「建築設備士に一級建築士の受験資格を与えたのは間違いだったのか?」
というスレッド主の問いかけに対して。
(著作権の兼ね合いもあるでしょうから、ワタクシの発言以外は要旨のみ掲載いたします)
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建築設計には「創造設計」と「生産設計」の要素がある。
建築設備設計は、基本的に「生産設計」である。
一級建築士は「生産設計」資格ではなくて「創造設計」資格。
「生産設計」しか実務のない設備技術者に「創造設計」資格の受験させるのは間違い。まず二級から受けて「創造設計」の考え方を身につけるべき。
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というご意見。
対するワタクシの意見。
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>建築設備設計は、基本的に生産設計です。
これは、現状基本的にはご指摘の通りだと思います。
(本当は、創造設計的要素も少なからず有るのですが、計画当初から設備技術者が参画しないとそういう要素が発揮され得ません)
>一級建築士は生産設計資格ではなくて創造設計資格です。
であるとするならば、創造設計資格と生産設計資格を分離したら良い。
それで如何でしょうか?
現状では、生産設計だけをするにも一級建築士を要する制度なのですから。
「一級建築士は創造設計資格者だから、生産設計はできなくても良い」
そういう趣旨の詭弁を弄する方もいますが、それは間違いだと思います。
ワタクシは建築創造設計なんて別にしたくないんです。
「設備だけの設計をできる」資格さえあれば良いのです。
でもそれが無いんです。
「建築設備士に一級建築士の受験資格を与えるべきではない」
という意見も一理あると思います。
だから「『限定』でいいから、『設備の設計資格』なるものを作って欲しい。何なら「設計」という単語なぞどうでもいいから、設備技術者のやってる仕事が「違法」「無免許」呼ばわりされない真っ当な「資格」または「免許」を創設して欲しい。
同じ事をやっていても、建築士がやれば「設計」、その他がやれば「設計補助(扱い)」っていう現状は、変です。
「設計」と「その他の業務」との定義をしっかり作って欲しい。
「意見を聴く」なんて変な言い回しをしないで。
実務はまったく出来ないけれど「設備の専門家」だと標榜する「設備設計一級建築士」だとか、変だと思います。
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上記に対する意見。
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「生産設計」だけなら今まで通りで資格は不要。
今後、一級建築士のグローバル化を目指して建築教育修業年限5年以上などが必要では。
設備設計一級建築士の講習会の会場で、この資格は国内でしか通用しないと感じた。
「設備の専門」の扱いだが何か訊かれて答えられない人も多そう。
今後は設備士が入ってくるべきだが、建築学科系出身者以外は二級から受験して欲しい。
機械系や電気系の教育を受けてきた人たちが建築関係に入って来て建築と対等にしろというのは変。
建築設備は、機械や電気の本流からは外れた存在。
本流じゃない人たちが、建築設備の世界に入ってくるのなら、まず二級建築士から取らなければ対等な付き合いが出来ない。
電気・機械出身の建築設備士は、電気・機械で生きていかれないから、建築設備をやっているように感じる。
そういう人たちが「建築設備士に建築と同等に設計させろ」と言うのは間違い。
建築学科卒でも一級建築士を持っていない者が多いのに、よそからきて、建築士をとっていくのは釈然としない。
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対する、ワタクシの反論。
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>今後、1級建築士のグローバル化を目指して
>建築教育修業年限5年以上などが必要ではないかと
建築が高度化複雑化している現在、教育年限の延長も必要かも知れませんね。
1st-class kenchikushi はグローバル化しようがありませんけど。
(他国と思想が全く違う資格なので仕方ありません)
>設備の専門であれば設備の何を聞かれても答えられる、
>悪くても7割は答えられないといけないと思いますけど
>それは、問われていません。
講習・試験で問われていないだけで、法律の条文や協議会の説明文を見る限り、それを求められていると思います。
>本流じゃない人たちが建築設備の世界に入ってくるのなら
>まずは2級建築士を取ってきて欲しい
それは、言えるかもしれません。
ワタクシは、建築本流の人も2級から受けたらいいと思います。
学歴でふるいにかけるのではなくて、試験の合否で決める。単純に。
>電気・機械出身の建築設備士は、電気・機械で生きて
>いかれないから、建築設備をやっているように感じる
偏見を持って決めてかかるのはやめた方がいいと思います。
建築の人が、そのくらい設備に無関心だった証左とお思い下さい。
> 建築学科卒業でも一級建築士を持っていない者が多いのに
> よそからきて、建築士をとっていくのは釈然としない。
