有名な言葉である。
クラーク先生が北海道に居たのは、
わずかに8ヶ月。
しかし、今に語り継がれる多大な影響をもたらした人物なのであった。
冒頭の言葉は、
彼が離任しアメリカに帰るに当たり、
札幌から島松まで見送りに来た学生・職員たちに最後に語ったものとされている。
その地に、記念碑が残されている。
今だから、ググればわかるのだけれど
国道から少し外れていて、目立たない場所にある。
何かの石柱のような、オブジェ。
ついで(?)に、「寒地稲作 この地に 始まる」の碑も建っている。
肖像と言葉とが刻まれ記念されているとは
ご本人もびっくりかもしれない。
結構細かい説明書きまでついている。
50歳の年に招きに応じて来日したようである。
「たったの8ヶ月」の滞在であったけれども
札幌農学校以来、その言が受け継がれてきている。
北海道大学構内にも、
羊ケ丘展望台にも、
彼の像が建てられている。
なぜ、札幌から島松まで皆で一緒に来て
ここで別れを告げたのか?
それは、ここ島松が駅逓であったからだという。
鉄道も自動車も無い時代、
馬を乗り継いで移動するために設けられた「駅逓」。
札幌からかなり距離があるが、
「丁度よい区切り」の地であったものと推察される。
Boys be Ambitious の隣に
その建物が保存されている。
国の史跡に指定されている。
外観だけは、見ることができる。
屋根からの落雪で窓が壊れるのを防ぐ、囲い。
妻側は、そこまで頑丈でなくても良かったのであろう。
造りが、何とも日本家屋だ。
寒そうである。
全く寒冷地仕様ではない感じ。
基礎や土台も
当時のものであるようだ。
脇には井戸もある。
ガス灯(?)は、
当然ながら後付けであろう。
こっそりと、放水銃が設置されている。
こういう文化財には
屋内消火栓箱をつけるわけにもいかないし。
上の、史跡の看板の裏にも写っていたのに
お気づきであろうか?
ともあれ、クラークさん。
短期間であっても
人に大きな影響を与えることができるという実例の
一人であろう。
(「島松までクラークさんを見送りに行ったとさ」おわり)