造られていたという。
けれどもその後の混乱期を経て
欧州では長いことロストテクノロジーと化していたという。
我が国にあっては
文明開化・富国強兵・殖産興業の波に乗って
重要なインフラの一つである上水道が
明治期以降に盛んに整備されたという。
昔のことだ。
すぐに手に入る資材は、
木材であった。
だから、建物は当然ながら木造。
そして、水道にも
木管が用いられたという。
鋳鉄管と並べて展示されているけれども
これを延々と繋いでいくのは
かなり、かな〜り、
大変なことであったろう。
1本1本が手作りなのだ。
今や「文化財」という位置づけだ。
接続箇所もイマドキのような立派な確実性の高い継手ではなく
木材をオスメスはめ込んでいくだけのもの。
何か止水材でも塗りこめたであろうか。
現在のポリ管って、優秀である。
配水用の太いやつも、普通に使われるようになった。
時代とともに、技術は進歩していくのだ。
ただ、ローマの技術が喪われてしまったように、
戦争とそれに伴う混乱とは
せっかくの技術も、文化も、生活も、
あっさり破壊してしまう。
人間の愚かさと言えばそれまでなのだが
哀しいことである。
戦争によって荒廃してしまったりすると
古き技術の伝承が廃れてしまっている分、
余計に後退してしまうのであろう。
ウクライナの戦況は、真偽綯い交ぜで数多く報道されるけれども
じつのところ戦争・内乱状態にある地域は
世界中に多数存在する。
報道に乗ることがないと
「無いもの」として認識されないけれど、
実際には「有る」のだ。
それぞれの地にある人々は
不便などという言葉で表現できない困難のうちに
あることであろう。
文字通り、命の危機の中にあって、
インフラも住居も破壊され
医療どころか食糧の供給も滞り
なすすべなく一日一日を耐えるしかない。
そんな方々も多いことであろう。
たとい戦争・紛争・内乱状態がおさまったとしても
その先の復興に向けては気の遠くなるような道程があるのだろう。
何とも酷いことである。
(「昔の水道管なのだ」おわり)