2022年07月31日

きょうのトイレ

近年だんだん見かけなくなった、
色付きの陶器。


薄いブルーのやつだ。


22073101.JPG


これまた年代物の洗浄便座が取り付けられている。



ほんと、あんまり見なくなったなぁ。



22073102.JPG


棚も、ブースも、壁紙も
ちょっと時代を感じさせる、
そんなトイレ。


記念に、撮っておいたのだ。
(「きょうのトイレ」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 衛生設備 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月30日

天井板は無いに限る

ビシッと美しく内装で飾られた商業施設もあるけれど
敢えて天井仕上げを設けない建物も結構ある。


22073001.JPG


何でも見えて、良いよね。



チェックも、メンテも、改修も、
とっても楽だ。



見た目、あんまりキタナくないように施工しなくちゃならないけれど
だからといってそれほどビシッと美しく仕上げることまでは
求められないし。


22073002.JPG


その下の照明だとか、壁面・床面の装飾だとか
そういう部分にしか目がいかないから
天井は無くても良いよね。


ってか、要らないんじゃない?


無いに限ると思うんだけど。


……個人的感想です。
(「天井板は無いに限る」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 設備一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月29日

エアコン乗ってる

オープンタイプのエレベーターを待っていると、
下方からカゴが上がってくる。



押し釦部分の表示を見ていれば
その位置はわかるのであるが
ガラス窓のついた乗り場扉の向こうを見ると
確かに下方からカゴが上がってくるのが見える。


22072901.JPG

おー、下の階に停まってる。



おー、かごの上部にはエアコンの室外機が乗っかっている。



そだね。


カゴの中、暑くなるもんね。
(「エアコン乗ってる」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昇降機設備 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月28日

カウンターに必須となった

カウンターと椅子がある、ちょっとしたスペース。


イマドキは、必ずと言っていいほど、ついている。


22072801.JPG


スマホ充電にも、PC充電にも使えて便利。

てか、無いと不便。



だから、最近では至るところに設けられているコンセント。



22072802.JPG


分電盤の回路番号や通し番号がついているのは
なかなか良いではないか。


こうでも表示しておかないと、
何か不具合が生じた際に
モノや回路の特定に余計な時間を要してしまうから。

速やかな復旧のためにも、
大切なことなのだ。
(「カウンターに必須となった」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 電気設備 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月27日

並べてみないとわからない

JR新千歳空港駅の改札を出たところに
地図が貼ってある。


22072701.JPG


北海道地図に、
薄っすらと本州の地図を重ねてあるものだ。



22072702.JPG


「北海道と本州の大きさを比較」

そう書いてある。



北海道で旅程を考える際には、
こういうのを参考にするとよいであろう。



「新千歳空港からぁ、
 函館に言ってぇ、夜景を見てぇ、
 大沼公園のステキなホテルに泊まってぇ、
 洞爺湖の観光船に乗ってぇ、
 積丹半島の神威岬で写真を撮ってぇ、
 小樽運河とか見てぇ、
 札幌時計台に寄ってからぁ、
 旭山動物園に行ってぇ、
 北海道最北端の宗谷岬を巡ってからぁ、
 知床(事故があったけど安全対策強化したから大丈夫よね?)を見てぇ、
 納沙布岬灯台を見てぇ、
 霧の無い摩周湖を見てから
 帯広の豚丼を食べてぇ、
 襟裳岬にも足を伸ばしてからぁ、
 十勝空港から帰京するのっ!」


海鮮丼全部のせみたいなスケジュールをこなそうと思うと
相当な日数を要することが
地図の比較によって理解できるはずなのだ。



翻訳すると、こうなるかな。


「県営名古屋空港を起点に
 琵琶湖をぐるっと回ってから奈良の吉野に行って
 名張あたりに泊まってから
 彦根城に寄って
 越前海岸で若狭湾を背景に写真を撮って
 福井の街を見て
 郡上おどりも見てから
 魚津の水族館に行って
 佐渡から大和堆あたりまで行って釣りをしてから
 猪苗代湖(遊覧船、湖だから大丈夫だよね?)を見て、
 水戸の偕楽園に寄って
 宇都宮餃子を食べてから
 甲府の信玄餅も食べに寄って
 西伊豆から駿河湾を眺めてから
 富士山近くのヘリポートから帰京する」


全部レンタカーで巡るとなると
一体何kmの道程になるのか!?


「北海道」という括りにしないで
地域を絞る必要性が理解できるであろうか。



2018年、北海道胆振東部地震で震度7を観測した際に
知床観光も訪問者が減って打撃を受けたという。
同じ「北海道」だから。


岐阜で局地的に起こった大地震により、
猪苗代湖観光の訪問者が減った!?
同じ「本州島」だから!?



距離感が無いと、そういう現象が生じるのである。
(「並べてみないとわからない」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月26日

湯西川ダム

ちょっと足を伸ばす機会があって、
更に足を伸ばせば行けそうってことで
押し込んでみた。

「足」といっても自動車なのだが。



22072601.JPG


湯西川ダムである。



鬼怒川上流域に設けられている、
重力式コンクリートダムである。


22072602.JPG


ここの管理棟でダムカードを入手できる。



堤体はこのようになっている。


22072603.JPG


2008年本体着工、2012年完成ということで、
比較的新しい堤体である。

堤高119m、堤頂長320mということである。



減勢池は、かなり下の方に見える。


22072604.JPG



ダム湖側も新しさを感じさせる。


22072605.JPG


ボート発着所か。

観光船でも浮かべたら
それなりに需要あるんじゃないかな。


ま、安全対策、カスハラ対策なんかをやっていたら
管理運営費が嵩んで、採算が取れないんだろうな。


予約制で利用者募集するくらいはやったら
ある程度の収入にはなるんじゃないかしらん。
(「湯西川ダム」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 土木工事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月25日

