2018年01月15日

抜海には遺跡がある

抜海岬のそばに、遺跡がある。

小山の上に、岩が突き出している。

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稚内市の指定文化財でもある。

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「抜海」は、「ばっかい」と読む。「BAKKAI」である。

続縄文、オホーツク、擦文文化期の土器などが出るということであるから、
かなり古くから人間が住んでいたのである。

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夏期はともかく、
冬期の気候の厳しさといったら
おそらく多くの日本人の想像を絶する。

今のような科学技術も交通の便も燃料もない時代に
生活する人たちがいたのである。

しかし、千島・樺太地域に住んでいる人たちにとっては
まだまだ温暖で過ごしやすいと感じられるのかもしれない。


地方自治体としての北海道が整備する道である「道道」沿いに有るため
道路に見られるマンホール蓋は北海道庁の出先機関が設置する。

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「稚内土木現業所」とある。

地名の異なる、各現業所の名を鋳出した蓋が、
全道各地に存在している。

蓋の地名によって、管轄を知ることができる。



もう少し南下すると
「浜勇知園地」がある。

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コウホネ沼に面していて、
天候が悪いとひたすら寒々とした雰囲気になる場所である。

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晴れていると、
海に浮かぶ利尻島が見えるはずである。

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見ての通り、海が荒れているくらいだから
うっすらとしか見えない。


冬期、
冬型の気圧配置が強まると
それはそれは凄まじい様相となる。

幌延まで南下したあたりには
「浜里パーキングシェルター」が
設けられている。

文字通り、シェルター。

ここに避難しないと危険なくらいの気候になるのが
このあたりの特徴なのだ。


なのに、有史以前から人が住んでいた。

古代人の生活力、スゴい。

それに比べると、
現代人は何とひ弱な……と言われてしまいそうだ。
(「抜海には遺跡がある」おわり)
posted by けろ at 09:00| Comment(0) | 設備一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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