記事やら個人ブログやら見るにつけ
自信に溢れた「筆者」が多いことに驚き訝しむ。
「〜〜〜だっ!!!」
「……に違いない!」
「◯◯は愚かだ、バカだ、アホだ」
「△△は無知だし何も考えていない」
「×××すれば、うまくいく」
書店に行っても、
ビジネス書コーナーや自己啓発コーナーのPOPやカバーに
そんな語調の題名が踊りまくっている。
時として、
リアル人脈の中でも
その博識と権威とご自身の成功体験を
滔々と語ってくださる方もおられる。
みんな、凄いなぁ。
どうしてそんなに、自信に満ちているのだろう。
「〜〜〜だと思うけど」
「……なんじゃないかと感じる」
「◯◯の言うことに一理あるかも知れないけど、自分は賛同できない」
「△△よりも少しベターな考えだと」
「×××すれば、概ねよさそう」
こんなタイトルの本だと買ってもらえないし、
そんな題の記事じゃ読んでもらえないし、
話を聴いてもらえないし、
力強く断言してしまったほうが
インパクトがあって、関心を持ってもらえるから
仕方がないのであろうか。
ただ、
そんな「自信に溢れたモノを書く人たち」が
実際そのとおりの人なのか、
営業上の作られたキャラなのか、
そこまではわからない。
たとい本人と会って話をしたとしても
その人物の本質を探り当てるような芸当は出来ない。
その心のうちのどのような性状が
表に出てきているのか
人間観察能力の低いワタクシには
知る由もない。
その語られた内容も
普遍的真実なのか
その人の周囲における特異事例なのか
時間と場所が限定された事項なのか
そういう細かい分析をしてこそ信憑性が明らかになろうというものであるが
そんな分析をするだけの情報を持ち合わせていない。
かくして、
いろんな「自信にあふれた言説」に振り回されることも
出てくるのである。
設備関係であれば
「省エネ」の類にそんな臭いを感じたりする。
某番組に出てきた「匠」なる方々の中に感じることもある。
政治であれ経済であれ経営、技術、雑学、科学であれ
あらゆる分野に、満ち溢れていることであろう。
ワタクシは、
いろんな事柄に自信を持ち合わせていない。
いろいろと、
適用範囲やら境界条件やら例外事例やら
あれやこれや思い巡らし始めてしまうと
張っていた虚勢もすぐに萎んでしまう。
まあたまには
そういう存在があっても良かろう。
そんなのダメだと断言する方々も多かろうが
存在するものは仕方がないのだ。
受け入れていただくしかあるまい。
「受け入れられない」のであれば
そういう方々と距離を置いていくしかあるまい。
世の中、
力の強い人、声の大きい人、態度の大きい人が
表に出てくるように出来ているのであろうから
それはそれで良しとしよう。
それでも、
力の弱い者、声の小さい者、臆病な者も居て
生き、動き、存在しているという事実は変わりはしない。
ワタクシのような
天の邪鬼で面倒くさい性格の者も
きっと一定程度存在するはずだ。
そんなワタクシが
「自信にあふれた人たち」の中において
どのように過ごしていくのが正解なのか。
試行錯誤しつつも
未だ有効な解を見いだせずにいるのである。
うん、
我ながら、厄介なヤツだなぁ。
(「自信にあふれた人が多いなぁ」おわり)