全面運休していた札幌市営地下鉄が動き出した9月7日
大通駅の改札脇を通りかかったのである。
同じ市内でもまだ通電していない地区が少なくないせいか
ずいぶんと人出が少ないように感じられた。
少ないけれども、
まあ、普通の人たち。
ラフな格好の人もいれば、
仕事着のスーツの人もいれば
大人も子どもも、普通に歩いている。
通路だから。
そんな地下通路の中央に、
撮影クルー。
画像には写していないけれど、
普通に人々が行き交っている地下通路。
そこに、ヘルメットを被って長靴を履いているレポーター。
この画に、清田区の液状化で傾いた住宅の画像をつなげると
まるで札幌市全域が、大通公園も含めて、
どこもかしこも液状化で酷いことになっているような印象になるまいか?
今までにも、いろんな災害について報道されてきた。
そしてたぶん、それらの報道はみな真実なのだ。
真実なのではあるが、
真実の「一部」だということだ。
「一部」をどのように切り取り、
どのように編集して
どのように伝えるかによって、
本来そこにある「真実」が、
必ずしも正確には伝わらなくなるんだろう、と感じたひとときであった。
「北海道地震」という呼称が
すっかり定着した感がある。
マグニチュード6後半の規模の地震で
こんなに広域な名称で呼ぶことに
何のメリットがあるんだろう。
風評被害で観光客のキャンセルが相次ぎ……なんて報道しているけれど
その「風評」を一生懸命形作っているのが
他ならぬ「報道」なんじゃないかと、
「真実」の「一部」の切り取り方に失敗した結果なんじゃないかと
すごく思う。
そして。
今までおこなわれていた各地の災害報道も、
きっとこういうことだったのだろう。
政治や経済に関する、いろんな報道にも
そういう面が必ず潜んでいるのであろう。
そうだ。
ワタクシは知っていたはずだった。
いわゆる「姉歯事件」に端を発した建築士制度改革(改悪?)の経緯を見ていて
痛切に感じてきたのではなかったか。
「報道」を目の敵にしたりする必要はないし
丸々疑ってかかるべきではないと思うけれど、
「報道」という行為に潜む落とし穴については
いつも気にしておかねばならないと
改めて感じた次第である。
「そんなの、気にし過ぎ」と思う方がおられたら、
国会中継のライブを一通り見た後で
テレビや新聞でどのように報道されるのかを
見てみたらよいのではないかと思う。
特に、ご自分が詳しい分野に関する話題であれば
そこに生じる「違和感」に気付かれるのではあるまいか。
そんなこんな思いを抱くきっかけとなった撮影クルー。
彼らは彼らで、
ほんとうに一所懸命、真実を伝えようと頑張っているのであると思う。
だからこそ、受け手も「真実をしっかりと把握する」ように
全力で頑張る必要があるのだと思うのだ。
ただただ受け流していちゃ、
いけないんだろう、と思うのだ。
(「報道されるのは一部であって全部ではない」おわり)