行けそうで行けてなかった

当ブログでもたびたび触れているとおり、
ワタクシは博物館の類が好みである。


一般的なものももちろんだが、
少々マニアックなものがあれば、
なおよろしい。



ただ、そうそう頻繁に行けるかというと
そういうわけにもいかない。

情報収集だけは、それなりに続けているのだけれど。



そんな中、存在は知っていたけれどなかなか行けていなかった所に
ようやく訪れることができた。



目黒駅から少々あるいた場所に、それは在る。


22072501.JPG


寄生虫を扱うところなのである。


22072502.JPG


このビルの1階と2階が展示スペースになっていて
一般の見学者を入場無料で受け入れている。


22072503.JPG


公益社団法人に認定されている。

「広く寄生虫学の発展に寄与することを目的とした」
公益に適うところであると認定されているのだ。



決して広々としたスペースではないのだが
ワタクシとしては見ごたえがあった。


22072504.JPG


1階の展示スペースは
このくらいのサイズ感である。


22072505.JPG


たくさんの寄生虫の標本が
ホルマリン漬けになっている。


22072506.JPG


中央の標本(表・裏)と、
壁面に並ぶ標本や説明パネル。



決して面白おかしいものでもないし、
費用をふんだんに投じてなんとか工藝社とかに委託したような
洒落た展示というわけではないだろう。

でもやっぱり「実物展示」は魅力的である。



じっくり見ていると、どんどん人がはけていく。
だから、こうして撮るタイミングも到来する。



2階に上がる。

山口左仲展示、寄生虫学の歴史、の小部屋。


22072507.JPG


昔々、顕微鏡とスケッチで進めた研究成果が
地味に並べられている。

地味だが、たいへん貴重に思える。

分電盤やライティングレールやエアコンよりは
人々に気づいて見てもらっていると思う。



人獣共通寄生虫という括りがあって、
ヒトや動物の体内で繁殖・成長する生活サイクルが
説明されていた。


22072508.JPG


こういうことがわかってきたのは
長い人類の歴史上においては
ほんの最近のことである。


昔は、「原因不明の病」ばっかりだったに違いない。



実際に人体から回収された、日本海裂頭条虫(サナダムシ)。


22072509.JPG


この長さを、よくぞキレイに回収できたものだ。

体感8.8mの真田紐は、
コロナ下ゆえ展示中止となっていた。


触るものは、基本的にダメなのね。

ま、仕方ないね。



実物標本は小さいので
大きくした模型も展示されている。


22072510.JPG


蠟などでこういうものを作り上げる人たちが
いるのである。

すごいね!



人体寄生虫にもいろいろあって。


22072511.JPG


ぎょう虫検査ってやつがあるけれど
「かつては80%以上の子どもに感染がみられた」
なんて書いてある。


日本の衛生環境の改善のほどがわかろうというものだ。



この建物の設備はと言うと。


22072512.JPG


そんなに特別なものは無い。


展示物を照らすために
ライティングレールが設けられているくらいで
あとはフツーの照明、火報、ITV、放送、非常照明、
そしてエアコンだ。



公開されていない研究スペースなどには
ちょっと特殊なものがあるのかもしれない。



ミュージアムショップのコーナーもあって
寄生虫プリントTシャツとか、写真集とか
各種グッズが置かれていた。


このテの博物館も好きだが、
寄生虫Tシャツを着て街を歩く度胸はない。


行くのが好きなのであって
積極的にアピールするようなタチではないのだ。

ま、人それぞれということで。



この目黒寄生虫館、入場は無料だ。

ただ、任意の寄付金は募集していて
募金箱が置いてある。


維持管理にも、研究事業にも、費用はかかるであろう。
ささやかながら箱に入れさせていただいた。



老舗の店舗やローカル鉄道線もそうだが、
閉店・廃止が決まってからそれを惜しむのは身勝手というものだ。

行く、買う、乗る。

自らが出来る限りの応援をして、支えるべきなんじゃないかと思うのだ。


ただ、応援者が不足して、あるいは運営費が嵩んで
維持が難しくなってしまったとしたら
廃業もやむを得ないことなのだ。
ボランティアではないのだから。


この寄生虫館には、頑張ってもらいたいなぁ。

機会を持てる方は、ぜひ訪れていただきたいものである。
(「行けそうで行けてなかった」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月24日

せんだい3.11メモリアル交流館

仙台市営地下鉄 東西線の東側の終着駅は
荒井駅である。


地下鉄の駅なのだが、
「駅ビル」的な、地上部の大きな駅舎が建っている。


22072401.JPG


鉄路自体は地下であるから「地下鉄と称しつつ地上を走る鉄道」ではない。



南側は車寄せもあって駅前っぽいが、
北側は裏口にあたるのだろうか。あんまり建物がない。

が、カラフルな外装になっている。


22072402.JPG


荒井駅は仙台東部道路の仙台東ICにほど近く、
震災後新しく整備された地区に建っている。


だから、既存の街並みを考慮する必要は無かったものと思われる。


22072403.JPG


この中に、「せんだい3.11メモリアル交流館」という施設が入っている。


22072404.JPG


壁一面に、ここから海岸までの絵地図と
付箋によるコメントとが貼られていたりする。



「メモリアル」というくらいなので、
震災の記憶に関する展示がある。


22072405.JPG

昨日までクドいくらいに紹介した荒浜小学校に関する記事もある。


22072406.JPG


せんだいメディアテークでは、地震動による被害が大きかった。


22072407.JPG


内装全滅状態だ。

耐震性能の向上により、構造材の被害は少なかったそうだけれども
設備機器を含む非構造材の被害は多かったという。



3月11日の地震で、3月29日にほぼ復旧した上水道。


22072408.JPG


全国から応援が派遣されたとはいえ、
この規模の都市でこの短期間で復旧させたのは
ものすごいことであると思う。



この建物の屋上には
多くの設備機器があって
見どころは多い。


22072409.JPG


誰も見ないけれども、ワタクシは、見る。



将来機器設置用の、予備の基礎がすごくたくさん。


22072410.JPG


いちばん向こうは、予備のハト小屋だよね!?


