2019年02月02日

島松までクラークさんを見送りに行ったとさ

Boys be Ambitious!

有名な言葉である。


クラーク先生が北海道に居たのは、
わずかに8ヶ月。

しかし、今に語り継がれる多大な影響をもたらした人物なのであった。



冒頭の言葉は、
彼が離任しアメリカに帰るに当たり、
札幌から島松まで見送りに来た学生・職員たちに最後に語ったものとされている。



その地に、記念碑が残されている。



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今だから、ググればわかるのだけれど
国道から少し外れていて、目立たない場所にある。



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何かの石柱のような、オブジェ。


ついで(?)に、「寒地稲作 この地に 始まる」の碑も建っている。


肖像と言葉とが刻まれ記念されているとは
ご本人もびっくりかもしれない。

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結構細かい説明書きまでついている。

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50歳の年に招きに応じて来日したようである。

「たったの8ヶ月」の滞在であったけれども
札幌農学校以来、その言が受け継がれてきている。

北海道大学構内にも、
羊ケ丘展望台にも、
彼の像が建てられている。



なぜ、札幌から島松まで皆で一緒に来て
ここで別れを告げたのか?


それは、ここ島松が駅逓であったからだという。

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鉄道も自動車も無い時代、
馬を乗り継いで移動するために設けられた「駅逓」。

札幌からかなり距離があるが、
「丁度よい区切り」の地であったものと推察される。

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Boys be Ambitious の隣に
その建物が保存されている。


国の史跡に指定されている。

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外観だけは、見ることができる。

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屋根からの落雪で窓が壊れるのを防ぐ、囲い。



妻側は、そこまで頑丈でなくても良かったのであろう。

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造りが、何とも日本家屋だ。
寒そうである。



全く寒冷地仕様ではない感じ。

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基礎や土台も
当時のものであるようだ。

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脇には井戸もある。

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ガス灯(?)は、
当然ながら後付けであろう。



こっそりと、放水銃が設置されている。

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こういう文化財には
屋内消火栓箱をつけるわけにもいかないし。

上の、史跡の看板の裏にも写っていたのに
お気づきであろうか?


ともあれ、クラークさん。

短期間であっても
人に大きな影響を与えることができるという実例の
一人であろう。
(「島松までクラークさんを見送りに行ったとさ」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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