数億年も昔にキミはそこに居たのか。
いろんな変遷を経て、こんにち、ここに並んでいるのか。
死体展示場、と言えなくもない。
が、キミたちのボディが並ぶ 場所 は
なんとも魅惑的である。
ヒトとはだいぶ形態の異なる生物だからこそ
そう思えるのであろう。
また、硬質の殻を持ち、
軟体生物たる本体が生々しくないからこその感想と
言えるのであろう。
人類の死体や骨格がずらり並んでいたとしたら
魅惑もへったくりもないことだろう。
そういう意味では、
キミたちにとって、ワタクシは気持ち悪い存在なのかもしれない。
土曜日だというのに、
画角に人が入らない程度にはすいている。
じっくり見たい見学者にとっては良いことだけれども
運営する館やスポンサーたる三笠市にとっては悪いことだろう。
なんとも贅沢な空間を、
堪能する。
これで、観覧料 は大人450円なのである。
ま、あの 科博 で630円であることを思うと
展示物の内容や物量からして及ぶべくもないけれど
それでもじゅうぶんに安価だし、素晴らしいと思うのだ。
この類のものは、
個々人の興味関心によって価値観が異なるのだから
仕方がない面もある。
宝石だったり高級車だったりトレーディングカードだったり
そこに価値を見出す人にとっては人生を賭ける価値があれど、
興味の無い人にとっては「ただのゴミ」に見えたりする。
好き好きだから、仕方ない。
けどやはり、公共サービスの一分野として、
こういう部分は必要だと思うのである。
小中大さまざまな大きさのアンモナイト類が
これでもかと並んでいる。
小さなものは、ショーケースに。
地元で産出したものも多い。
その点、科博とは大きく異なる。
地産地展
その地の空気を吸い(時代は違うけど)、
その地の飲食物をいただき、
気候も景色もその地を味わいつつ
その地で産したモノを観る。
なんとも贅沢な時間である。
年代によって、いろんな形態のものがあって
とてもおもしろい。
所蔵品もあれば、寄託品もある。
道内からではあるが、
他の地から出たものもある。
殻の外側が外れていると、
縫合線が美しく見える。
時間が許すならば、
1つ1つ愛でつつ眺めていたいものである。
桃の節句に限らず、
年中このように雛壇に並んでいる
アンモナイトたちなのである。
学名関係は良くわからないけれど
1つ1つ特定し、名付け、分類する人たちが
連綿と続けてきた研究の成果である。
そういう人たちは
化石が好きで好きで
アンモナイトが愛おしくって
それこそ寝る間も惜しんで
体力の限界を超えて、
研究に勤しんでいたんだろう。
生活の糧として、
ワークライフバランスに配慮した
健全な「お仕事」も大切だろうけれども
寝食を忘れるほどに没頭して楽しめる「天職」ってのも
それはそれで尊いものなんじゃないかな。
「せつび」について
そんなふうに感じてる人が
どのくらい居るのかなぁ。
――ワタクシは「せつび」が好きで楽しくて
この仕事をしてるのだけれども
それでも納期が押し迫った年度末になると
いろんな後悔と反省と体力の限界と
電話とメールと催促と苦言とが
容赦なく襲いかかってくる今日このごろ……。
(「ああアンモナイト」おわり)