2019年03月11日

スカイデッキから見る仙台空港

もう、8年になる。

そう。あの地震から。


8年前、この空港は津波に襲われた。

自衛隊の練習機が流されてしまった。

地下を通るアクセス鉄道も水没した。

周囲にあった建物は
ことごとく破壊された。



震災の年の秋、訪れる機会があった。
その際には、空港は既に復旧していた

しかし、周囲では『片付け』が行われていたり
まだ手付かずだったり、
報道で見た映像がそのまま眼前に広がる光景に圧倒された。



以後何度か訪れていたが
過日は少々時間に余裕があったから
スカイデッキに上がってみた。


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この光景だけを見ていたら
当時の惨状はまるで幻であったかのようだ。



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普通に、木々や建物が見える。

その、当たり前の光景が失われていた。



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ただ、空港から街を見た景色。

現在は、何の違和感もない。



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震災後、完全に新しく整備し直された感が出ているかも。



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残っていた木、植えた木、
区別はつかない。



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本当に、平和だ。



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『当たり前』は、貴重なことなのだ。



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当たり前に、飛行機が飛んで
当たり前に、人々が行き交って。



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未だ多くの方々が行方不明のまま
残された家族それぞれの重い記憶とともに
現在がある。



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あの辺りには
飲食店も建っていたはずだ。

窓も壁も
津波にぶち破られていたはずだ。



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この、屋根構造。

「うねうね」の屋根を上から見ることができる。



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適宜、メンテナンスに歩いていけるように
通路も設けられている。

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といっても、怖そう。



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避雷導線も見えるかな。

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雨漏りしないように造り上げるのは
結構大変なことなんだろうなと、なんとなく思う。



あれから、8年。

巨大地震や広範囲の津波の被害にも
多くの人たちが立ち向かい、
ここまでの復興を進めてきている。



福島第一は、どうか。



あちらも、気の遠くなるような努力によって
震災当時よりも相当に状況が改善されていることは確かなのだ。

しかし、まだまだ途方もない困難が残されている。

原子力災害の、途轍もない影響度。



我が国は、それを許容し続けるのだろうか。

多くの立地自治体は
そこに住む人たちは、
それを『受け入れ可能なリスク』であると判断しているのだろうか。


万一の際には、
帰還困難区域として一般国民から隔離される事態も受容する覚悟を
持っておられるのだろうか。



じゃぶじゃぶ注がれる、
いろいろな名目の交付金に頼るしか
地域存続の手段が無いから仕方がないのか。



決して、立地地域だけの問題ではないはずだ。

忘れてしまって良い問題ではないはずだ。



あれから、8年。



また、次にどこで大震災が起こるかわからない。

日本は、地震国なのである。

そして火山国でもあり、
風水害の国でもある。
(「スカイデッキから見る仙台空港」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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