沙流川にかかる橋の脇に
河川名の看板が立っている。
日高地方は競走馬の産地である。
それゆえに、馬が疾走する絵が描かれている。
看板は表(どちらを表と呼ぶのか、よくわからない)が漢字書きで、
裏(以下同)は平仮名書きとなっている。
……なっているのだが。
最初これを見た時に、
すごい違和感を感じたのである。
「さる」なのに、馬の絵なのである。
「さる」? 「うま」?
はっきりと認識していたわけではないが、
どうやらそのあたりの混乱が生じてしまっていたようなのだ。
何度か見るうちに、
だんだん慣れてきたけれども、
それでも拭い去ることの出来ない違和感が僅かに残る。
理屈では、わかっているのである。
「沙流川」の「さる」であると。
なのに、絵の「馬」からくる視覚情報が、
その認識の邪魔をする。
背景が猿の絵だったのなら
きっと平気なのだ。
たとい語源が全く関係なかったとしても。
人間の「認識」というのは、
不思議なものだ。
理屈もあるのだろうけど
理屈だけで推し量れないものがありそうだ。
(「拭えない違和感をもたらす看板」おわり)