2018年10月04日

小樽市総合博物館本館の展示模型

小樽市総合博物館本館内部にある模型展示が
なかなかおもしろかったから、
ご紹介しておく。


かつて北海道は、国内有数の産炭地であったから
富国強兵・殖産興業の礎として
国内各地に送り出されていた。

北海道の鉄道は、そのために敷設されたのである。



石炭積出用の高架桟橋の模型が圧巻。

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模型も凄いのだが、
これを実物で造ったんだから、もっと凄い。
しかも明治44年(1911年)のことである。

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現代のインフラ整備では重機や装置が大活躍であるが、
昔は人力・馬力に頼るしかなかった。

鉄道橋の架橋は、それはそれは大変な事業であっただろう。

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何をするにも、人間の「手足」によるのだから。

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これらの建設のために
多くの囚人たちも駆り出されていった。

「駆り出す」というか、
実際には「強制労働」。

いろいろな犯罪(中には政治犯も)で収監されていた者たちが
鉄道や道路や農地の整備のため各地に送り込まれ
病気や事故や寒さで命を落としていったという。

懲役のはずが、実質は死刑であった……という例も
少なくなかったようである。

樺戸集治監も、その1つである)



あの重たい蒸気機関車(と炭水車と客車)を支えるために
この木材で大丈夫だったんだろうか。

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大丈夫だったり、ダメで事故って造り直したり、
まあいろいろあったんだろう。

当時の設計者は、
現代のようにコンピュータを駆使した構造計算ができなかったわけだから
経験と勘とに頼るしかなかったであろう。

むしろギリギリを狙う現代の設計と異なり
相当な余裕をみた造りになっていたと言えるかも知れない。



蒸気機関車は、
「走るボイラー」

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ワットさんが蒸気機関を発明してから
世界の産業・交通が飛躍的に発展した。

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『発展』は、文明社会の質の向上にとってとても良いことであるのだが
それに伴って失われてしまったモノも少なくないのかも知れない、とも思った。
(「小樽市総合博物館本館の展示模型」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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