その気持ちは、よお〜くわかるつもりです。
設備の「せ」の字も計画・設計できないのに
設備の専門家と位置付けられる「設備設計一級建築士」を
取っていく「よそ者」に釈然としないのは
ワタクシだけではないと思いますから。
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これに対するご意見。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「設備設計一級建築士」を取っていく「よそ者」に釈然としないのは同感。
でもそれはいずれ淘汰される。淘汰させたい。
設備技術者は現行制度に文句を言うよりも正攻法で設備設計一級建築士を取得して欲しい。
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ワタクシの応答。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>どうせ淘汰される
それは、期待していません。
悪貨が良貨を駆逐することを、むしろ危惧します。
意匠屋さんは、今までも「設計者」として自分の判らない図面に印を押してきました。
意匠系「設備一級」も同じことをするだけです。
押印物件に「偽装」(実態はわからなかっただけ)が判明し、刑事事件化されるような事態にでもなれば、少しは変わって来るかも知れませんけど。
>文句を言うよりも正攻法で設備設計一級建築士を取得して欲しい
現在、このような制度となっている以上、
そして早々に変更される見込みもない以上、
それが王道と言わざるを得ません。
なので、目指したいと思います。
建築の「よそ者」として業界に入った身としては、
かなり厳しい道のりではありますけれども。
けど、「今の制度に文句」も言います。
絶対、変な制度です。
建築に関わる諸技術者のためにも、
国民のためにも、良くない制度です。
近い将来ではないかもしれませんが、
変えていく必要があります。
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これに対するご意見。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
設備系建築学科卒で設備業界に入ったが、そのままでは一級建築士は取れないと思い設備を離れた。
その後一級建築士を取得して独立。
現在は設備設計もしている。
設備士が「設計させろ」と言うのは悔しい。
自分の人生をかけて、設備の世界を一度退場し一級建築士を取った者にとっては、「設備設計を設備士にさせろ」と言うのは、ただの甘えに思われる。
制度を変えたければ、一級建築士を取得して、設備一級を取得してからやれば良い。
だが努力して取得したら、変えようとは思わないであろう。
努力なしに「設備設計をさせろ」は受け入れられない。
意匠で設備一級を取得された方のほうが、よっぽど努力している。
「失業してしまうから救済を」と叫んでも、努力しない人たちに、救済の手は差し伸べられない。
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ワタクシの反論。
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いろいろ通られたのですね。
思いの丈は、良く理解できたと思います。
その上で。
>今設備設計を設備士にさせろといっているのは
>ただの甘えでしかないと思います。
そういう考え方も出来るのはわかります。
確かに、設備技術者に「建築士を取ってやろう」という気概を持たない方が居る(多い)のも事実です。
でも、それでも、言います。
じゃあ、現在「設備設計・監理」を実質行っているのは、誰なんですか。
世の中の建築物の設備設計を、実際に建築士の方たちが行っている中で、そこに割り込もうとしているわけではないのです。
法的位置づけとしては「意見を述べる」とか何とか曖昧になっていますけれども、設備の実質的な計画、設計、作図、監理を行っているのは、非建築士の技術者たちが多いのです(少なくともワタクシの周囲では)。
その現状を踏まえた議論が必要です。
現状理解を横に置いて「そもそも論」を展開しても生産的議論にはなり得ません。
もし、法の規定に厳密に従うならば、非建築士による実質の設備設計・監理を、徹底的に排除すべきです。
出来るなら、そうすれば良い。
さぞや多くの設備技術者が塀の中に入ることでしょう。(非建築士に業務委託した多くの意匠設計者も一緒に)
出来ないなら、規定を変えざるを得ないでしょう。
建築士を持っている設備技術者が多くない以上、排除は困難なのではありませんか。
昨年度から建築設備士に受験資格を与えたのは、規定を変えないけれども実質に近づけるためのかなり「玉虫色」な各方面の調整結果だったのだと思います。
(と言っても、受験資格を与えるだけです)
努力がイヤだとか、救済してとか、そういう次元の話ではありません(そう言う方も皆無とは言いませんが)。
実質の設備設計を行っている人
→建築士を取らないと違法だぞ。
→でも計画や構造や建築施工や意匠製図が出来なきゃ取れない。
多くの建築士
→設備設計して良い唯一の資格だが、実務は出来ない。
→設備の設計や製図ができなくても設備図面が読めなくても資格は取れる。
この「ねじれ」を何とかしたい。
そう思いませんか?
