肯定的な意見から、否定的な意見から、
まあいろいろ報道されるもんだ。
同じ字の名前を持つ人だとか
同じ音の会社名だとか
同じローマ字綴りの豪州の団体名とか
中国での登録商標だとか
まあいろいろ調べるもんだ。
ある意味暇なのか、平和だからなのか。
元号は伝統に基づき改元当日に発表されるべきだったとか、
西暦だけでいいじゃんとか、
天皇支配の象徴だから元号は無くすべきだとか、
世界で唯一の伝統を守れとか、
本当に色んな意見・思い・考えがあるもんだと
びっくりする。
ワタクシはそんなにこだわらないし、
そんなに重要なことだとは感じられないし
あれば使うし、
必要なければ使わないし、
とにかく
「○○○だっっっ!」
「△△△するべきだ!」
「□□□であるべきだ!」
あんまり、思わない。
使いたい人は使えばよいし
使いたくない人は、使わなければ良いし、
役所提出文書で書かなきゃならないなら書けばよいし、
換算は別に面倒じゃないし
(R18なんていう、便利な覚え方もすぐ提案されている)
好きにすればいいじゃん、って思う。
伝統伝統言うのもうざったいし
反対反対言うのも刺々しい。
中庸で構わないのではないか。
そんなに重要な課題であるとは
全く思えないのだ。
こんなことで侃々諤々やることに
意義を感じられない。
それならもっと、議論すべきこと、考えるべきこと、
対処しなきゃならないことが
たくさんあるじゃん。
そういうのに比べたら
元号なんて、
そんなに大騒ぎするほどのものか?
嫌いな人は、
使わなきゃ良い。
実際、戦後は『昭和』だって毛嫌いして使わない人は居たはずだ。
強制するようなものじゃ、ないだろう。
(国旗や国歌にも、そう思うけど)
古来よりの伝統を重んじる方々からすると
ワタクシのような考えを持つ者は
万死に値する非国民なのかも知らんね。
逆に、元号が嫌いだからって
他の人が好ましく思っているものを
あんまり激しく攻撃しまくるものでもないんじゃないか。
命にかかわるような
国の存続に関わるような、
重大な問題だとは思えないから。
ああ、そうか。
激しい論調で他の意見を糾弾する人たちにとっては
元号問題は命にかかわる問題なのであり
国家存続の根幹に関わる最重要課題であるという認識なのかもしれないな。
だとすると、
あんまり口汚い罵りの言を撒き散らすんじゃなくて
重要課題であると考える論拠について
懇切丁寧に意見表明したら良いんだと思う。
「価値観」ってものは人それぞれ異なるし、
でも他の価値観に触れることによって
変わりうるものでもあるのだから。
懇切丁寧に立場や考え方を表明することによって
あるいは共感を得ることができるようになるかもしれないのだ。
糾弾糾弾糾弾じゃ、
聞く耳も破壊されてしまうだろう。
とは言え。
ワタクシは『平成』も結構気に入っていた。
『令和』も、かなり気に入っている。
伝統云々、天皇陛下が云々、安倍首相が云々、
そういう一切合財を別として。
そんな程度で、いいじゃないか。
そういうあり方で、いいじゃないか。
そういうことに、させていただくのだ。
(「元号使いたい人は使えばいいし」おわり)
【関連する記事】