何か計画があるんだろうね。


22072411.JPG


一般の施設も、このくらい用意しておけば
将来的にフレキシビリティが高いんだけれど。


なかなか、ね。費用もかかるし、ね。



散水栓箱が、カワイイ。


22072412.JPG


ここは縦じゃなくて横につけるべきなんじゃないかとか
人によって議論(ただの好み)はあるかもしれない。


鍵は、出っぱらないほうが良いようには思うけど。
(「せんだい3.11メモリアル交流館」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月23日

嘗て此処は住宅地であった

荒浜小学校から、さらに東。

海岸よりの場所は、ほとんどが空き地である。


22072301.JPG


道路が整備され、下水道も通っているようだが
他はわからない。


災害危険区域に指定されているから、
住宅は建てることができない。


事業所関係も、敢えてここに建てる事情があるところは
それほど多くあるまい。


それゆえか、「公共利用ゾーン」として整備されている途中であった。


22072302.JPG


嘗ての住宅地は、
瓦礫が片付けられ、整地され、
今は広い広い空地となっている。


22072303.JPG


震災遺構仙台市立荒浜小学校から
東に向かって歩いて行く。


22072304.JPG


嘗ての街並みを紹介する石碑が設けられていた。


22072305.JPG


津波に耐えた橋桁を渡って、更に海側へ。

すると、住宅跡が震災遺構として保存されている場所に行き着く。


22072306.JPG


津波のエネルギーによって、
上屋はすべて流され破壊されてしまったが
基礎は結構残されていた。


瓦礫撤去と整地に伴い、基礎類も除去されていったが
一部このように遺されているのだ。


22072307.JPG


荒浜地区の街並みの、ほんのごく一部であるが
このように保存されている。


22072308.JPG


ここに住んでおられた方は
無事に避難されたのであろうか。


そうであったとしても、
そうでなかったとしても、
該当者には辛い場所であることだろう。


しかし、遺すことを選択していただいた。


22072309.JPG


尊いことであると思う。


22072310.JPG


関係者であれば、
布基礎の形状からかつての間取りをありありと思い起こし
平穏無事であった頃の記憶が去来することであろう。


22072311.JPG


向こうに見える4階建てが、
荒浜小学校である。
決して、それほど遠くない。

が、途中に視界を遮る建物が無い分、
余計に近く見える。



小学校脇にあるバス停は終点で
折り返し荒井駅行きのバスとして出発時間まで待機しているのであるが
既に停まっているのが見える。


うかうかしていると、乗り遅れてしまう。
となると、更に1時間、ここに滞在しなくてはならない。

が、それは困る。次の予定は、あるのだ。



近そうに見えて、意外と距離のある道のりを
息を切らせて戻ることになった。


バスの時刻は、ちゃんと確認していた。


ただ、意外と距離があった。

自分の体力の無さについて認識不足だった。


それだけなのだけれど、
なんとか間に合った。

結構ギリギリ。
(「嘗て此処は住宅地であった」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月22日

屋上から見た荒浜地区

荒浜小学校では、もともと屋上に出られるように
フェンスが巡らされていたようだ。


震災遺構として整備後も、
屋上に出ることができる。



元々は高置水槽室か何かであった、塔屋から
屋上に出る。


22072201.JPG


震災後に設けられたと思われる、各種設備が付加されている。


22072202.JPG


引込開閉器盤が、ここにあった。

消火栓のテスト弁はもう使われていないはずだ。



津波情報伝達システムは
震災後のものであろう。


22072203.JPG



太平洋を、臨む。


22072204.JPG



松が数本残っているが
海岸までにあった殆どのものが失われたために
ずいぶん海が近く感じられる。



山側(西側)を臨む。


22072205.JPG


説明パネルが何枚か設けられている。



フェンスは、元々からあったはずだが
多少は手直ししているだろうか。


22072206.JPG



小さいハト小屋と、電線管。


22072207.JPG


浸水はしていないけれど、錆びている。

海風は、じゅうぶんにやってくるから。

ファンでも置いてあったであろうか。


22072208.JPG


フェンス基礎の水抜き穴。


22072209.JPG


たくさん、たくさんある。



フェンスがところどころ切ってあるのは
撮影用だろうか。


22072210.JPG


たしかに、カメラを構えるには便利であった。



津波襲来時に、仙台東部道路の土盛が大きな現在機能を果たしたことから
かさ上げ道路の重要性が再認識されている。


22072211.JPG


ワタクシも震災約半年後に現地を訪れた際に、
道路の東西で被災状況が大きく異なるのを目の当たりにした。



現在は、農業ビニルハウスや事業所の建物が建てられていたりするが
住宅は無い。


22072212.JPG



かつては、この方向にも多くの住宅が立ち並んでいたのであるが
現在はその面影はない。


22072213.JPG


繰り返すが、ここは住宅地だったのだ。

すべて、すべて流されてしまった跡なのだ。


22072214.JPG



校舎の南側。

荒浜地区の街が、完全に消失しているのだ。

22072215.JPG


長い時間を掛けて、津波による瓦礫を少しずつ除去し、
道路を再整備し、
インフラを再興し、
現在は公園造成中ということである。


22072216.JPG



仙台市が指定する災害危険区域 の、

第5号区域:津波による危険の特に著しい区域で市長が指定するもの

に該当するということなのであろうか。

区域図 には詳細の住所が書かれていないけれども
荒浜地区は丸々該当しそうだ。


第5区域では「住居の用に供する建築物を建築してはならない」となっている。


22072217.JPG


校舎西側のかさ上げ道路より西の部分は
上記第5区域からはずれ、住宅も建築可能のようだ。


22072218.JPG


土地代は安くなったのかもしれないが、
敢えてここに住宅を建てるのは
勇気があるのか、無謀なのか、先祖代々の土地から離れがたいのか、
それぞれ個別の事情があることだろう。



東北各地には、かつての大津波到達地点を鑑み

「此処より下に家を建てるな」という石碑 が建てられたりしていたという。



現代は条例なども「石碑」の役割を果たすのであろう。

そして、各地の 伝承施設



喉元すぎれば……


そういうことにならぬようでありたい。
(「屋上から見た荒浜地区」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月21日

津波の記憶と伝承

荒浜続きで申し訳ないけれど
せっかくなのでもう少しご紹介する。

心に響く事が多かったものだから。

そういう事って、あるでしょ?