「建築技術」8月号に、山本廣資氏らの特集が掲載されています。
特集『建築設計者に知ってもらいたい建築設備計画の勘所』と。
この方は一級建築士で建築設備士で技術士(衛生工学部門)で凄い方ですが、建築技術者向けの雑誌でこんな特集を組まなければならないくらい、設備は一般の建築士から隔絶している。
個人の気概や努力も大切なのですが、それだけに頼るわけにはいかないのです。
制度設計がとても重要なのです。
一級建築士を持っている多くの意匠設計者たちの努力を軽んじているわけではありません。
だからと言って「他人も皆、自分と同じ苦労をすべきだ」という話にはなりません。
個々人の話と、制度の話とを、切り分けて考えたいものです。
設備技術者だって、努力を惜しんでいるわけではありません。
多種多様な設備関連資格を、日夜努力して取得している方は少なくありません(ワタクシの周囲では)。
設備技術者が努力すべき方向は「意匠設計技能の取得」なのか?
という話なのです。
長くなって、すみません。
そう簡単に結論の出るような話じゃないのでしょうね。
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とりあえず、議論ここまで。
(「設備士へ受験資格付与の是非」終わり)
現在は、APECエンジニア(Structural Engineering)がオーストラリアと機械・電気・化学分野で相互認証の枠組文書の署名済、APECアーキテクトがオーストラリアとニュージーランドで相互認証されています。
ここで、一つの問題があります。オーストラリアとニュージーランドでAPECアーキテクトとして認められている場合は、日本の認定条件により、一級建築士の資格登録が可能になります。
一級建築士は、日本においては建築設備の設計を行う事ができる資格ですが、オーストラリア・ニュージーランドのAPECアーキテクトが建築設備の設計が可能な資格なのかは疑問点があります。
したがって、現在の認定基準では、外国のAPECアーキテクトは、日本の認定基準を満たせば、一級建築士として、建築設備の設計が可能となる。
日本のAPECアーキテクトは、相手先の国でAPECアーキテクトの認定資格者が建築設備の設計が可能な資格で無い場合は、建築設備の設計が不可能となる。
APECアーキテクトの相互認証相手先の国が建築設備の設計について資格が不要であれば問題無いのですが?
