努力しさえすれば、
諦めさえしなければ、
絶対に叶う。
そう熱く語る方が居ます。
一方で、
何かを諦める。
そういう方もまた、
居るものです。
継続→善、断念→悪、とは限らない
いろんなことを目指して頑張っている人にとっては、
少々衝撃的かも知れません。
「やればできる」なんて大嘘、必要なのはやめる勇気。司法試験に20代の9年間を費やしたからこそ言えること。
http://www.mihoshiblog.com/entry/2015/03/04/235328
そんな記事を読んだんです。
ある事柄を、
続けることも、
やめることも、
結局は本人の考え方、思い、価値観、
そういったものによって、
その良し悪しが決まるのであって、
続ける → 良いこと
やめる → 悪いこと
そんな単純な構図じゃないんだなと
しみじみと感じました。
ちきりんさんのインタビュー
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20160615
第1話から、第6話(最終話)まで。
自分自身が、
それに対してワクワクできるのかどうか。
苦しくてもつらくても、
それでも諦められないほど、
その事が好きなのかどうか。
単に、
『つらいほど、嬉しい』
という趣味の方なのか。
やっぱり、人それぞれだと思うなぁ。
善意のフリした押し付けは、いやだ
「○○たる者、かくあるべし」
なんて、
自分自身を鼓舞するのは勝手だけれども。
他の人にとって、本当に励ましになるのなら、
それも良いけれど。
自分が如何に苦労したか、努力したか、
アピールに夢中になる余りに、
他人を追い詰めてしまうのはどうかなぁ。
うん、
頑張れるなら、
頑張ってみるのも一つの道だと思うよ。
ただ、
鬱入ってる時にそれをやっちゃあ、
逆効果。
余計に状態が悪くなるのね。
自分にとって、
これは頑張りどころなのか、
逃げどころなのか、
自分にしかわからないこともあるし、
自分ではわからないこともあるし
他の方のご意見も参考にした上で、
納得行くまで
足掻いてみるしかないのかも知れないなと
今は思っている。
他人がどう言うから、じゃなくて、
自分がどう考えるから、という
自分自身で、アタマを使って、
考えなくちゃならない。
評価しなくちゃならない。
ちきりん&梅原大吾
『悩みどころと逃げどころ』
小学館新書
参考になりました。
でも、
居るんだよね。
『鬱なんて甘えだ』
とか、
『アレルギーなんて、食べて治せ』
とか。
そんな感じの、
恐ろしい思い込みで、
他人を追い詰めてしまう人。
本人は善意のつもりで、
悪気が無いっていうのが、
とっても厄介。
先の大戦(応仁の乱の事じゃないよ)で突っ走った軍部って、
案外そんな感じだったのかも。
(「やめるのも、勇気、なんだろうさ」おわり)