2018年01月17日

山村の簡易水道に公共工事を思う

山また山、という山村。

そんな所も、居住者が居る限りにおいて
インフラは必要だ。


簡易水道施設を見つけた。

ymksmrnknisidu1.JPG


山また山、ではあるが
その中でも標高の高い場所に
水処理・配水施設が位置していた。



生活用水だけではなく、
農業用水も必要である。

特に稲作には不可欠だ。


よって、各所に「溜池」が点在する。

ymksmrnknisidu2.JPG

ただ水が溜まっていれば良い、というものでもない。


貯水された水が、
上から下へ、
各田地に滞りなく供給されなければならない。


水路と、水門。

もちろん、水を抜くことが出来るように
排水ルートも確保されねばならない。

そのように、造られている。


日本全国、
古来よりインフラ整備を進め続けて
現在が有る。


数億円から、大規模になると数千億円の費用を要する「工事」は
ともすると「金食い虫」「建設業者がウマい汁を吸うための資金源」的な
捉えられ方をすることもある。


しかし、いくら金がかかっても
必要となるものも、ある。

受益者が限られるがゆえに、
「公平性」「公共性」という意味で
疑問を持たれるものもあり得るし、
費用対効果という面で必要性に疑義が生じる場合もあろう。


建設関係の団体が、
「受注量確保!」とか
「切れ目のない、潤沢な工事発注を!」
と主張することに対して
「自分たちの金回りの都合ばかり言いやがって」と
非難する向きもあろう。


「その金を、こういう部分の福祉に回せば……」という
他費目とのバランスも考慮せねばなるまいし、
景気や税収の兼ね合いもあろう。


しかし、
すべてを経済だけの視点で語るのもどうかと思う。



小泉政権の頃から、
公共工事に「メリハリ」がしっかりつくようになってきたと感じる。

もっと言えば、
「出すときには出すが、出さないときには思い切り削る」
という感覚が強くなってきたように感じる。


いろんな分野である程度の事業量・投入資金が確保されていた状態が崩れ、
工事自体もいろいろと選別が進んだ。
「財政の硬直化」を打破するという意味で、
方向性としは正しいのであろうと思う。

民主党政権の「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズを経て
「公共工事=悪」のようなイメージが醸成され、
景気の低迷も相まって
「工事」がかなり減った。

工事に携わる「業者」も減った。
「職人」も「現場技術者」も「設計者」も減った。


震災、景気対策、選挙対策、オリンピック開催決定などにより、
一気に事業量が増えたりしたが、
一度減った「工事関係者」はいきなり増やすことはできない。

促成栽培は、ある程度は出来るにしても
限りがある。


かくして、
上記の人材は現在枯渇しているように思われる。



確かに「工事」には、カネがかかる。
カネが必要な分野はたくさんあるから、
工事ばかりにかけるわけにはいかない。

「工事業者の存続のため」に公金を投入するなど
もってのほかとも言えよう。

しかし、何もかも「市場原理」で考えてしまうと
「技術の継承」「一定規模の機動力の確保」が
できなくなってしまう可能性もある。

いくらカネをかけても、
手に入らないモノは、ある。

いわゆる「経済」「経営」の専門家の方々の中には
このあたりの事を考慮されない方もおられるように思う。


山中を訪れて、
とりとめもない公共工事論を独りごつ、
一介のしがない「せつび」担当者なのであった。
(「山村の簡易水道に公共工事を思う」おわり)
posted by けろ at 11:00| Comment(0) | 土木工事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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