信号待ちの道端、
ふと脇に目をやると
春の季節感。
河川敷にある「雪捨て場」に堆積された雪山が
ブルで崩されつつ、均されつつ。
山にはまだ、雪が残ってるけれども
木々の葉はまだ芽吹いていないけれども
花の蕾は硬いけれども
すんごく春を感じるのだ。
雪があまり降らない地域であっても
春の訪れとともに
季節の進行とともに
少しずつ変わっていく様子に春を感じる。
雪のある地域であっても
たとい気温がまだまだ低くとも
冷たい風が吹き荒れることがあったとしても
「春」を感じるのである。
不思議なもので、
秋口に一桁の気温になると
「おお、冬が近づいてきた」
と感じる。
春先に、気温がプラスに転じるようになると
「なんて暖かい日だ」
と感じる。
春が過ぎて、夏日を記録するようになると
「うう、暑いぞ!」
と感じる。
(ワタクシは、暑さに弱いのである)
けれども真夏日が何日も続いたあとに
25〜26℃くらいまで気温が下がると
「ああ、涼しくなった」
と嬉しくなる。
人間の感覚とは
かくも相対的なものであるのかと
感心するものなのである。
結局のところ
本人の「感じ方」なのだ。
どうせなら、
嬉しく、ありがたく、気持ちよく感じられるように
心を向けていたいものだ。
(「春の季節感とは」おわり)
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