内装としては仕上がりつつある頃。
でも、設備関係はこれからなのだ。
ただ、ボードに穴が開けられているだけに見えるけれども、
天井内には既に必要な機器やケーブルやボックス類が
すべて据えられている状態なのだ。
単に、表面に出てくるモノが未設置であるに過ぎないのだ。
こういう状態になる前に、
たとえば天井内空間の狭さを克服しているとか
大梁小梁との支障をうまく避けているとか
どうしても通せないルートを避けて遠回ししているとか
天井仕上材の目地との位置調整をするとか、
必要な吊りや支持や振れ止めを適切に設けるとか
天井仕上げ施工のスケジュールに追われて
かなりタイトな状態でケーブルや配管を引き伸ばしたとか
そんなこんな事件たちは
遠く記憶の彼方へ追いやられている。
いや、歴史の闇に埋設されてしまっている。
その当事者以外の誰の目にも触れることなく
誰の気にも留まることなく。
結果、つくべきものがついて、
働くべきものが働いていれば、
そこに至る過程なんて、利用者には関係ない。
ただただ、施工者の気概と矜恃とによって
事が行われていくのみである。
「天井内のケーブルの走向が美しい」
とか
「この配管の吊りの美しさは芸術的だ!」
とか、別に誰も褒めてはくれない。
見てもくれない。
気づいてさえくれない。
天井内に厚く敷き詰められている断熱材との格闘も
この段階であれば辛うじて想像できるものの
器具がついてしまった後にはまったくわからなくなるのだ。
天井敷の断熱材と、
給排気筒の断熱材との相剋も、
侮れないのであるが
それらはすべて、人知れず行われることになる。
壁内も同様である。
柱や間柱や下地や筋交いの間隙を縫って
モノをタテに通す困難を掻い潜って
ボックスやらケーブルやら配管が通る。
事情によりボックスレスの工法も駆使しつつ。
こうやって、数多くの調整や懊悩を経て
設備が仕上がっていく。
なのに、なのに。
最後まで出来上がった時点で
「スイッチ、曲がってんじゃね?」
とか、
「天井付け器具とボードの開口との間に
隙間できてるがな」
とか、
「スピーカーと非常照明と吹出口とが
なんでうまく天井目地に揃えられなかったかなぁ」
とか、
後から後から茶々を入れるしょーもない人物も
居たりする。
すんません。それ、ワタクシのことで。
我ながら、酷いヤツである。
設備の現場は、
その職にある限りにおいて、
いつだって格闘の下にある。
圧倒的に勝利感を得ることは、まず無い。
たいてい、追い立てられて、
止むに止まれぬ諸々を甘受しつつ、
なんとかかんとか仕上げていくのだ。
計画的に、段取り良く、効率よく、無駄なく、
スッキリとスマートに……。
そう、目指したいのだけれど、
なかなか簡単には行かないものであって。
だからこそ、そのあたりが上手な方々に出逢うと
もう感動モノなのである。
自分がそうなれたら、いいんだけどねぇ。
って、施工なんてしたことのない、
「餅を絵に描くだけの輩」が
何を言うかって言われちゃうね。
(「器具取付前」おわり)