2018年11月19日

国鉄胆振線跡を辿ってみても

「胆振」って、読めるだろうか。

「平成30年北海道胆振東部地震」が発生し全国に報じられたため
「いぶり」という地名が聞き慣れた方も多いのかも知れない。


かつて、国鉄に『胆振線』が存在した。

その線路跡を
今でも辿ることができる。

「廃線跡探訪」は、
一部の人たちの中では
楽しみなイベントであったりする。



国鉄胆振線は、ネット上の資料によると
1941年(昭和16年)に伊達紋別〜倶知安間の全線が開通してから
胆振地方の輸送を担っていたが、1986年(昭和61年)に廃止されたという。

既に廃止から30年以上を経過しているが
随所にその名残を見ることができる。



kkttsibrsnat1.JPG

公園と宅地の間を、ゆるくカーブするかつての軌道は
自転車道・遊歩道として整備されている区間がある。



一時期は、札幌〜千歳〜苫小牧〜室蘭〜伊達紋別を経て
胆振線経由で倶知安〜余市〜小樽〜札幌と循環運転する
急行もあったという。


車社会が発達して鉄道が廃れ、
人口が減少し、高齢化が進み、
今やその当時の様相は全く見られない。

kkttsibrsnat2.JPG

のどか、というか、うら寂しいというか、
そんな光景が延々と続くのみである。



縦版で撮ると、
同じ場所でも少しイメージが変わると聞いて
試してみた。

kkttsibrsnat3.JPG

どうだろうか?



ここはきっと、
踏切跡なのであろう。

kkttsibrsnat4.JPG



羽幌線跡のように、
国道沿いに時々構造物が垣間見られるような位置関係にはないようで
そんなに目立たなく感じる。

けれど、探して歩けばこのように見出すことができる。

平成も終わりに近づくこの頃、
昭和の遺構を探訪してみるのも
なかなか楽しそうではないか!
(「国鉄胆振線跡を辿ってみても」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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