2016年10月18日

根性論の押し売りは、イヤだ。

何事かにチャレンジする場合、
「諦めさえしなければ、成就する」
「成功するまでやり続けるなら、失敗に終わることなど無い」

そんな、根性論が語られる場合がある。


それは、ある程度真実性を帯びているんだと思う。

けれども、絶対的なものでもない筈だ。


簡単な例。


司法試験は、受験できる回数に制限がある。

だから、いくら諦めなくても、その回数だけ失敗したら、The End.
やり続けたくたって、法がそれを許さない。

……と書いてから念のため調べてみたら、
もう1回法科大学院を修了するとか、もう1回予備試験に合格するとか、
チャンスが無いわけじゃないのね。
どえりゃー大変(時間的&金銭的)ではあるけど。




一方で、何回でも受験できる資格、というものもたくさんある。
そういうものについては、確かに受かるまで受け続けろ、というのは
説得力があるかも知れない。

本人に、それだけのモチベーションがあり、
周囲の事情も許すのであれば、
それはそれで尊い努力だとは思う。




何に重きを置き、
何を優先するか。

人それぞれの価値観があり、
人生観があり、
将来ビジョンがあるわけだから、
他の方のことをとやかく言って操縦しようなんて、
おこがましいんじゃなかろうか。




だから、あんまり、自分の価値観『だけ』を
押し付けないで欲しいと願う。


意見として、
貴重なアドバイスとして、
一つの事例として、
ありがたく承ります。

「ありがたく」という事に、
決して嘘偽りは無い。

実際のところ、
本当にありがたいのだ。



だけどね、私の人生を生きるのは、私自身。
いろんな方々の意見やアドバイスを聴いて
参考にするんだけど、
最終的に自分がどうするか決断するのは
自分自身。

現在の自分の状況に鑑み、
あれこれ取捨選択して決定して、
その結果が良かろうが悪かろうが、
そのケツを持たなくちゃならないのは、
自分自身。

必ずしも、
助言者のアドバイス通りにするとは
限らない。



アドバイス通りにしたから、
うまくいくこともある。
それはそれで、感謝しよう。

アドバイス通りにしたばっかりに
失敗してしまうこともある。
それはそれで、恨みっこなし。

助言者だって、神さまじゃないんだから。
私の全ての状況を正確に理解した上で
最適な助言が出来るとは限らないんだから。


なので、
アドバイスを参考にしつつも、
考えて決断するのは、自分自身。
良くても悪くても、
それの結果を生きていくのも
自分自身。




助言者は、責任を取っちゃくれない。

うちの家庭がどうなろうが、
経済がどうなろうが、
彼らは知ったこっちゃない。
「自己責任」と言うばかりなんだから。




根性論が好きな人は、
それはそれで良いじゃないですか。

あなた自身が、
頑張って下さい。

その人が寝食を忘れ、
全てを投げ打って努力するのは
構やしない。

「すごいね!」

賞賛するよ。




でもワタクシは、
そんなに根性がないから、
体育会系の根性論は嫌い。
(体育会系の方、すみません)


頑張ることは良いことだと思うし、
一所懸命に努力することも尊いと思うけど、
家族を犠牲にして、
家計の維持を放棄して、
人生の全てを賭けて、
たとえば「たかが資格試験程度のこと」に
臨むなんて、
馬鹿げている。
(自分にとっては、ね)

人生を賭けるならば、
もっと(自分にとって)価値ある(と感じられる)モノ・コトに賭けたい。



「もしも今度受験に失敗したら会社を辞める」
そう宣言して、
退路を断って、
背水の陣で臨めば
結果は自ずとついてくる……って、
どういうこと?

ご自分でそれをやるのは勝手だけど、
他人にそれをやれって言うの?

他人の人生を、何だと思ってるの?

それを正面から受け止めてしまって、
実行してしまって、
破綻してしまったら、
どう責任を取ってくれるの?


そんなカタストロフィを煽る方って、
幸せに生きておられるのかなって
ちょっと心配になったりする。


自分が諸先輩にいびられて育ったから、
理不尽な苦しみの中から這い上がってきたから、
後輩達も同じようにいびり抜いて、困難に陥れて、
そうしたら自ずと成長していくもんだと
無意識下に考えているのかも知れん。


他の方々が、そこまでして取り組まれるのは、
それはそれで尊重するけれど、
自分自身には、
そんな価値観は無い。

「すごいね」とは思うけど、同時に
「自分は、絶対そんな事はしないし、したくない」とも思う。

それを、
「根性無し」と嗤う方もいるんでしょう。

「向上心が無い」とか
「安易に流れる」とか
「覚悟が足りない」とか
上から目線で怒鳴りつける方もいるんでしょう。


まあ、仕方がないね。
それが、その人の価値観だし。
それが、その人の人生なんだし。


でも、こちらには押し付けないで欲しいなぁ。

たとい何かを諦めるとしても、
それを非難しないでもらいたいなぁ。

こちらには、こちらの事情があるってもんだし。
こちらには、あなたとは異なる価値観があるんだし。

まあ、非難したきゃ勝手にすれば良いんだけど、
付き纏って罵り続けるってどうよ、って話。



あなたにとっては、瞳の中に入れても平気なくらい大切なモノだったとしても、
ワタクシにとっては、そこまで価値あるもんじゃない。

まあ、「豚に真珠」くらいに思っていてくれれば良い。

「価値がわからんのか?」

いや、自分なりに理解した上で、
他のモノと比較して、
あればあったで役には立つかも知れんけど、
無きゃ無いで、それなりに何とかなる。

少なくとも、酸素ほどには大事じゃないんだ。



ワタクシが大事にしていることだって、
あなたにとっては、「どうでも良いこと」なのだから。

逆もまた、然りなのだよ。


このあたりの『相対性』が、
わからん人がいる。
アインシュタインも、びっくりだ。
ノーベル賞を取るような知見じゃないんだが。



八甲田山の当事者には、
なりたくないんだ。

南洋の島々で玉砕させられた兵士達には
なりたくないんだ。

無理して山頂を目指した挙句に遭難して
数十年後に氷漬けで発見される事には
なりたくないんだ。

だから、引き返すんだ。


進むのも勇気だけど、
撤退するのもまた重要な決断だし、
とても勇気が要ることなんだと
ちょこっとでも理解してもらえればいいんだけれども。


まあいいや。
どうせ、理解なんか、したくないんだろうから。


あまりにも「独りよがりな」(と感じる)助言者とは、
お互いに距離を取ったほうが、
お互いのために精神衛生上良さそうだ。

あんまり気を遣いすぎるのも、
お互いにとってよろしくない。

その助言者たちだって
「オレの助言を聞かないやつらには構ってられない」
って思うだろうし。


いいんだよ。
構ってくれなくて。


いや、違うな。
「お願いだから、構ってこないで」
だな。


買いたくなったら、呼ぶからさ。
押し売りは、ゴメンだぜ。
(代償も高すぎるんだよ)
(「根性論の押し売りは、イヤだ。」おわり)
posted by けろ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築士試験 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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