2006年09月26日

『設計・監理』って、なんだろう。

建築士法第2条の定義。

「設計図書」とは、建築物の建築工事実施のために必要な図面(現寸図その他これに類するものを除く。)及び仕様書を、「設計」とはその者の責任において設計図書を作成することをいう。

と書かれています。また、

「工事監理」とは、その者の責任において、工事を設計図書と照合し、それが設計図書のとおりに実施されているかいないかを確認することをいう。

と決められています。

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『サントリーミュージアム[天保山]は、安藤忠雄氏の設計である。』

・・・と言うとき、この「設計」には、何が含まれているのでしょうか。


安藤忠雄氏は、このミュージアムの工事実施のために必要な図面及び仕様書を、自身の責任において作成したのでしょうか。

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たとえば、衛生設備設計図。

給排水の引き込み、システムの決定、管材質や保温塗装仕様の決定、ポンプの選定、管のサイズ選定、配管ルートの決定などなど。

彼は、(外注したとして)これらについて目を通し、理解し、自身の責任において判断し、印を押したのでしょうか。


たとえば、空調設備設計図。

冷暖房システムの決定、熱源方式の決定、燃料の選定、負荷計算、熱源機器要領の決定、空調機類の決定、配管類ダクト類のルート及びサイズの決定、ポンプ類・送風機類の選定、弁類・ダンパー類の選定、放熱器類の選定、などなど。

彼は、これらすべてについて目を通し、理解し、自身の責任において判断し、印を押したのでしょうか。

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「設備は、専門家にまかせているから。」

だとすると、彼の「責任において設計図書を作成」したことになりません。


「設備の内容は、『現寸図その他これに類するもの』だから。」

だとすると、「設備の設計」は、いわゆる「設計」に含まれないことになります。
であれば、「設備の設計」は建築士法上の「設計」ではないので、誰が行っても構わないはずです。
でも「建築物の建築工事実施のために必要な図面」のはずですよ。
設備設計図がなければ「工事実施」ができないんですから。


「そういう各分野を統括するのが『設計』なのである。」

・・・法律には、そう書いてありません。
「その者の責任において設計図書を作成すること」と明確に書いてあります。
「見てない」「知らない」「見てもわからない」「任せてある」では、「その者の責任」を果たしているとは言えません。
もしも、よくわからずに印だけ押してあるとすれば、それは「メクラ判」ですし、禁止された「名義貸し」でしかありません。

実際に、札幌市においてマンションの構造設計を二級建築士に外注した元請の一級建築士に関して、「実質的に構造設計を無資格者に行わせていた」と認定されています。
「『よくわからんかった』は認めないよ」ということです。

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「監理」についても、同様。

「その者の責任において、工事を設計図書と照合し、それが設計図書のとおりに実施されているかいないかを確認すること」と明確に書かれています。が、実態はどうでしょう。
「この設備設計図と設計図書とを照合して確認した」と施主に胸を張って言えるような監理が行われている現場が、どれだけあることでしょう。

電気設備設計図通りに盤が製作されているかどうか、確認できているんでしょうか。
数千万円する冷凍機の仕様が、設計図で求めている通りの能力であることを確認できているんでしょうか。(まさか、「能力何kW」の確認だけ、なんてことはないですよねぇ。)

実態としては、そのへんは「施工業者を信頼して任せてある」という状態なのではないでしょうか。


(なお、安藤氏は有名な方ですので、例として出しただけです。ただ、それだけです。他意はありません。)

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「建築士制度」を抜本的に見直そうと、国の審議会が答申を出しました。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha06/07/070901_2_.html


設備設計をやっている多くの設備技術者も困るんですけど、意匠屋さんも困ったことになると思うんですよ。この通りになると。

文字通り、「その者の責任」が問われるんですから。


本来的には、「実際にやっていることに関して、その範囲で権限を持ち責任を負う」というのが自然な形じゃないかと思うのですけれども。


あんまりあちらこちら背伸びして権限を持ちすぎると、責任が負いきれません。
それだけのウツワ(天才的能力)が伴わないと。


建築に関しては、プロジェクトの統括者(いわゆる「建築家」ですね。)と、各専門領域の技術者とに分けるべきだと思うのです。

「芸術家」と「技術者」を兼任するなんて、ものすごく不思議な事ですもん。

建築士法第2条の定義は、見直しをしたらいいんじゃないでしょうか。
この定義を生かしたままである限り、あちこちに不都合が出てくると思うんです。


この定義どおりに「設計・監理」を行える「設計監理者」なんて、たぶんほとんどいないのですから。

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建築士法第2条の定義(案)。


「設計図書」とは、建築物の建築工事実施のために必要な図面(現寸図その他これに類するものを除く。)及び仕様書を、「設計」とはその者の責任において設計図書を作成することをいう。「設計統括」とは、その者の責任において、各設計図書の内容につき、芸術的及び技術的に統括することをいう。


「工事監理」とは、その者の責任において、工事を設計図書と照合し、それが設計図書のとおりに実施されているかいないかを確認することをいう。「統括監理」とは、その者の責任において、工事及び工事監理が適切に行われるように統括することをいう。


第3条、第3条の2、第3条の3において、「設計又は工事監理をしてはならない。」の部分を、「設計統括及び統括監理をしてはならない。」とする。

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つまり、建築プロジェクトには、全体を統括するプロジェクトマネージャーとしての「建築士」が必要。この「建築士」は、ある程度の技術的素養を備えた芸術家であって、その職能に対して業務独占の権限を付与する。

