道路に面しているけれど、
遠慮なく、灯油タンクと室外機が据えられていた。
それほど、目立つものでもない、よね?
スリムダクトと電線管は、
外装の色に合わせたものになっているし。
灯油タンクは低い位置にあるし、
どうせ目立たせるための危険物看板を付けなくちゃならないし
防油堤も要求されるし、
このくらいなら十分でしょ。
敢えて外装と同じ「白」に塗らなくても、
まあそれほど離れた色でもないし。
室外機は「塗装する」ものじゃないし、
風雪を避けるための防雪フードはどうせ必須なんだし、
これまで外装色に塗るのはいろいろ大変だし。
壁掛け設置用の架台も
塗るとなるといろいろ面倒だ。
プリカチューブも、仕方がない。
なんとなく、電線管は塗ってみたし
スリムダクトは近似色を使ってみたよ、というわけだ。
全部、勝手な想像であって
真実は知る由もない。
これが、意匠設計の方だったら
むしろこんな機器類じゃなくって
外装材の優劣とか、
時間経過に伴う劣化度やメンテナンスとか
ガラス面の向こうの透け具合とか
そっちのほうが気になることだろう。
電気設計の方だったら、
室外機に持っていく電源線を
電線管2本に分けている理由とか
そっちのほうが気になることだろう。
ニンゲンは全知全能ではないから、
どうしても自分が知っていること、興味のあることについて
着目してしまうものだ。
でもだからといって、
「知らないヤツは黙ってろっ!!!」
っていうのも違う気はする。
知らないなら知らないなりに、
思うところはそれぞれあるのだから。
(「思う」根拠が正確かどうかは、また別の話)
世の中、「確かなこと」は
少ないのだ。
露宇戦争の行方、それに伴う世界情勢の動向、
世界経済の先行き、
我が家の家計の行く末、
Covid-19の今後、
ワクチンの功罪やマスクの妥当性、
巨大地震に関する諸情報、
気候変動や苛烈な異常気象、
真実を間違いなく確実に理解している人など
居るはずもなかろう。
それぞれの「専門家」が、
または芸能人などの「コメンテイター」が、
あるいは全く無関係の「有名人」が
それぞれの知見に基づいて意見する。
正しいか正しくないか、
合っていたか間違っていたか、
後の人たちが検証してはじめて明らかになることも
多いことだろう。
いやむしろ、
検証すらされることなく、
「結局、何が本当だったのやら」
お蔵入りする案件のほうが、遥かに多いに違いない。
世の中の全ては、
こういう「不確かなこと」の集合体であって
そんな中にあって、
個々人が藻掻き、苦悩し、あるいは希望を持って
日々生活しているのである。
明らかに確かなのは
「ニンゲン、いずれは死ぬ」
ことくらいである。
ある日ひょっこりと
「ワイ、奈良時代から生きとってん」
そんな人が出てきたら面白いんやけどね。
(「灯油タンクと室外機」おわり)