換気システムの場合は、どうでしょうか。
各部屋に、必要な換気を行うこと。これは、当然の事です。
しかし、全体のことも考慮する必要があります。
たとえば学校の場合、校舎内にはいろいろな部屋があります。
特別教室型の学校であれば、普通教室、特別教室、準備室、職員室、校長室、保健室、便所、廊下、昇降口、体育館、などなど。
これら各室に必要な換気を完璧に取っても良い(各部分を最適化)のですが、それでは全体として無駄の多いシステムとなってしまいます。
校舎内の人間の数は、「生徒数+教職員数+外来者(ごくわずか)数」です。校舎内にいろいろな部屋があっても、この人たちがあちこち移動するだけですから、全体としてはこの人数に必要な換気量があればよいはずです。
このようなことを加味して、各室の必要量、全体としての必要量を検討し、それぞれの条件を満たす換気システムを採用するのです。
(もちろん、費用や施工性、効果などをいろいろと勘案します。)
換気風量は、「多ければ多いほど良い」というわけではありません。
換気というのは、酸素が少なく二酸化炭素が多い空気を排出して、酸素が多く二酸化炭素が少ない外気を取り入れることです。しかし同時に、空調された空気を排出し、未空調の外気を取り入れることでもあります。
むやみに換気量が多いと、「外気負荷」が多くなってしまって、無駄が多くなります。
冬の場合、せっせと室内を暖めつつ、それをどんどん捨てて、冷たい外気を取り入れることになるのです。
「地球温暖化に貢献」してしまいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
給水設備の場合はどうでしょうか。
給水設備は、給水量に応じて充実させていかねばなりません。
給水箇所が多くなれば、その分、圧送ポンプの吐出流量も多くして、配管も太くしていかなければなりません。
でも、設置されている給水器具に必要な分の流量、管太さを取ると、それだけ費用がかかってしまいます。
そのため、ふつうは「適切に間引いて」設備を設けます。
給水器具の数が増えるほど、それを実際に同時に使用する確率は減りますから、その確率を加味して、流量を少なめに、管を細めに計画するのです。
ですから、万一、その予測を超える数の器具を同時に使用することがあれば、水の出が悪くなり、最悪「水が出ない」状態にもなります。
それはもう、「仕方が無い」のです。
全体を程よいシステムとするため、各部分に「がまん」をしていただくことになります。
あとは、それぞれの給水器具の使われ方(常に水を使う、使用頻度が高い、低い、一時に使う量が多い、少ない、など)を考慮して、ふさわしい流量、管太さを、どのくらい適切に決めるか、それが「給水設備設計」になります。
建物内の給水設備のみならず、浄水場から建物に至る「配水設備」自体が、そのような考え方に基づいて設計されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「個別要素の最適化は、全体の最悪化をもたらす。」
とのコメントを読んだ記憶があります。(出典は忘れました。)
といって、個別要素に「がまん」を強いるだけでもいけません。
技術者としては、そのバランスを見極め、調整していく必要があろうかと思います。
というか、これは技術だけの問題ではなく、政治、経済、教育、その他あらゆる面で言えることですね。
国民の個人個人にとって最も良い政策をとろうとしたら、国民の数だけ国を分割するしかありません。全体の調和を考慮して、がまんすべき所、恩恵を受ける所、と線引きをするしかありません。
一人ひとりが儲けようと考えたら、経済は大混乱に陥ります。
儲けるためには邪魔でも、一定のルール・制限を整備して、国全体としての経済も適切に保たなければなりません。
生徒一人ひとりに合わせたら、学校の一斉授業など成り立ちません。
といって、クラスの進度を最優先にすると、落ちこぼれてしまう生徒が続出します。
部分 と 全体 の バランス。
いつも意識していたいものです。
(「部分か、全体か。」おわり)
【関連する記事】