建築にかかわる各要素技術に関しては、それぞれの専門家を適宜集めて、建築士の統括の元で全体に調和を与える。

建築には、これからも新しい要素が付加されていくので、技術の進展に応じたふさわしい技術者を、各々の領域から集結させれば良い。

例えば、構造設計や構造に関する監理は、構造技術者が担当したほうが、より詳しく、より的確に設計監理を行うことができるはず。

電気設備の設計や監理も、電気技術者が担当したほうが、より詳しく、より的確に設計監理を行うことができるはず。

統括者としての建築士は、それらを的確にまとめ上げる能力が必要なのであって、それぞれの要素技術を完璧に理解する能力は必要ではない。
(というかそんな能力を持つことは天才じゃなきゃムリ。)


消費者の立場から言っても、そのほうが、信頼できるんじゃないでしょうか。

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「建築士」って、政府における「内閣総理大臣」のようなものだと思うのですね。

「日中国交正常化は、田中角栄首相が成し遂げた」

と言う場合、田中首相は責任者としての役割を果たしているわけです。
実際の外交交渉は、たくさんの外務省の官僚たちが難交渉をまとめ上げていたはずです。


総理大臣が、各省庁の課長クラスがやっている仕事の一つひとつに精通している必要はないですよね。
各大臣の権限で処理している内容の一つ一つを把握する必要はないですよね。

ただ、大枠をつかみ、必要に応じて詳細にまで踏み込んだ政策も実行していく。
それが、「総理」たるゆえんです。

ピラミッドの頂点に立つ者は、ピラミッドの末端まですべてについて責任は持つけれども、実務遂行能力まで持つ必要はありませんよね。


「光の教会は、安藤忠雄氏の設計」
「サヴォア邸は、ル・コルビジェの設計」

と言う場合も、同じだと思うのです。
彼らが、そのプロジェクトの代表者。統括者。ピラミッドの頂点。

統括者を支えた、無名の技術者たちは、別に存在するわけなのです。

構造や設備や電気の技術者たち、材料や機械類や工法の専門家たち、実際の納まりを検討する意匠図作成技術者たち、積算技術者たち、施工の技術者たち。

彼らの領域を、「統括者の独占業務」に組み入れるのは、どだい無理な話ではないかと思うのです。

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あるいは、「建築士」は、スポーツで言えば「監督」のようなものかもしれません。

選手より打てる監督、選手より良い球を投げる監督。

そんな監督は、いません。てか、必要ありません。


運動能力という点では、監督よりも選手のほうがはるかに優れています。

しかし、監督の仕事はそもそも「競技をする」ことではないのです。
競技をする人たちを「統括する」ことなのです。
競技をすること自体が目的なのではなくて、競技で「勝つ」ことが目的なのですから。

監督には、「勝つためにどうするか」という仕事がある。

監督になるために、走ったり投げたりする試験があったら、どうでしょう。

それは、選手のための試験。

監督を選ぶためには、不適切です。


「名選手、必ずしも名監督ならず。」
「名監督、必ずしも名選手たらず。」

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政府における、内閣総理大臣。

スポーツにおける、監督。


「建築家」を志す人たちが求めているのも、こういう立場なのではないでしょうか。
というか、意匠設計の人たちって、まさにこういう立場で仕事をされているのではないでしょうか。


実態としてそうなんですから、法律的にも合わせていけたらいいと思うんですけど。


(「『設計・監理』って、なんだろう。」おわり)
posted by けろ at 13:13| Comment(6) | TrackBack(0) | 建築士制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その通りと思います
Posted by 東急不買 at 2006年09月26日 13:31
東急不買さん、ご来訪ありがとうございます。

建物って、いろいろあります。
だからこそ、いろんな専門家がきちっとかかわって、それぞれの分野でしっかりと役割を果たすことが必要だと思います。

重層下請構造の設計・施工が当たり前の現代日本では、なかなか難しいのかも知れませんが。
Posted by けろ at 2006年09月27日 01:44
私もそのとおりだと思います。
(すごく読み応えがある文章でした〜。ひゅ〜!)

私の担当教授は、

【建築家というのは、総合プロデューサー】

ということをいつもおっしゃっていました。
Posted by Rayno at 2006年09月27日 18:10
Raynoさん、コメントありがとうございます。

> 【建築家というのは、総合プロデューサー】
と、建築家は思っているし、そうありたいと願っているのですから、そういう法律にしたらいいのにな、と思います。

なのに、ぜんぜん違う方向に進んでいるように思えてなりません。

建築家協会では、「特定意匠建築士」もつくるべきだ、と提言していますが・・・。
Posted by けろ at 2006年09月28日 11:38
ぶふっ!(ゲホゲホゲホッ)
特定意匠建築士・・・ですかぁ・・・
多分、それでは、建物つくれないですよね。

【木を見て森を見ず】

まさしくそうなってしまうと思いますねぇ・・・
Posted by Rayno at 2006年09月28日 13:28
失礼。
「特定計画建築士」でした。
22日に、JIAより北側前国交相に提出、と報道されていました。

どうなる、「建築士制度!?」
Posted by けろ at 2006年09月28日 16:11
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