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北海道大学名誉教授の荒谷登先生の書かれた文章(※)に、
「冷暴、冷房、冷忘」
という3つの単語が解説されていました。
「冷暴」とは、力づくで冷やしてしまえ、ということだそうです。
ああ、一般的に行われているのは、皆、「冷暴」だなぁ。
さんさんと日射が降り注ぐガラスアトリウムも、強力な冷凍機があれば、確かに冷房できて、快適な気温にできますもんね。
熱損失が大きな建物だって、強力なボイラーを焚けば、ちゃんと暖かくなりますし。(これは、「暖暴」。)
「冷房」は、要求に基づいて冷やすことだそうです。
まあ、人間が多く居るところでは、冷房も強くしなければ冷えない。
当然ですね。
「冷忘」とは、冷房をしていること自体を忘れてしまうことだそうです。
冷房しないんじゃなくて、「外断熱や窓面の日照調整で外からの取得熱を減らしたうえで、建物の蓄熱効果を生かして緩やかな室温変動を許容しながら1日がかりで室内取得熱を外に排出」することなんだそうです。
先生の文章だけあって、ワタクシの書くようなものとはわけが違います。
でも、設備屋として、これぞ追及していくべきものだなぁと思うわけです。と同時に、これは設備屋だけでは実現不可能なことでもあります。意匠設計、構造設計、電気設計とうまく調和がとれないと、こういうことはできません。
「快感度が高いのは、なんといっても冷暴」だそうですが、もう、そういう時代ではないのですよね。
「冷忘」設計、「暖忘」設計を、していたい。
そのために、いいパートナー(意匠屋さん、構造屋さん、電気屋さん)と付き合っていきたいな。
(「冷暴!?」おわり)
(※)出展:空気調和・衛生工学 第80巻 第7号 P.43
平成18年7月5日発行 発行所 (社)空気調和・衛生工学会
札幌自主勉やochaさんからのメールや、Raynoさんのブログでは、お目にかかっていました、すみです。
けろさんの記事は、解りやすくて、もっと早くにお邪魔しておけばよかったなぁ、と思いました。
また、寄らせていただきます。
とりあえずご挨拶。
ご来訪ありがとうございます。
設備屋の、けろ です。
2級取得後、年季が明けまして、23日に学科を初受験いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
あと少しですが、有意義に時間を過ごされ、思う存分試験にあたってください。
リンクさせていただきます〜。
宜しくお願い致します。
『世界中の神話の中の天国または極楽の描写を拾い出してみると共通するのは“どこからともなく暖かい風が吹きどこからともなく光がさし、どこからともなく音楽が流れ・・・・・”という部分であり天国というものが人間の理想の空間を言ってるのだとすれば“どこからともなく”というキーワードは重要である』ということで設備はできるだけさりげなくというのが師の考えだったようです♪
夏場は外気温が40度以上になるアリゾナ州では先住民族(インディアン)の知恵が現代建築に生かされる試みがなされていたのが印象に残ります。意匠と設備はもっと協力関係にあるべきですね♪
いいですね。まさに、「冷忘」「暖忘」の境地ですね。
居住者にとっては、この「どこからともなく」「さりげなく」が、理想です。
時々困るのは、プロジェクトリーダーである意匠屋さんまでが、
「どこからともなく」(→機器、配管、ダクトの設置スペースは作れないけど、うまく納めてね。)
「さりげなく」(→設備はわからんけど、とにかく快適にね。)
となってしまうことです。
> 意匠と設備はもっと協力関係に
設備屋としての反省は、意匠を知らなさ過ぎたこと。あまりに知らないため、話が合わないわけです。
一方で、意匠屋さんが設備を知らなさ過ぎることも。ブラックボックス化しちゃってます。
共通の言語を持つ必要がありそうです。(目下、標準語の学習中、といったところです。)