ああ、なんてこった!
というわけで。
『ウヰスキー』ではなくて『ウイスキー』であることがわかる。
樽、樽、樽。
真珠湾攻撃ではない。
ケーブルラックは、なぜこの色なのか。
ラックの割に、乗っているモノが少なくないか?
元々の構造材に、斜材など補強を追加しているかのように見える。
実際にそうなのかどうかは、わからないけれど、そう見える。
ポットスチルも、植わっている。
銅製なのだね。
熱伝導の良さが肝なんだろう。
アランビックの模型も。
今どき、アマゾンで家庭用の小型蒸留器が買えるが
昔は、そしてこの大きさは、
入手も設置も大変だったことだろう。
樽、だ。
普段かかわりが少ないから、
「バレル」の感覚がさっぱりであったが、
こうしてみると何となくわかる気がする。
原油価格は、バレル当たりだもの。
要するに、100升なんだね。
外壁面には、補強材。
元々のもののように見える。
この外壁を、面材だけで持たせるのはつらいんだろう。
こちらは、旧事務所。
大日本果汁株式会社創立当時の事務所である。
余市町の指定文化財になっている。
大「日」本「果」汁だから、「ニッカ」
どこかの国の「ニッカさん」という名前じゃなさそうだ。
ブラックニッカのラベルに描かれている、
そしてすすきの交差点にある、
あのおじさんの名前じゃないのだ。
もちろん創業者の竹鶴さんでもない。
19世紀英国の「W・P・ローリー卿」なのだという。
裏面。
いろいろと手を加え、修繕しつつ
原状を遺している。
中にあった配管と、ストレーナー、圧力計、バルブ。
蒸気暖房の配管っぽいけれど?
さて、何だろう?
貯蔵庫も一部公開されている。
石造りの、どっしりとした感じ。
中には、樽。
他に何を貯蔵するわけもない。
ちょっとした庭園も。
単なるウイスキーメーカーの創業者であろうが、
朝ドラの題材にできるくらいのドラマに満ちたその生涯。
後世にこのように伝えられるようになるとは
思いも及ばなかったであろう。
『敵国人』であった妻・リタは苦労も多かったであろうし、
ともに生きた政孝氏も、会社もまた、困難を通ったことであろう。
まあそんなことは考えずとも
なかなか楽しめる地である。
北海道余市町。
ぜひ、訪れてみていただきたい。
最後に、フォトギャラリーの紹介。
(「ウイスキー博物館と旧事務所と貯蔵庫と」おわり)