実を言うと、そんなに広いところではない。
だから、結構すぐに見終わってしまうはずだ。
実際、後から後からやってくる見学者たちは
どんどん入れ替わっていってしまう。
けれど、
このテのモノに目がないワタクシのことである。
放っておけば、
いつまででも眺めて暮らしていそうだ。
そうは言っても、
時間的制約が無いわけじゃない。
となると、テキトーなところで切り上げなければならなくなる。
牧牛舎もあったのであるが
ここは駆け足になってしまった。
この中には、
いろんな「マシン」が展示されている。
じっくり見始めたら
これまた楽しそうだったのであるが
少々後ろ髪ひかれながら退散することとなる。
まあ、またいつか見に来られたら。
でもね。
「いつか」と言っていたら
その日は大抵やって来ない。
人間、そんなに長く生きる生物ではない。
たとい150年生きたとしても、
たぶん過ぎてしまえば「あっという間」と感じるはずだ。
先日お会いした60歳代の方が話しておられた。
「自分もこの歳になって、
あとどのくらい生きるのか、と考えるようになった。
今まで『そのうちに行けたら』『そのうちに出来たら』と
思っていることがたくさんあったけれど、
残り時間を考えると『行けない』『出来ない』ように思える」
それで、いろいろ思いついたことをリスト化して
1つ1つ消化していこう、と考えたそうである。
大きな事だけじゃなくて
「ちょっとした事」も含めて。
たとえば、
「近所のあの店の○○を食べる」とか
「いつでも行けると思って行っていなかった
車で1時間ほどの景勝地」とか。
これって、
若者も同じじゃないだろうか?
若いうち、体力のあるうちにしか
出来なこともあるだろうし。
『命短し恋せよ乙女』だ。
タトイオトメジャナクテモ。
(「牧牛舎には、機械類。命短し恋せよ乙女。」おわり)