津波の浸入を受けなかった3階と4階では、
避難スペースとして、児童・職員・地域住民が過ごした。

一度屋上に避難して、どうやら3階以上なら大丈夫だという目算がついたから。


3月である。屋上で過ごすのは、寒くてかなり厳しかったことであろう。



現在は、3階は保存スペースということで見学に供されていない。
4階は、交流活動室として一般市民に貸し出されている部分と
伝承のための展示室になっている部分とがあった。


22072101.JPG


『津波しぶき』も無く、普通に利用できる空間となっている。


22072102.JPG


3階は階段室部分で仕切られて、
説明板が貼ってあるのみであった。


22072103.JPG


津波1週間後の手記が、当時の情景を語る。



4階教室の黒板には、多くの寄せ書きがある。

22072104.JPG

色あせた写真も多数貼ってあって、
持ち主・関係者は持っていってください。そう書いてあった。



当時の在校生、卒業生のメッセージ、
連絡事項、その他が残っている。


22072105.JPG



震災前の空撮写真には、
多くの住宅が並ぶ荒浜地区が写っている。


22072106.JPG


黄色の文字下が、住宅地の端に建てられた荒浜小学校である。

校舎以外のすべてが喪われたが
かつての街並みを模型で復元しようというプロジェクトが
2014年に実施されたという。


22072107.JPG


神戸大学の協力という。


22072108.JPG



いま、校舎の周囲には何もない。


22072109.JPG


1棟の住宅も残されていない。



避難時の状況も、展示されている。


22072110.JPG



現在の利用に適うように
エアコンが増設されていた。


ま、夏は暑いわけだし、冬も寒いのだから当然だろう。

22072111.JPG

元々の灯油ストーブ用の設備は
すべてダメになってしまったのだから。


地震発生からの様子が、時系列に沿って説明されている。


22072112.JPG


当時の映像を収集整理し、
学校関係者や町内会の人たちのヒアリングをまとめ、
画像と文章とドキュメンタリー映像で
今に伝えている。


22072113.JPG



高さ関係は、このようであったという。


22072114.JPG


校舎がもっと海岸に近かったなら、
4階床でも浸水していたかもしれない。


22072115.JPG


「また来る」


そう。今までも何度も何度も何度も
巨大津波は襲来しているのである。

だから、また必ず、来る。



だから、記録し、記憶し、伝承する。


22072116.JPG


当時の校長の、町内会役員の証言を含めた短編映像は
必見であると思う。


22072117.JPG


もちろん、遺構として整備するにあたり新設した設備である。


22072118.JPG


大きな災害が起こるたびに
オペレーションは改善されていく。


22072119.JPG


「避難勧告」という名称が曖昧だったから
「お勧め」じゃなくて「指示」だということを
明確にしたということだ。



こういう震災遺構は
東北地方各所に設けられている。


22072120.JPG



1ヶ所や2ヶ所ではない。
東北地方全域にわたって、
数多く設けられている。


22072121.JPG


東北地整で 震災伝承施設MAP を公開しているから
可能な限り訪れてみてはいかがであろうか。


「東北」とひとくくりにはできない、
その土地ごとの伝承があるはずである。



東日本大震災に限らない。

自然災害の多い日本では、
各地で 地震、台風、水害、噴火、その他
後世に伝承するための措置 が設けられている。



先人に学び、将来に活かす。

それによって、文字通り「生きる」ことが出来るはずだ。
「生きる」ことが突然断ち切られた、多くの方々の犠牲を教訓に学んでこそ
伝承施設の価値が確立するのである。
(「津波の記憶と伝承」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月20日

