2016年07月07日

やめるのも、勇気、なんだろうさ

どんなことだって、
努力しさえすれば、
諦めさえしなければ、
絶対に叶う。

そう熱く語る方が居ます。


一方で、
何かを諦める。

そういう方もまた、
居るものです。



継続→善、断念→悪、とは限らない

いろんなことを目指して頑張っている人にとっては、
少々衝撃的かも知れません。


「やればできる」なんて大嘘、必要なのはやめる勇気。司法試験に20代の9年間を費やしたからこそ言えること。
http://www.mihoshiblog.com/entry/2015/03/04/235328

そんな記事を読んだんです。



ある事柄を、
続けることも、
やめることも、
結局は本人の考え方、思い、価値観、
そういったものによって、
その良し悪しが決まるのであって、

続ける → 良いこと
やめる → 悪いこと

そんな単純な構図じゃないんだなと
しみじみと感じました。


ちきりんさんのインタビュー
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20160615
第1話から、第6話(最終話)まで。



自分自身が、
それに対してワクワクできるのかどうか。


苦しくてもつらくても、
それでも諦められないほど、
その事が好きなのかどうか。


単に、
『つらいほど、嬉しい』
という趣味の方なのか。


やっぱり、人それぞれだと思うなぁ。




善意のフリした押し付けは、いやだ


「○○たる者、かくあるべし」

なんて、
自分自身を鼓舞するのは勝手だけれども。

他の人にとって、本当に励ましになるのなら、
それも良いけれど。

自分が如何に苦労したか、努力したか、
アピールに夢中になる余りに、
他人を追い詰めてしまうのはどうかなぁ。


うん、
頑張れるなら、
頑張ってみるのも一つの道だと思うよ。

ただ、
鬱入ってる時にそれをやっちゃあ、
逆効果。
余計に状態が悪くなるのね。



自分にとって、
これは頑張りどころなのか、
逃げどころなのか、


自分にしかわからないこともあるし、
自分ではわからないこともあるし

他の方のご意見も参考にした上で、
納得行くまで
足掻いてみるしかないのかも知れないなと
今は思っている。


他人がどう言うから、じゃなくて、
自分がどう考えるから、という
自分自身で、アタマを使って、
考えなくちゃならない。
評価しなくちゃならない。



ちきりん&梅原大吾
『悩みどころと逃げどころ』
小学館新書

参考になりました。



でも、
居るんだよね。

『鬱なんて甘えだ』
とか、
『アレルギーなんて、食べて治せ』
とか。

そんな感じの、
恐ろしい思い込みで、
他人を追い詰めてしまう人。


本人は善意のつもりで、
悪気が無いっていうのが、
とっても厄介。

先の大戦(応仁の乱の事じゃないよ)で突っ走った軍部って、
案外そんな感じだったのかも。
(「やめるのも、勇気、なんだろうさ」おわり)
posted by けろ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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