2011年03月15日

原子力発電所

大災害。

ほんとうに、言葉もない状況です。


どちらが、より真実に近いのだろう。
http://blog.livedoor.jp/lunarmodule7/archives/2406950.html
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

わたしの感想は、「それぞれに真実を含んでいる」。
でも、研究者より現場の人間のほうが、より現実を正確に把握できているのでは、と思う。


アバウトな建築設備でも、いろいろある。
実際、設計側、施工側、それぞれの知識不足や無知や怠惰によって、細かい不具合はちょくちょく出る。
規模の大きな建物になれば、試運転時にも運用開始後もいろいろトラブルは生じる。
築後10年も経てば、当初設計の思想なんてものは何にも残っていなかったりする。
放射線量によって作業時間の制約などがあれば、改修も点検も修繕も廃棄も大変であろうことは想像がつく。
現場はなかなか、理論通りには動かない。

とにもかくにも、福島第一、第二原発の事態が収拾されることを願うばかり。


大量の被曝に晒されている職員、作業員、自衛隊員の方々には心苦しい限りであるが、彼らに頼りお任せするしか無い現状。

ほんとうに、申し訳ない。

事態が終息した後、責められるべき所が明確にされることを望む。
今後のために。
将来の日本国のために。
posted by けろ at 19:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 設備一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
二番目のページに関する反論ページ。
http://www.faireal.net/articles/6/12/#d20903
「原発がどんなものか知ってほしい」はどうやら、本人の記述ではなく後日他の人が書いたもののようです。


それから、支援について。
被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ〜僕の浅はかな経験談
http://chodo.posterous.com/45938410
駆けつければ良いというものでもない。


震災の今、なすべきことは何か? ひとつの提案。
http://openblog.meblog.biz/article/4277702.html
誰でもできる貢献。


何が最善であるか、しっかり考えること。
その上で、それぞれが最善を尽くすこと。

善意が必ずしも役に立つとは限らない。
直接的援助だけが援助とは限らない。
Posted by けろ at 2011年03月17日 01:52
> 〜僕の浅はかな経験談

早々にリンク切れになってしまったようです。

概要は、以下。

−−−−−

教師が生徒に語った言葉。

「あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。
 ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています」

 それでも被災地に行った本人(高校生)の体験談。
 
 「結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされていた」
Posted by けろ at 2011年03月23日 13:37
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