荒浜小学校内部

荒浜小学校の内部も見学できる。


完全に水没した部屋は、この通りである。


22072001.JPG


それでも、流し台など原型を保っているのは
ある意味すごいのかもしれない。



天井ボードも剥がれてきている。


22072002.JPG


これらも、年月の経過とともに劣化がより進んでいくのであろう。



廊下部分は、いろいろとモノが落ちてこないようにか
鋼製枠と金網とで天井を形成してあった。

火報の感知器なども改めて設けたに違いない。
不特定多数の見学者が訪れる施設であるから。


22072003.JPG


天井ボードを留めている釘がことごとく錆びている。


22072004.JPG


この状態が、この先どのくらい保たれているものかどうか。


22072005.JPG


海水に浸かった電気系統は
もちろん全滅であろう。


22072006.JPG


流し台は、残った。

鏡は、何かがぶつかって割れたのかどうか。


22072007.JPG


トイレには入れないよう施錠されていた。

機能を失ったトイレを使われたら困るからね。


でも、設備屋としては、見てみたかった。ちょっと残念。



ちょいと、下も見てみる。


22072008.JPG


ま、錆びてるね。


被災後の写真を大きくプリントしたものが
各所に掛けられていた。



火災の危険性もあるから除去されてしまっているが
流されてきて教室内に押し込められた自動車が
何台もあったという。


22072009.JPG


天井の吊り物も、この通り。


22072010.JPG


とにかく、天井の上まで
完全に水没したのだ。


22072011.JPG


2階へ上がる階段も
片付け前は瓦礫で埋まっていたという。


22072012.JPG


海側のコンクリート腰壁が
倒されていた。


22072013.JPG


エネルギーの大きさを視認できる。



海岸線までは、少し距離があるのだが
多くあった建物は皆、失われた。



ビニルハウスとか事業所とか、
若干の建物が再建されていた。

22072014.JPG


が、住宅は皆無だ。



2階も床上まで浸水したが
水没したわけではないために
1階ほどの被害は無い。


22072015.JPG


全くないわけではないが。


22072016.JPG


元々設置されていた屋内消火栓設備は
ポンプごとダメになったのであるから
現在はパッケージ形消火設備が据えられている。



「津波しぶき跡」なのだそうだ。


22072017.JPG


2階の職員室も、床上まで浸水している。

壁面やFF暖房機表面に
薄っすらと水位が残されているのがわかるだろうか。


22072018.JPG


掃除用流しは、割れてしまったんだろうなぁ。


22072019.JPG


跡だけ残されている。



なにせ、1時間に1本だけのバスである。
その時間をにらみながらの見学であるから
気の赴くまま、じっくりと見尽くすことはできなかった。

ので、結構見逃しもあるのだが
まあ、仕方あるまい。


たいてい、そんなものだ。
(「荒浜小学校内部」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月19日

荒浜小学校つづき

引き続き、荒浜小学校 をご紹介する。



外周金属部は、海水に洗われたこともあって錆びている。


22071901.JPG


そもそもが海に近い地区であって
塩害はそれなりにあったことであろうが
直接海水がつけば、より進行しやすかったであろう。


こういう部分は、経年によってますます劣化し
徐々に津波被害なのか経年劣化なのか見分けがつかなくなっていくかもしれない。



校舎裏手に、エレベーターが設置されている。


22071902.JPG


震災前からあったものか、遺構として整備するにあたり新設したものか、
パッと見は、わからなかった。
今思えば、銘板とかいろいろ確認すれば良かったのであるが。



外壁に並んでいたはずのフード付ベントキャップも
脱落しているものが多かった。


22071903.JPG


躯体のEXPJ部分のカバーも取れていた。



避難バルコニー的なものがついていたであろう壁面も
今はこの通りである。


22071904.JPG


裏手(北側)には、比較的設備系が多く設置されていたため
その被災の様子もまた、よく残されている。


22071905.JPG


耐えた、ガスメーター。


22071906.JPG


もちろん、現在は供給されていない。

鋼製建具よりは、剛性が強かったようだ。



ステンレス換気フードは
ひしゃげつつも残っていた。


22071907.JPG


ガス給湯機用の排気トップだろうか。

瓦礫がぶつかれば、耐えられまい。


22071908.JPG


鋼製枠と網は後付けだ。



給食室の中を、網越しに見ることができる。


22071909.JPG


外壁沿いの鋼管は、支持材も含めて健在であった。


22071910.JPG


中には立ち入れないので、写真が掲出してあった。


22071911.JPG


外壁には、
被災したもの、
遺構として整備する際に新設したもの、
いろいろ混在している。


22071912.JPG


大きな開口部は、
建具がまるまる失われていた。


22071913.JPG



海と反対側の西面は
比較的損傷が少なく見える。


22071914.JPG


もちろん、他の面と同様に
2階床上までは浸水しているのである。



校舎西側には、体育館が残されていたが
既に撤去されていた。


22071915.JPG


大震災の前年、チリ地震津波の経験をもとに
体育館ではなく屋上に避難するように
オペレーションを変更していた。


避難所の体育館ごと津波に流された地もあった中で
この変更によって助かった児童・地域住民は多い。


もしも何らの変更なく
従来どおり「避難所は体育館」としていたままであったら
数百人の生命がどうなっていたか。



22071916.JPG


写真には写っていないが、
校舎脇にプレハブが建てられていて
管理事務所的な役割を果たしていた。
(そこに、トイレもある)



児童昇降口廻り。


22071917.JPG


柵はもちろん、遺構整備にあたって新設されたものだ。



軒天の照明器具も、錆び錆びだ。


22071918.JPG


まあ、津波以前から錆びていたとしても
おかしくはない立地ではあるが。



FFの給排気トップと保護カバーは
健在だったのか、後日補修されたのか。


22071919.JPG


あまりにキレイなので、少々不思議に思った。



「この高さまで津波が来た」と

看板が掲げられている。


22071920.JPG


家も車も木の葉のように流される津波に抗って
鉄筋コンクリート造の耐震改修済みの校舎が
いかに強力であったかを再認識できたりもする。


地域の「津波避難ビル」としての役割を
立派に果たした。


この地域で失われた命も少なくないが、
助かった命もまた、相当数にのぼるのである。
(「荒浜小学校つづき」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月18日