APECエンジニアの建築設備技術者の該当資格は、Environmental、Mechanical、Electrical、Structural等となると思われますが、現在は技術士以外の認定は不可能となっています。
したがって、APECという狭い範囲であっても、日本の現在の技術者制度の枠組みでは、一級建築士は限定された範囲(アーキテクト又はAPECエンジニアのStructural(構造))のみの相互認証となり、建築設備技術者としては扱われない事になります。
また、外国の建築設備技術者は、APECアーキテクトではないでしょうから、日本では建築設備技術者として活動できない事になります。(相互認証は、技術士となる)
別に外国に迎合しないで、日本独自のKenchikushi制度を維持して建築設備技術者(設計者)は相互認証しない方法もとれますけど。(まさか、外国に日本では、設計補助という形で設備設計に関与するか、建築設備士の資格を取得して建築士に意見を聴いてもらってくれとは、説明できないと思います)
もしかしたら、外圧に頼った方が、制度改革は早くなるかもしれませんね。(そんな方法を取りたいとは思いませんが)
訂正いたします。
でも、それに対して各所から様々な批判が出たことも事実(それらを封じて押し切っちゃいましたが)。
建築士制度は、日本は独自の道を行く。
それでいいんじゃないでしょうか。
とは言え、現行制度はいただけたものではありません。
しかるべき合理性のある、資格者や国民のためになる制度に変えていくべきだと思います。
記事最後の反論に対する返信。
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建築設備設計をするのにに多種多様な資格取得はいりませんよ
ただ建築士の資格を取らなければならないのは、当然でしょ
建築設備設計にほかの資格を取っても、設計はできません
建築士のみですよ
建築士の資格は、意匠の資格ではなく、建築の資格ですよ
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完全に、振り出しに戻りました。
と言うか、門前払い。
ま、仕方ありません。
こういう反応が一般的だからこそ、
現在があるわけです。
「設備一級」も、その産物。
何が問題なのかが、一切語られなかったのが残念です。(個人的には、阪神淡路大震災の事例がだされた理由も聞きたかったですね)
そういう筋道は通用しない方だったようで。
残念です。が、仕方ありません。
それが、普通なのです。
聞く耳のある人は、むしろ少ないのです。
もちろん、耳を持った方も皆無ではありませんが。
そう言いたいだけだと感じました。
自ら「設備の設計なんか、できるわけないじゃん」と言っている意匠屋さんが、設備一級を取得しています。
そういう人でも取れてしまう「専門資格のあり方」に問題があると主張することは、誹謗中傷に当たるわけないのですが。
本音としては、機械・電気(又は建築以外の出身者)系の設備技術者は、建築の理解が足りないという事を強調したかったようです。
私としては、建築技術8月号(「設備屋をつかいたおす」の部分)のような意見が出てくる事を期待していたのですが、残念ながら具体的な説明は最後までいただけませんでした。(やぶへびになると思われたのかもしれません)
建築設計は、各技術者(意匠・構造・設備)の設計の妥協点(妥協点というより合理的解決点と言った方がいいかもしれません)で成立するものだと思いますが、そこですべての技術者が建築の教育(学校等での教育)を受けている必要があるのかという議論が成立しなかったのは、残念です。
ここら辺から、設備技術者に求められている能力と、スキルアップの方法を模索する事が可能になったのですが。(入口が違っても、必要な能力をどうやって補完すれば良いかが検討できたはずです)
表題を「建築設備士に一級建築士の受験資格を与えたのは間違いだったのか?」にしたのが間違いで、「建築設備士が「設備設計」資格者となる為には、どうすればいいのか?」とした方が良かったのかもしれません。(一級建築士を取りなさいが結論になってしまうかもしれませんね)
追伸、私の所属する事務所で設計協力していただいている、構造設計事務所には、機械科出身の構造設計者がいますが、建築・土木と機械で単純梁の書き方が違うから設計の発想が違うという事が成り立つなら、それも問題といわれる可能性があるかもしれません。(一級建築士は取得されているので、建築士法的には問題無いのですが)
良い記事でしたよね。
でも、いまだにこういう記事が掲載される(→求められている)というのは、残念なことです。
常識になっているべきなのに。
ワタクシは理学部出身の設備屋。
たとい一級を取っても、一生『邪道者』扱いなんでしょうねぇ。
意匠設計者が、設備技術者に求める能力は、設備の専門技術能力は当然持っている事を前提として、意匠設計上どのような要求事項があるかの提案者としての能力なのでしょう。
同時に、施主が建築設計者に求める能力は、建築物の建築コスト・ランニングコスト、意匠・構造・設備を総合的に調整して、設計としてまとめる能力だと思います。
そういう意味では、設備・構造の専門能力を認定して資格を付与する設備設計一級建築士・構造設計一級建築士制度は、本来両方の資格を付与された建築士が建築設計者(統括設計者)として評価できるだけとも考えられます。(資格制度としては、高度な設計能力を持つ専門技術者ですが、現行の講習制度では設備・構造の知識がある建築士という位置づけになってしまうでしょう)
実際は、すべての建築士に構造・設備との調整を行う為の資格認定を行った方が良かったかもしれませんね。(設備に関しては、建築技術8月号をテキストとして、修了考査は、テキスト参照不可で行うなど)
とりあえず入口が違うから駄目というような意見がでるようでは、建築設計は先細りになるでしょう。(JIA・建築士事務所協会のように「設備技術者に専門技術資格を与えるべき」という意見は、入口で分けるのと同様の意見と言えなくはないですが)
入口で分けるなら、建築士は建築系学科出身者のみで、それ以外の技術者は専門技術資格にしなければならない。
でも、専門技術の設計資格は建築士というのでは、議論自体が成り立ちません。
結局、建築士にすべての「設計」に関する業務独占を与えたのが間違いと考えるか、建築系学科がすべての技術教育を行う状態とならなければいけなくなります。(理想的には、建築学部を作って、意匠学科・設備(空調・衛生・電気)学科・構造学科を所属させる事になるでしょう)
医師と同様の責任があるから、専門教育が必須だと言われればそれまでなのですが。
現実的に必要な知識のほとんどは、実務経験で養成されているので、試験で確実にその知識を検定できるのであれば、受験資格など不要というのが個人的な意見です。
設計思想までいわれれば、確実に同じだとは言えませんが、建築の設計思想自体が確定していないのに、そこまで議論できるのが不思議でしたね。
「建築士は難しい試験を突破した優秀な人物だ」
「設備に詳しいとか何とか言っても、建築士を取らないような者たちの言うことなど聞けない」
根底に、そういう思想があるように思えます。
法的立場の優位性にあぐらをかいて、本質を見ようとしない。
論点を詰めていって議論するという姿勢がない。
なぜ違う意見が出てくるのか、深く考えようとしない。
……これが、現在の建築設計業界の趨勢なのでしょう。
設備屋は意匠を知っていなくてはダメ。
意匠屋は設備を知らなくても良い。
ただ、それを言いたいだけのように見えます。
設備技術者の地位向上を主目的にする人達は、その独占業務権限を求めるでしょうし、独占業務権限を設備技術者に渡したくない人は、専門技術者資格制度を否定する事しかできないみたいですね。(職能として、出来る事と出来ない事を見極める事が大切だという視点はこの論理では一切でてきません)
設計委託者から見たら、単純にちゃんとした設計をしてくれる人に適正な価格で設計を委託したいだけだと思います。(適切な能力を検定できる資格制度を求めているはずです)
もちろん、現状の設備技術者の地位(収入面など)を向上すべきだと思いますが、行き過ぎた要求は、独りよがりの論理といわれてもしょうがないでしょう。(ここら辺は、常に意匠設計者からは指摘され続けるでしょう)
よく使われる言葉として、下請という用語がでてきますが、契約形態として使われるのならいいのですが、個人的には恣意的な意味を感じてしまうので、協力者という言葉しか私は使用しません。(金銭的な支払い関係はあっても、プロフェッショナルに仕事を頼む以上は、協力者であって、上下関係は無いと思います)
どうも、取りまとめるというと、取りまとめる方が上位であるかのようなイメージで捉える人が多いようですが、本来は結論をまとめるだけで、結論を出す立場ではないはずです。(裁判長は、裁判官の意見を取りまとめて判決を出すのであって、裁判長が判決を出すのなら裁判官は不要になりますね)
とりまとめ役としての建築設計者に求められる能力は、建築計画・意匠・構造・設備の設計の調整能力とコストプランニングでしょう。(一級建築士試験にもっとも欠けている部分です)
本来これらは、別の資格制度で実現すべき部分なのかもしれません。
現実的に、大手総合設計事務所では、コンストラクション・マネジメントに主業務を移しつつあります。
この場合は、仲良く意匠・構造・設備は恣意的な下請のような扱いをされています。(コストと設計のバランスを技術レベルで責められますので、かなりの強敵となります)
なかなか、アーキテクト(もしくは建築設計者)と専門技術者の協働という発想が出てこないのも、残念です。(これは、海外の旧式の発想と指摘した人もいましたが、旧式でも現代に通用しないものなのでしょうか?)
長々と書いてしまいましたが、結論が出ないまま、議論はどんどん拡散していきそうです。
けろ様、そろそろ設計製図の試験も近づいてきましたので、試験の準備に集中してください。(私は、とりあえず議論にもう少し付き合ってみたいと思います)