ粒子はレプトンだし、
γ線は電磁波だ。

π中間子はクォーク2個から成っていて
すぐにμ粒子とミューニュートリノに崩壊してしまう。

ギリシャ語のアルファベットが充てられているが、
それぞれ全く別のものだ。

アルファや山、ベータはビー玉、ガンマは蜃気楼、
みたいな違い具合だ。

「放射線」の語が示す範囲は、とても広い。



これらが、いったいどれだけ空間に満ちているか、
霧箱なんかを眺めていると実感できる。



これだけ放射線だらけなのだから、

飛行機で対流圏上層を飛行するだけで
結構な被曝量になるのだから、

CTスキャンの被曝量たるやかなり多いのだから、

地球上でも場所によって自然放射線の量に結構な違いがあるから、

原発事故の放射能汚染なんて大したことない。気にする必要なし!



なんていう主張もあるけれど、
どのような放射線であるかにもよるから
一概に言えるものじゃないと思うのだ。




事故による問題点は、
自然にはあまり存在しない放射線源が撒き散らされたことなのであり、
その人体に対する影響が、短期的・長期的にどのようになるのか
確定的なことが今のところ定かではないというところにあるのだ。



無闇に恐れ怖がる必要も無いけれど、
あんまり呑気に楽観視できるようなものでも
無いはずなのである。



原子炉や加速器といった実験施設は
自然科学の発展のためには、やはりある程度必要だと思う。


21032402.JPG


でも原子炉の、発電所としての「商業運転」は、また別のことだ。
安価な電力、なんていうのは、
方法や処分先の定かではない現状では、嘘としか言いようがない。
コストの出しようがないからだ。

出せないものを「安い」などと言えはしない。

嘘を根拠に進めるものに、胡散臭さを感じないわけにはいかない。



事故の際の「風評被害」も、やはり被害の一つである。
事故が起きれば、絶対に「風評」は生じるのだ。
生じることを前提に「リスク」を評価しなければ、
意味はない。



ま、原発推進にせよ、反対にせよ、
それぞれが適切な根拠を持って議論をすべきなのだ。

科学的、社会学的、心理学的、いろんな視点をもって。

反発感情や政治や利権が絡んでくることによって、
本来持つべき視点が吹っ飛ばされてしまうから
どうにもならないのである。



ともかく、
放射線は目に見えない。

いろいろな装置を通して、
観測するしかない。


それでも、存在するものは存在するのだ。

たとい、誰もそれに気づいていなかったとしても
それは確かに在るのだ。



ちょっと、「せつび」みたいじゃない?
(「放射線は見えないけれども満ちている」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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