震災遺構仙台市立荒浜小学校

仙台市郊外に、震災遺構が見学出来るよう整備されている。

かつての 市立荒浜小学校校舎 である。


22071801.JPG


東日本大震災により生じた津波により東北沿岸で多大な被害が生じた。
その中にあって、児童や周辺住民が避難し、屋上からヘリで救助されて助かった場所である。


地震津波報道で盛んに報じられていたこともあって
見覚えのある方も多いかもしれない。



この震災遺構については、『設備と管理2022年5月号』で記事にさせていただいた。
特に設備系の内容については、バックナンバーをご参照いただきたい。



仙台市の太平洋岸にほど近い荒浜地区。

かつては、この小学校がある通り、宅地が広がっていて多くの住民がいた地区である。
津波によって完全に洗われてしまい、かつての面影を残すのはこの校舎くらいである。



仙台市地下鉄東西線の荒井駅からバスが出ていて
車でなくても行きやすくなっている。


1時間に1本のバスが走っている。

22071802.JPG


開館日、開館時間については、事前に確認されたほうが良いだろう。


22071803.JPG



車で行くにしても、周囲にはあまり大きな建物がなく、
そして浜に向かう県道沿いに目立つ看板が立てられているから
比較的わかりやすいことであろう。


22071804.JPG



駐車スペースも十分にある。


22071805.JPG


大型バスも何台も停められるので
震災の記憶を伝承するための学習の場としても活用されるようだ。


22071806.JPG


街そのものが喪失したため、
学校も震災を契機に閉校となった。


22071807.JPG


人口減による統合や閉校ではない。
地区に多大な犠牲者を出した大災害の記憶を伴う閉校だ。
関係の方々にとっては、悲痛な記憶でしかないことと思う。


しかし、この大災害を後世に伝承し、また必ず来る津波に際して
犠牲となる方が少しでも減ずるようにと
遺構として保存することを決断された。



遺構内外に、被災当時の写真とともに説明書きが設けられている。


22071808.JPG


現在はきれいに片付けられているが、
数次の津波襲来に伴って流されてきた瓦礫類によって埋め尽くされた教室が
そのすさまじさを物語る。



遠隔地から、また海外からの見学者も想定して
震災の概要から英語表記とともに説明されている。


22071809.JPG


報道を通じて目にされた方も多いであろう
ヘリからの光景もある。


22071810.JPG


完全に水没した1階、
床上まで浸水した2階、
避難場所であった3・4階と屋上。

3階以外の部分が見学できる。



外周を巡る。


22071811.JPG



窓ガラスは割れて喪失下部分もあるが
残っている部分もある。


耐震改修工事は行われた後であったから
地震動による構造被害は無かったようだ。



津波によって流されてきた諸々によって
手すりなどの損傷は大きい。


22071812.JPG


屋外露出の設備関係は
ことごとくやられている。


22071813.JPG


2階床上まで浸水した。

損傷の有無で、それを推し量ることができる。


22071814.JPG


ところどころに設置されているパネルで
被災前後の様子を比較することができる。


22071815.JPG


当然、被災直後と現在とも様子は異なる。



耐えたもの、耐え得なかったもの、
そのまま、ありのまま保存されている。


22071816.JPG


損傷し開口となった部分は
防犯上の意味も含めて格子で閉塞されている。


22071817.JPG


換気扇のフードは、流された。


22071818.JPG


屋外照明も、流された。


22071819.JPG


二宮金次郎も、流された。


22071820.JPG


台座ごと持っていかれたが、
どこか遠くまで行ったわけではなかったようだ。


22071821.JPG


もう、震災から11年以上過ぎてしまったが
実際に被災した方々にとっては何年過ぎようが
忘れ得ない苦痛であったに違いない。


家族友人知人の多くを亡くし
自らも辛酸を舐めた期間が相当にあったはずである。


他の被災地でもあったように、
その存在が余りに辛く、
被災の面影があるものはすべて除去してしまいたい、
そういう願いを持つ方もおられたであろう。


しかし、だからこそ、
被災しなかった人々に対してその記憶を伝え、
遠からぬ将来必ず再びやってくる津波に対して
警鐘を鳴らすために
悲痛な記憶を呼び起こすとも敢えて遺す。


そういう決断をした人々もまた、多くおられたのである。



機会があれば、

いや、機会を無理に作り出してでも
一度は訪れてみたら良い施設であると
思うのであった。


建築、設備、インフラ、地域、防災、避難、
いろんな側面で、考えさせられること、感じられることが
多くあるはずである。
(「震災遺構仙台市立荒浜小学校」おわり)
posted by けろ at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月17日

1トンの石球を手で動かせる

「グラニットボール」は楽しい。


だってさ、こんな1トンもある球体を
手で自由に回せるんだよ。


22071701.JPG


普通じゃ動かないようなものが
動かせちゃうって、感動モノじゃない?



ま、ポンプ揚程に依存しているだけなんだけど。


22071702.JPG


文字通り「手玉に取る」ことができるなんて
嬉しいじゃないか。


軽自動車でジャグリングしてるみたいなものだ。



でも、0.064MPaで済むんだね。
「圧力」だから、面積がかかっているから
力としては大きくなるんだね。
(「1トンの石球を手で動かせる」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 土木工事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月16日

