世界一の治安を誇り、国全体に将来への希望がなんとなく
感じられた時代は、過去のものとなってしまったかのようです。
殺人事件はあって当たり前で、報道の無い日のほうが少ないのではと感じるくらいです。
そして、年間4万人と言われる自殺による死者。(未遂は遥かに多いのでしょう。)
生きるために海外渡航移植や臓器売買、未承認薬の個人輸入、
ありとあらゆる手を尽くす人がいて、
また、事件や事故に巻き込まれて不本意な死を遂げる人が多くいる一方で、
自ら生命を断ち切る人たちも多くいる。
「軽い気持ちで」という人は少なくて、
たいてい「やむにやまれず」「苦しみぬいて、悩みぬいて」
その決断をするのでしょう。
でもね、そこで一度冷静になってみては、いかがでしょうか。
たしかに、苦しいのでしょう。生きていけないほどの悩みに苛まれているのでしょう。
けれども。
勝手に思い込んでいませんか?
「死んだら楽になる」って。
ホントに楽になれますか。
誰がそれを請け負ってくれるのでしょうか。
死んでみたことがないのに、なぜ楽になるって思えるのでしょうか。
もしも、そうじゃなかったら、どうするつもりなんでしょうか。
生きている間なら、「やり直し」の可能性はありますが、
死んじまってから、「やっぱ生きる」と言っても、引き返すことはできません。
そんなことを考えると、たといつらくても、厳しくても、
「死のう」なんて選択肢を取ることはできないんじゃないかな、と思います。
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銀行で10万円借りて、返せなくて、督促が来て、困って、悩んで、とにかくこの苦しみから逃れたい、とサラ金から借りて銀行に返済。
銀行の借金が返せなかったのだから、高金利のサラ金に返せるアテもなく、利子が利子を生んで、借金が増える一方。激しい督促と恫喝に耐え切れず、困って悩んで、ヤミ金から借りてサラ金に返済。
サラ金の借金が返せなかったのだから、ヤミ金に返せるはずもなく。
・・・借金地獄のパターンですよね。
一時的に、苦しみから逃れた「つもり」でも、それは一瞬のこと。
さらに苛酷な苦しみが待っています。
「とりあえず、サラ金に返した。ホッとした。楽になった。」
それは、ただの思い込みに過ぎないはずです。
後のことを考えない、「現実逃避」。
それが、更なる苦しみをもたらすのです。
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もろもろの苦しみから解放されたくて、「死」を選ぶとき。
その後は大丈夫だという保証は、誰もしてくれません。
死ぬのに勇気がいる、決心がいるのは、「死」の向こうに、決して「楽」は待っていない、ということを本能的に感じるからなんじゃないでしょうか。
「他人のために、愛する人のために、自己の犠牲を厭わない。」
そういう死と、
「現実からの逃避」
としての死とは、その後の結果におのずと違いがあるように思ってしまうのですが、それはやはりワタクシの思い込みでしかないのでしょうか。
人を殺すことは、ふつう許されませんね。
「人」には、他人だけではなくて「本人」も含まれていると思うのです。
自殺=殺人
そんな風に思ってしまう、今日この頃なのでした。
(「何を、苦に?」おわり。)
【関連する記事】
けろさんの記事読んでてこの映画を思い出しました。
↓
http://www.cinema-tohoku.co.jp/machiai/index.html
札幌公開は12月なんですが見たいなぁって思ってます。
こういうささやかな一言で思いとどまる方も大勢いるような気がしてます。
廻りの人々にも他人を思いやる気持ちがもっともてれば年間何万人もの方が命を落とすこともなくなるように思えるのですが・・・・・・
おっしゃる通りで。
ワタクシも、360°全方向に思いやりの気持ちをもてたらいいなと思うのですが。
でも実際には、前方を思いやるつもりで、後方を見落としてしまうことも多々。