2023年。
昔むかし、2001年宇宙の旅だとか
続編の2010だとか、
「はるか未来の出来事」的に扱われてきた21世紀であるが
それから更に20年余を経ていることになる。
ドラえもんの誕生日はまだまだ先ではあるけれども
しかしそれほど遠い未来ではないのかもしれない。
……過ぎてしまえば。
全世界的なコロナ蔓延は未だ留まるところを知らず
しかし次々と変異する株にもはや戦うことは半ば諦めて
共存する道を模索し始めている感がある。
激増する死者を前にして「共存」と言い難い面もあるけれど
無症状や軽症の人が多い中にあって「運の悪かった人」として
「仕方ないよね」と扱われつつある。
当事者にとっては決して「仕方ない」わけではないのだけれど
しかし他の疾病、怪我、事故、災害、戦争によっても多くの犠牲者が生じている中、
新型(と言うには、もはや年数を経ているかもしれない)コロナだけを
「特別扱い」するのも必ずしも適切とは考えられなくなったとしても
やむを得ないのかもしれない。
大方の予測に反して始められ、長期化している露宇戦争。
物価高騰、気候変動、食糧危機、政情不安。
いつの時代にも、どこの世界にも常にあった事とは言え、
ひとつひとつの事象に目を向けていくと
「明るい未来」なんて想像しづらいなんていう方も
増えているのではなかろうか。
現代医療が発達していて、
治安が良くて教育も行き届いているという日本においても
国債が、防衛費が、社会保障が、セーフティーネットが、国際競争力が、
少子高齢化が、リーダーシップの欠如が、災害対策が、と
やはり多くの課題を抱え、
毎日傷害事件やら殺人事件やらが報道され(報道されるだけマシとも言える)
未解決事件も積み上がっていく。
「世界終末時計」なるものが、
冷戦期の核軍拡競争時から掲出されていて
世界の終末である午前0時の100秒前(2022年1月現在)ということだそうだ。
ちょうど、このくらいかな?
この針が進んだ時、
(というか、時間は常に一方向にだけ進み、留まることがないのだ)
果たしてどうなっていくのか。
多くの人たちが、
各分野の専門家たちが、
数多くの予測を立てるものの、
それらは飽くまで予測でしかなく
実際のところは誰にもわからない。
時が過ぎた時、
いったい、何が開いていくのだろう。
はじめて見る、からくり時計のように
期待を持って、ワクワクしながら
見ていることができるだろうか?
ともかくも、1年経てば
2023年がどのようなものであったかは
明らかになる。
ワールドカップの優勝国だとか、
日本シリーズ制覇チームだとか、
オオタニの2024年の年俸だとか、
そんな予測を楽しむように、
世界の発展や向上や平和や進歩を
楽しめたら良いのだけれど。
われらが「せつび業界」も、
果たしてどうなることだろう。
(とたんに矮小なテーマに変わる)
年々「誰か、居ない?」
訊かれることが増え続けているような気がする。
どうにも手一杯で、突破している限界も突き抜けて、
何とか誰か助っ人を……と連絡を取っても
「逆に頼みたいくらいだよぉ」と返される。
旧知の、あるいは誰かからの紹介で
同業者から、意匠設計事務所から、役所から、
「仕事、頼める?」
こちらに連絡が来た場合も
お返しできる回答は上と同じにしかならない。
でもある意味、しょうがないよね。
「ケンチク」の業界において
「せつび」をあまりにも邪険に扱い過ぎていたよね。
だから人が減っちゃったよね。
新しい人材も、あんまり集まらないよね。
となると、待遇を改善するしか、
解決策は無いよね。
「そんなに稼げるなら、設備設計者をめざしちゃおうかな!」
建築学科の学生さんが、こぞって目の色を変えるくらいじゃないと
「設備業界」の隆盛の芽は無いだろうねぇ。
なんて。
設備だけじゃなくって、
建築業界全体が、そんな感じになってきているのだろう。
もちょっと拡げるなら、
技術系の職種が、総じてそんな傾向にあるのだろう。
モノ好きがやってる、
大変だけど報酬は伴わない割の悪い職業。
技術職って、そんな立場になってしまったのかもしれない。
ま、それはそれで、良いじゃない。
なるように、なるよ。
ワタクシとしては、
「せつび」を愛でつつ、
ひぃひぃ言いながらも、図面を描いたり、積算したり、
調査に出向いたりし続けるだけなのだ。
やっぱり、楽しいからね。「せつび」は。
2023年、何が開かれていくのか
せめて気持ちの上では期待しながら
始めていこうじゃない。
(「何が開いていくのだろう」おわり)