昭和2年に留萠駅〜羽幌駅間で開業して以来徐々に延伸され、
留萠〜幌延間の全線開通が昭和33年。
141.1kmの長大路線であったが、
国鉄分割民営化直前の昭和62年(1987年)3月30日に廃止された。
JR北海道に引き継がれること無く姿を消した国鉄線である。
廃止後30年も経過すると、
もはや跡形もないかと思われるのであるが、
豈図らんや、その痕跡は至る所に残っている。
軌道跡は、
国道沿いに、また国道を離れて、
認めることができる。
土砂崩れや雪崩により
崩壊した部分もあるだろうが、
長年の風雪に耐え、
原型を留めている部分もまた
残されているのだ。
かつては踏切であったと思われるが、
今は、道路で分断された「土手」でしかなくなっている。
土地の所有権は、
国鉄清算事業団を経て
今は一体どうなっていることやら。
トンネルも、
そのまま残されていたりする。
一部の橋脚は、
このように歩いていける。
安全性は全く担保されない。
そもそも、歩くことは推奨されない。
右と左の土手は、
小さな橋脚でつながれていた筈だが、
これでは最早何の痕跡やらわかりはしない。
廃線跡を辿っているのでなければ、
ただの地形でしかない。
多くの人力に頼って造成された
軌道のための盛土跡とは
露にも思うまい。
人間にとっては、
30年は長かろう。
しかし、歴史の中では
本当に一瞬でしかないのだろう。
日本国内における社会経済状況は、
廃線当時とは激変したことであろう。
しかし自然の営みは、
多大な影響を受けつつもそれらを包含し
やがて自らの一部として取り込んでいくかのようだ。
『温故知新』という言葉がある。
故きを温めるのも
いろんな感傷に浸れて
良いのではなかろうか。
『廃線跡』は、
その格好の題材であろうと思うのだ。
(「旧国鉄羽幌線を知っているだろうか」おわり)