昔は動いていたんだよ

安平町道の駅に設けられている、鉄道資料館


多くあるわけではないけれど、
数両の鉄道車両が実物展示されている。


22071601.JPG


機関庫の中に、昨日のD51が格納されている。
そして、時々外に出てくる日が設定されている。



その他の車両は、
基本的に野ざらしだ。



国鉄色の特急車両は、
札幌〜釧路間を結ぶ特急「おおぞら」のものだ。


22071602.JPG


数両の編成であったものの、先頭車両だけが展示されている。


22071603.JPG


連結部以降の車両は、他の場所に引き取られたのか、
はたまた解体廃棄されてしまったものか。



これも、日を決めて内部見学ができるようになっているらしい。


22071604.JPG


普段は入れない。

訪問日も、虚しく昇降路を眺めるのみであった。


22071605.JPG


この国鉄マークやヘッドマークを懐かしく思う方も
おられるに違いない。

もっとも、1987年3月をもって国有鉄道ではなくなって
かれこれ35年も経つわけだから
懐かしく感じる方々の年齢は推して知るべしである。


もう、多くの国民にとっては懐かしいものではなくて
「昔の列車」という部類になっているに違いなかろう。

平安時代の牛車と同様の扱いだ。というのは言い過ぎかな。



貨物用の貨車もあって、


22071606.JPG


こちらは4両分である。



道の駅が新しいこともあって、
車両の塗装はバッチリである。


願わくは、今後のメンテもバッチリであると良いのだが。

そのための費用が確保できるのか、という経済事情が
運命を左右するであろう。



格納中のD51は、こいつによって出し入れされるんだろう。


22071607.JPG


動態展示とまではいかないが、
それでもある程度移動できるのは良いんじゃないかな。



本邦国策を北海道に観よ!〜北の産業革命「炭鉄港」


22071608.JPG


令和に入ってすぐに日本遺産に指定されたという。

それを記念した 炭鉄港カード が、ここで入手できる。



この手のカード、マンホールカードやダムカードを皮切りに
少々乱造気味な気もするが、
その地を巡って現地で貰えるものとして
良い記念になるのは確かである。


メルカリその他で売り買いするのが好きな人はそれでも構わんけど
ワタクシはそうやって揃えても嬉しくもなんともない。

ま、知人からお土産にいただくのであれば
ありがたく頂戴するのだけれども。



ついでだ、道の駅内も少々観察しておこう。


22071609.JPG


「機関庫」内の排煙窓用のオペレーターが並ぶ。


火災時、煙が充満しつつあるような場合に、
誰かがここまで走ってきて操作できるものやらどうやら。


法律上・規定上の設置義務と、実効性とは必ずしも一致しない。
が、無いよりは有ったほうが良いには違いない。

無い方がよい、という事態は少なかろう。



内壁仕上材が貼っていないから、
ワイヤーのルートをそのまま追いかけることができる。

22071610.JPG


電線管類もバッチリだ。

いいねぇ。



暖房と換気は、極めてシンプル。


22071611.JPG


立形のFF暖房機と有圧扇だ。



右下の、鋼管柱の陰に隠れた消火器は
いざという時には絶対に発見できないな!



道の駅の天井。


22071612.JPG


ルーバー状の木材の間にはめ込んだ照明器具。



蛍光灯しか無かった時代と比べると
表現の幅は確実に広がっている。



制気口類の配置が、
何となく通常と逆な気がした。


22071613.JPG


ファンコンベクターなのか、天吊隠蔽型のエアコンなのか、
天井内の納められている機器からの
ブリーズラインと、対応する吸込口。


外壁側にブリーズラインを伸ばすことが多い気がするが
ここでは吸込口を外壁側に持ってきてある。



機器は天井に沿って斜めに吊られているものか?
もしエアコンの場合、ドレンパンの状態には気をつけないと
いろいろヤバそうだ。

気をつけたから、現状大丈夫なのに違いないが。



外観は、まあよくある感じの意匠である。


22071614.JPG



炭鉱が次々と閉山し、都市部以外の過疎化が進み
ローカル鉄道路線が次々と廃止されつつある中、
「鉄道」という存在自体が「遺産」化していくのだろうか。



時代が変われば、産業構造が変われば
いろいろな事も変わっていく。

当たり前のことではある。



戦争や天災によって破壊されるのでなく
まっとうな構造転換が行われるのであれば
それはそういうものだとして受け止めていけば良いであろう。



自動運転車が一般的になった近未来には
道の駅のあり方もまた、変わっていくだろうか。
(「昔は動いていたんだよ」おわり)
posted by けろ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 設備一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月15日

安平町のデゴイチ

「安平町」、読めるだろうか。


「やすひらまち」でも「あんだいらちょう」でもなく
「あびらちょう」と読む。



どこにあるか、見当がつくだろうか。

知っているとしたら、なかなかの物知りかもしれない。



安平町 は、北海道胆振総合振興局管内、勇払郡の町である。
と、ウィキペディアや 町の公式ホームページ に書いてある。

2022年6月現在の人口が7,375人であるとも書いてある。



明治41年(1906年)に、安平村となり、
昭和27年(1952年)に、安平村から追分(おいわけ)村が分村し、
追分村が町制施行して追分町となり、
安平村が早来(はやきた)村に改称し、後に早来町となり、
平成の大合併の際、平成18年(2006年)に早来町と追分町が合併して
かつての名称の安平を改めて称する、安平町となったものである。

平成30年(2018年)の北海道胆振東部地震において、
町内の最大震度6強を観測して多大な被害を被った地でもある。



この町に、平成31年4月19日にオープンした道の駅がある。

道の駅あびら D51 ステーション」と称する。



この中に 鉄道資料館 が設けられていて
往年の鉄道車両が保存されている。


22071501.JPG


壁面に並ぶ、立派なノズル。

……はメインじゃなくって、
D51が格納されている。


22071502.JPG


いろいろな鉄道関係の遺産が並べられていて
一部「鉄」分の多い方々には垂涎の施設かもしれない。


埼玉や名古屋などの大博物館には到底敵わないけれども
それでも実物の展示はたとい点数が少なかったとしても
重みのあるものである。と、思う。



撮影した日には格納庫に収められていたが、
時々屋外に出しての展示が行われる。

出し入れするための車両が、後部に控えている。


22071503.JPG



これを記念して、D51柄のマンホール蓋が作られているようだ。


22071504.JPG



屋外には、まるで墓標のような、
デスマスクのような、
そんな展示があったりして。


22071505.JPG



自販機も、D51柄になっている。


22071506.JPG



せっかくだから、敷地内の蓋を探してみる。

あった、あった。


22071507.JPG


そして、カラー版もちゃんと設けられている。


22071508.JPG



追分町時代の蓋も、残されているみたい。


22071509.JPG



「せつび」はライフワークだけれども
ワタクシには鉄分も少しあるから
なかなか嬉しい施設なのであった。


「少し」なんだけどね。

昔ね、鉄分たっぷりの人に誘われて乗り鉄に付き合ったり
青春18きっぷ使いまくり旅を何度か敢行したりしてたものだから
その名残なんだよ。
(「安平町のデゴイチ」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 交通 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月14日

ホントにやる気なの?

イモムシのようなトンネルを通り、
上がっていく。


22071401.JPG


この中には、昇り降りのエスカレーターと階段とが設けられている。
結構落差(段数)があるから、みんなエスカレーターに乗ると思いきや、
結構階段をフーフー言いながら上がっている人がいる。

何か、人を惹きつけるものがあるのだろう。
長い階段には。



登った先には、不沈空母? 的な建物が建っている。


22071402.JPG


大洪水が来ても、ここに居れば大丈夫!?



