東京都では住宅に太陽光発電を義務付けようとしているんだとか。
へぇ。
それがどの程度有効なのかというと
実のところはわからないような気がする。
エネルギー的に、
経済的に、
技術的に、
総合的な判断というものは
おそらく難しい。
どこを重視するのかによって
結論は変わってくることだろう。
ただそれだけにはとどまらず、
利害関係やら力関係やら
不純な要素が絡まってきて
しかも「エコ」「地球」などの衣を纏っているものだから
余計にややこしくなる。
テロ行為に走る者まで出てくる始末。
ま、いろいろあるにしても、
多様なエネルギー確保の方策は
やっぱり必要なのであろう。
その一つ。
風況の優れたところには
風力発電装置が据えられる。
当然、発電コストや各種補助金、
周囲の送電網の充実具合、
建設しやすさ、
地元行政との折衝、
そして地元住民との調整。
いろんな課題をクリアしないと実現に至らない。
そもそも住宅密集地には建てられない。
フリッカーを生じる影とか
回転音とか
実害が生じるから。
これがあることによって
鳥が衝突して死ぬこともある。
そういう観点で反対する人たちもいる。
風の流れの良いところには
鳥も飛んでくるのであろうから
こうやって並んでいると
ぶつかることは確かであろう。
あとは、どこまでなら許容できるか
ということになろうか。
ビルだって、
自動車だって、
列車だって、
飛行機だって、
何らかの生物を殺している。
渡り鳥も、
棲み着いている鳥も、
昆虫の類も。
「鳥はかわいそうだけど
羽虫が車のフロントガラスにビシビシぶつかって死ぬのは
気にならない」
そういう人もいるだろう。
「鳥? そんな何十万羽も死ぬわけじゃないんでしょ?
じゃ、仕方ないよね」
そういう感覚も、あるだろう。
「いやいや、1羽だって、死ぬのは許せないよ」
そんな意見があっても、おかしくはない。
どのくらい共感を得られるか、
関心を得られるか、
それによるのだろう。
ものすごい台風が来ても
倒れないようであって欲しくはある。
たまぁに、
ブレードが折れて落下したなんていう報道もあるから
リスクゼロということはない。
飽くまで、
どこまで許容できるか。
どこまでなら気にならないか。
それに尽きることだろう。
メンテ費用もかかるし、
それぞれに耐用年数ってものもあるから
建て替えコストも考えておく必要がある。
ま、それでも
使える自然エネルギーは
ある程度使いたいものだ。
水車や風車は
科学技術が発達する以前から
利用されてきた。
もしも、自然に何らの悪影響も与えることを許さないとしたら
人類は絶滅させるしかなくなるだろう。
そう主張する人物も居るようではあるが
自身の存在意義を自ら否定しているような気もする。
SDGsなんてキレイゴトも叫ばれていて
それはそれで意義を認めるのだけれど
それですべてがオッケーにはならない。
「わっかりやすい解決法」
なんていうものを求めちゃいけないのだ。
そういうのは、たいてい詐欺なのだ。
『誰でも簡単にバンバン稼げる』
『たった○○するだけでカンタンに痩せる』
『カンタンなアンケートに答えるだけで月々○万円もらえる』
そんなこと、あるわけないのだ。
『これさえやっておけば間違いない』
『これぞ究極の○○』
消えるどころか増えるばかりのそういう文句。
「儲かる」と「エコ」には
ちょっと斜に構えてしまうのであった。
でも、単純に風力発電装置が林立する姿は
ワタクシは好きである。
(「風の吹くまま」おわり)