だから、年の表記が変わった。
とある銀行で記帳。
今日だったら、
01-5-17
と印字されるのだ。
昔むかし。
確か、平成になったときも
01-1-8
とかなっていたような。
21世紀になったときは
13-5-17
だったのだけれど、
通帳以外の文書では
01-5-17
みたいに書かれることもあって。
少々紛らわしかったり。
で、また今回
31-4-26
という日付の次に、
01-5-7
となっていた。
まあ、違和感があるのは最初だけだ。
すぐに慣れるんだろう。
『元号』というものに対しては
いろんな受け止め方があるようだ。
曰く、
「大化」以来連綿と使用されてきた我が国の伝統であり
世界各国で使用をやめてしまった元号の唯一の使用国だから
今後もしっかり使用して後世に伝えていこう。
また曰く、
元号とは、支配者が時間・時代をも支配するという象徴であり
民主主義国家にふさわしくない。
今上天皇の年齢を考えると令和も30年間くらいであろうから
また改元で面倒なことになる。
西暦への換算も非常に面倒くさいし、この際やめてしまえ。
ワタクシとしては、まあどっちでもいいや。
「換算が面倒」って、
そんな場面、あんまり無いし。
西暦から018(れいわ)を引き算すれば、
令和に換算できるし。
平成はぴったり30年だし。
そんなに面倒くさくもないのだ。
だいたい、スマホでググればすぐわかるし。
それよりも、
消費税どうするんだとか
このまま格差拡大社会になるのかとか
この期に及んでまだ原発使い続ける気かとか
いろいろ気になることが多いのだ。
とは言え。
一連の皇位継承儀式を見ていると
「政教分離」なんていう言葉が
ただのタテマエでしかないことがよく分かる。
国費が支出される多くの儀式が
宗教行事そのものであることがわかる。
(それを「伝統」と呼んで誤魔化す人もいるけど)
むしろ、そっちのほうがよほど気になるなぁ。
元号の是非なんかよりも。
(「01-5-17?」おわり)
【関連する記事】