と言っても、浮かぶことはあるまい。

そもそも、ここまで水が来るようであれば
日本沈没レベルじゃないか。



ここは、山なのだ。


22071403.JPG


結構な高さのジャンプ台が控えている。

先ほどの不沈空母は、このための施設である。



22071404.JPG


しっかし、この高さを、ものすごい勢いで
むき身のまま(いくらジャンプスーツを着ているとは言え)
飛んでしまうのだ。


恐っそろしい事である。



そういう「天性」ってなものが
あるんだろうな。



表彰台。


22071405.JPG


というか、記念撮影台だね。



手前には、オリンピックミュージアムも建っている。



TOKYO2020が、2021に行われてからまだ1年と経たないけれど
「次っ」とばかりに、ポスターやらスローガンやらが
そこかしこに見られる。


22071406.JPG


アスリートにとって、夢の舞台の一つであることは
論を待つまい。



あとは、政治的な云々とか、経済的な云々とか、
そもそも国際情勢云々とか、そっちの側面がなかなか大変であって
高度成長期の東京・札幌オリンピックの頃とは違って
諸手を挙げて賛成! なんていう意見がどのくらいあるものか
わかりかねる部分もある。



ホントに、やろうとしているんかいな。


できるんかいな。


どうなんだろうねぇ。



眼下に見える、200万人近い居住者がいる都市。


22071407.JPG


瓦礫の山が多数生じてしまったキーウの街のように
ミサイルが飛んでくるような事態が無ければ良いのだけれど。



「そんなことないよ。あり得ないよ。絶対無いね」



半年前だったら当然言えていた筈のことが
ハッキリ言えないかもと訝ってしまう今日このごろ。


ますます、一寸先は闇 を体感する時代になってしまったのだなぁ。



で、やる気なのかな。出来るのかな。

大規模国際総合運動会。
(「ホントにやる気なの?」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月13日

改めてトイレを見る

毎日使っていても、
なかなかじっくりと見ることも無いんじゃないかと思うんだ。


掃除するときには見るにしても、
見る場所が違うと思うんだ。



22071301.JPG


ふと思い立って、
トイレを改めて見てみた。



LIXIL製の便器なのだけれども
INAXのブランド名も併記されている。


22071302.JPG


伊奈製陶の頃のものは、めっきり見かけなくなったなぁ。



壁から突出した止水栓から分岐して
タンクと洗浄便座とにそれぞれ給水されている。


だから、この建物は再利用水(中水)が無いシステムなのだ。
上水で便器洗浄もすべて行っている。



22071303.JPG


ぐちゃぐちゃしがちな給水ホースと電源ケーブルとアース線とが
束ねられている。

各所各様、千差万別、なかなかスッキリした状態にするのは
難しいものだ。



22071304.JPG


敢えて意図して撮らないと
こういうアングルの画は撮れない。


撮る意味も、必要性も、趣味も無い方のほうが一般的で
マトモであると言えよう。



この角度、この距離だと、
意外と汚れやホコリが見えてしまうものだ。


ま、それは仕方あるまい。


こんな所をチェックするような
意地悪姑根性丸出しの人間など
そうそう居ないのだから。



いや別に、清掃状況にケチをつけたくて見たんじゃあない。
ただ、陶器を愛でたかっただけ、だから近づいただけなのだ。



だから、清掃スタッフの皆さん、
気にしないでおくれ。


十分にキレイになっているからさ。



ミクロレベルで見れば、
たいていのモノは化学的にも生物学的にも
それほど清浄なものではないのだから。
(「改めてトイレを見る」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 衛生設備 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月12日

鋼管煙突は設備工事か

煙突は、「建築設備」である。



建築基準法 第二条第三号に定義されているのだから
法的にそういう位置づけなのだ。

法律文なんだから、著作権もへったくりも無いのだから
(著作権法第十三条第一号)、この際全文引用しよう。



(用語の定義)
第二条 この法律において次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
三 建築設備 建築物に設ける電気、ガス、給水、排水、換気、暖房、冷房、消火、排煙若しくは汚物処理の設備又は煙突、昇降機若しくは避雷針をいう。



「電気」とは強電だけなのか、弱電その他も全部含むのか、
給湯は建築設備じゃないのか、
プールや浴槽のろ過も自動制御も含まれないのか、など
現代社会に適合していない文章だなぁとツッコミどころ多数ながら
そういう法律なんだから仕方がない。



で。



「煙突」は、「建築設備」であると定義されているのだ。



だから「設備工事」に含まれていることもある。



躯体の一部を煙突として造り込んでいたとしても「建築設備」なのか
躯体から独立している煙突のみがそうなのか、
そういう議論をしてもあまり意味はないのだろう。



さて、建物外壁に設けられている、鋼管煙突。


22071201.JPG


鋼「管」とは言え、このくらいになると「管工事」と呼ぶには少々でかい。
もちろん、プラントや工場や大規模ビルであれば
この太さの配管も普通に存在するのではあるが
こういう感じで建っている煙突はやっぱり「建築工事」の部類じゃないかと
感じるのであるが、いかがなものであろうか。



ま、どうせ製缶屋さんや金属工場で造られて運ばれてきて
場合によってはそこで取り付けまでやっていただくことになるから
何工事に含まれていようが違いは無いのかもしれない。


分離発注時の金額調整のネタでしかないのかもしれない。
(ギリギリ議会承認を要する金額以下に抑えるとか)

そういう行政手続的都合の問題でしかないのだろうなぁ。



斜面に建つ建物であって
機械室が半地下部分にあるからなのか
煙突への接続部分がなかなか入り組んでいた。


22071202.JPG


誰かが触ったら大変だから、
単管で柵が作られている。


設計の時、施工の時には
誰も気づかなかったんだろうか。


気づいていたけど、面倒くさいから
見なかったことにしていたんだろうか。


設備工事に含まれていたから、
意匠担当者や建築工事の代理人さんには
気づきにくかったのか。


そのあたりは不明である。
(「鋼管煙突は設備工事か」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 設備一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする