「WBC」
野球のほうだ。ボクシングじゃない。
優勝記念として、プロ野球各球団の公式戦開催球場で
巡回展示が行われているようだ。
その1つ。
伊藤大海投手と栗山英樹監督のグッズが並べられていた。
みんなのサイン入りユニフォームと、優勝メダル。
正直、背番号以外の文字は判別できないけれども
ファンにとって、そして何より本人にとって
貴重な記念に違いない。
アクリルケース内だと
うまく写らないけれども
優勝メダルも素晴らしい記念だろう。
そこに至るまでの軌跡、
代表選出から、チーム作り、実戦における修羅場など
すべてが凝縮された形が、
この中に宿っているのである。
そして、監督。
それほど大活躍することができなかった現役時代、
引退後は野球解説者、スポーツニュースのキャスターとして活躍し
コーチなど未経験でプロ野球球団の監督に就任。
そして、球団監督退任後に代表監督として再抜擢。
さまざまなストーリーが、後日談が、裏話が報道されているけれども
それはまあ、大変だったに違いないのだ。
それらすべての思いが詰まった、記念品。
ある分野で結果を残した人たちには
そういう記念の品があるはずなのである。
モノとしての価値にとどまらず、
そこに至るまでのすべての想い。記憶。
それらが結実したという形。
本人にとって、かけがえのないものであろう。
ただ残念なことに、
そういう「想い」を、単なる「金づる」としてしか捉えられず
その所有者の自宅や実家などから盗み出す輩も存在する。
世の中、自分の都合だけで捉えてしまっていて
他の人々の思い出や悲しみ苦しみや時として健康や命など
知ったこっちゃない、という輩。
とっても残念なことではあるけれど
やはり一定割合は、そういう人物も存在するのは事実である。
たぶん、最近は報道が行き届くから知られるようになっているだけで
今までも数多くそういう事案はあったのだろう。
ただね、たぶん「ヒト」って、そういうものなのだ。
たとい他人のモノを盗むことは決してしない、
人の思いや心を大切に出来る人であったとしても
他の面では、あまり好ましくない面も持ち合わせているはずである。
「すべての面で素晴らしい」だけという人間は
おそらく居るまい。
むしろ、そういう存在は人間では無いような気がする。
まして、自分自身を正直に見ちゃうとね、
あんまり誇らしげにできるようなことは無いよね。
WBC戦士たちのように、
何か一分野で卓越した結果を残した人たちならいざしらず、
ワタクシのようになぁんにも残していない、達成していない、
建築分野の片隅の設備の、重層下請構造の最下層で蠢いている
そんな存在じゃあね。
ま、それでもね、
自分に出来ることを、なるべくやるだけなのだ。
たといたいした役に立たなくっても
何がしかの収入を得、
何がしかの消費をして、
わずかな税金でも納めていれば
一応社会を回す構成員としては
無意味ではないよね。
病気や怪我で支援を必要としている人たちに
社会保障を提供するための雀の涙の財源には
なっているよね。
そのくらいに考えておくことにするのだ。
「オマエ、生きてる意味ねーよ」
たとえ、そういう意見を眼前に突きつけられたとしても
それはその人の個人的意見として承るのみである。
それはそれとして、今できることをやるのみなのだ。
できないことは、できないのだから。
できることが増えるように、頑張れる部分があれば頑張るし
頑張れないところは仕方がない。
単純に、年俸ウン十億円ってスゴいなぁっては思うけどね。
(「WBCの残り香」おわり)