『日本一小さな市』ということ。
面積ではなくて、人口が少ないのです。
かつて、石炭が主燃料であった時代には、
大変栄えたということです。
川沿いの狭い土地に炭住が密集していた頃には
ものすごい人口密度で、
昭和23年には総人口4万6千人を記録したとか。
しかし、石炭から石油へのエネルギー転換が進み、
炭鉱も次々と閉山していく中、
昭和56年には1万人を割り、
平成19年には5千人を割り、
平成29年4月末の人口は、3,494人(うち、外国人4人)。
この街の、マンホール蓋。
市章が鋳だしてあります。
通りの街灯。
人口が10倍以上であった頃の面影は、
僅かに残されています。
しかし、一所懸命に見出そうとしなければ
見落としてしまいそうなものも多く。
石炭を運び出すために引かれ、後に国有化された歌志内線も通っていましたが、
民営化後の1988年(昭和63年)に廃止されました。
かつて栄えた商店街は見る影もなく、
それでも、元気な子どもたちの声も聞こえてきて、
いろいろと思うところの多い訪問でした。
(「歌志内市のマンホール蓋と街灯」おわり)
【関連する記事】